10 髪

「好きです、柳川さん」


朝食を食べようとしたとき、春野がそう言った。

オレはかぶりつこうとしていたジャムトーストを置いて、一息置く。


「なんだよ、いきなり」


好きということはつまり、オレが好きということだ。

たとえ人殺しであろうとも、女子高生が、オレに告白をした。


いったいどうしたんだ、お前。

これもからかってんだろ? なぁ。


「あ、疑ってますね。私はちゃんと本気ですよ」


冗談で言っている様子もない、真剣そのものだった。

それでも冗談だろ、とオレは思う。


女子高生に好きと言われるならいい。

だが、人殺しに好きと言われて。

喜ぶ男がいるとでも思うか?


(ふざけるのも、いい加減にしろ)


そう思っていたはずなのに。


「実はな……オレも好きなんだ。春野のこと」


なぜか、オレはそう返していた。


(いや、待て待て待て!)


オレ、春野のことが好きだったのか?

人殺しのことが、好きだったのか?


胸に手を当てて、冷静になる。

いや、やっぱり、みじんも思ってないんだが。

こいつを好きだなんて、思ってないんだが。


「あはは。じゃあ、相思相愛なんですね」

「どうやらそうらしいな」

「柳川さんと一緒だなんて……嬉しいです」


オレを差し置いて、勝手に話が進んでいく。

マジでなに言ってんだ——と、そこでオレは気付く。


(これ、夢か)


言葉を選べない理由に納得がいく。

しかし、なんてクソみたいな夢だ。

オレと春野が愛を確かめ合う、とびっきりの悪夢。


「いつから私のこと、好きでした?」


夢の中の春野は、なんだか元気だった。

物静かな雰囲気は薄れ、普通の女子高生のようだ。

普段とのギャップに鳥肌が立つ感触がした。


「お前を助けると決めた時だ」


恥ずかしいこと言ってんじゃねぇよ、オレ!


「ああ、あの時ですね」

「素直にはなれなかったが……でも、はっきりと、そう感じた」


春野も春野だが、夢の中のオレも大概だ。

クサいセリフを真面目に言うものだから、共感性羞恥がえげつない。

頬をつねっても、痛くない。悪夢からは目覚められない。


「そういうお前はどうなんだ?」

「私ですか? もちろん同じですよ。柳川さんが助けてくれるって言った時」


恥ずかしそうに自分の黒髪をなでながら言う春野。

マスクをしていても、まるで表情が透けて見えるようで。

夢の中の彼女は、そうだとわかるほどに、とても素直だった。


そんな光景に、オレは夢の中でため息をついた。


(……夢ってのは、願望の現れらしいが)


これがオレの願望だと? 

笑えない。あり得ない。

オレは春野と相思相愛でいたい、とでも?


(そんなこと、願ってるわけねぇだろ)


バカげている。

こんな夢、ただの悪夢だ。


「柳川さん」

「なんだ?」


しかし、ふと思う。


「私、柳川さんとずっといたいです」


夢の中の素直な春野に、オレはどうしてか悪い気がしない。

むしろ、まっすぐ自分の思いを伝える彼女は、可愛らしかった。


それは異性としてというより、父性として、といった感じで。

この子には幸せになってほしいと願う——親のような気持ち。


(……これが、オレの本当の願望なのか?)


夢の中でまで、オレは葛藤しているらしい。

人殺しの女子高生をどうするか——その迷いが、現れている。


だがしょせんは、ただの夢だ。


(別に、現実のオレはそう思っちゃいない)


はっきりとそう思えるほどには、オレはまだ毒されてはいない。

この関係が毒とわかった上で、毒に侵されるバカなこともしない。


夢の中で、オレは決意を固める。


(起きたら、春野を追い出そう)


どんなに恨まれようとも、心が痛もうとも、関係ない。

これ以上、オレたちは一緒にいてはいけない。


オレのためにも、春野のためにも、この歪んだ関係を、断ち切る。


「あぁ。オレもそう願っているよ」


(あぁ。オレはそう願ってんだよ)


この夢が、現実にならないように。








「…………んぉ」


暗闇の中で目を覚ました。

身体を起こすと、かかっていた毛布がずれた。

おそらく、春野がかけてくれたのだろう。


——春野?


「うがっ!」


思い出したくもない夢に悶える。

今でも思うが、なんともまぁひどい悪夢だった。


「なんであんな夢、見たかねぇ……」


ふわぁ、とあくびをする。

光のない、もの静かな暗闇だった。

オレの息の音だけが、部屋の中に響いている。


「変な時間に起きちまったな」


頭を振る。

春野を追い出す決意は、ちゃんと心の中に残っている。


起きたら、春野を追い出す。

夜だろうが関係ない。

今すぐ、春野を、人殺しの女子高生を、追い出す。


オレは暗い部屋を見渡した。

だたっ広い部屋はきれいに掃除されていて、ゴミひとつとして落ちていない。

春野が愚痴をいいながらも、掃除をしてくれた、オレの部屋。


「あ?」


もう一度、部屋を見渡した。

なんてことはない、きれいになったオレの部屋だ。

大学時代から今までずっと住んできた、少し小さい部屋。


そんな部屋に——何かが足りないように感じた。


「……おい?」


とっさに電気を付ける。

眩しさにくらんだ目が慣れてくる。

見渡しても、やっぱりオレの部屋だ。愛着のある、見慣れた部屋。


それでも。

やっぱり足りない、そう思ったものは——すぐにわかった。


オレは毛布を握りしめながら、その名前を呼んでしまった。


「春野?」


春野の姿は、どこにもなかった。

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