脅し、脅され、女子高生。

ようひ

1章 異常な出会い

01 首

 会社の上司を殴った。

 今ここで、こいつを殴らなければいけなかったのだ。


(ついにやっちまったな、オレ)


 派手に吹き飛んだ上司は、オレをにらみ、叫んだ。


『クソ野郎! お前はクビだ!』


 当然だ。

 どんなに上司がゴミカスだったしても、殴った部下の方が悪い。


「今までお世話になりました」


 オレは頭を下げ、会社をあとにした。

 5年間、休まずに務め続けたブラック企業だった。






「くそッ……なんでこうなっちまったんだよ……」


 帰り道、コンビニで買ったビールでヤケ酒をした。

 500mlのロング缶を5本も開け、いよいよ酔いも手が付けられなくなっていた。


 午前1時。深夜の公園にはオレ以外に誰もいない。


「クソなのはテメェの方だろが……」


 缶をあおると、残ったビールはぬるく、苦いだけだった。

 空になったビール缶をゴミ箱に放ったが、外れた。

 カラカラと空き缶が転がる。


「やってられっか、こんな人生……」


 自宅に帰る気は起きなかった。

 朝早く起きる必要はなくなったし、電車に揺られる必要もなくなった。

 もう、オレに明日はなくなったのだ。


「……オレ、これからどうすんだ……」


 頭上には星空が広がっていた。

 久しぶりに見上げた夜空は、子どもの頃に見たものとは違って見えた。

 

 どうやらこの5年間で——オレは大切な何かを失ったらしい。

 

「死にてェ……」


 そう呟いた時だった。

 コツコツ、と革靴の音がした。

 こんな真夜中だが、今ごろ残業を終えて帰宅するサラリーマンもいる。オレも今まではそうだった。


「う、んぐッ」


 酔いの吐き気を飲みこんでいると、オレの前で足音が止まった。

 人の気配に、自然と顔が上がる。


「あ…………?」

 

 そこにいたのは、黒髪の女子高生だった。

 赤いシャツに紺のスカート、青いネクタイ。夏用のセーラー服だ。

 どう見ても、本物の女子高生である。


「…………」


 ただ、彼女は白いマスクをしていた。

 目元だけしか見えないせいか、やけに可愛く見える。マスク美人というやつか。

 そんな女子高生が、じっとオレを見下ろしている。


「んだよ、なに見てんだ……」


 ぐらつく視界に映る女子高生を、オレはとっとと追い払いたかった。

 こんな時ぐらい、ひとりでいさせてくれ。

 

「あの……すみません」


 今にも消えそうな、小さな声。

 まるで捨てられた子犬の鳴き声みたいだ。


「なんだよ」


 こんな真夜中に出歩き、大人の男に声をかける女子高生。

 となれば——その目的はひとつしかない。


「とめてくれませんか」


 ほらきた。

 酔っぱらいの男を捕まえれば、簡単に泊めてもらえるとでも思ったのだろう。

 

「泊めてくれ、だと?」


 だが、甘い。

 人生というのは思い通りにはならないものだ。


「わりぃけど、他を当たってくれ」

「え?」

「男なんて、いくらでもいるだろ」


 オレの言葉に女子高生は驚いたのか、その場に立ちつくしていた。

 早く去ってくれと内心願うも、後ろで手をもじもじさせているだけで、なかなか立ち去らない。

 オレは苛立ちを覚え、声を荒げた。


「聞こえただろ? 他を当たってくれって」

「でも……私、家に帰れなくて……」


 同情を誘ったところで、オレの意思は変わらない。

 

「ダメだ。オレはそれどころじゃない」


 オレがきっぱり断ると、女子高生はうつむいてしまった。


(家出か……)


 家出少女。

 親と喧嘩し、家を飛び出してきたものの、どうすればいいかわからない。

 宿を探すうちに、タダで泊まれる場所を見つけた——そんなところだろう。

 最近の女子高生は色々と複雑らしいが、ここまでするのか。


「だったら……これでどうですか?」


 女子高生が近づいてくる。

 やれやれ、どうせ『身体』だろう。

 確かに彼女は、女子高生にしては身体つきが良い。

 健康的な脚に細い腕。

 顔は小さく、胸は大きい。

 男からすれば最高に興奮する身体だろう。女子高生というブランドも相まって。


 だが……どんなに若くてエロい身体をしてようとも、今のオレは揺らがない。

 

「何度も言わせるな。オレは」


 同じように断ろうとした。

 

 しかし。

 やってきたものは『身体』ではなかった。


「とめないと、やります」


 ぬらりと光った、銀色。


「あ……?」


 気付けば、オレの首には包丁が突きつけられていた。

 

「お、おぁッ!?」


 予想外のことに、酔っていた頭が叩き起こされる。

 当てられた包丁は本物のようで、首筋に鋭い痛みが走った。


「聞こえましたよね? とめてくださいって」


 さっきまでとは違い、女子高生から冷たい声がする。

 同じ人間とは思えないほどの変わりようだ。


「あ……あぁ」

「なら返事をしてください。それでも大人ですか?」


 血の匂いがする。

 オレは突然、カッターで指を切った時のことを思い出した。

「痛ってぇ」と指を舐めると、しょっぱいような血の味がして。


 それと同時に、オレは気付かされる。

 彼女の赤いシャツ。これは元々の色ではない、染められた色で。

 この女子高生は『誰かを殺してきた』のだと。


「早くとめてください。本当にやりますよ」

「わかった、わかったから!!」


 オレは懇願するように叫んだ。


「泊めるから、殺さないでくれ」


 さっきまで死にてェとかほざいていたクセに、みっともない。

 怯えるオレに、女子高生はふるふると首を振った。


「とめるなら、やりません」


 それでも、包丁はオレに当てられたままだ。

 まだ殺されないとは限らない。


「さぁ、早く行きましょう」

「わかった……ただ、ひとついいか?」

「なんですか」


 オレは思い出したように口元を押さえた。家まで抑えられそうにない。


「その……いっかい、吐かせてくれ」

「はあ」


 人生で初めて、女子高生の隣で嘔吐した。

 なんてクソみたいな人生だ。






 おじゃまします、と女子高生が家に入っていく。

 脱いだ革靴はぴったりと揃えられていた。


「汚い部屋ですね。さすがです」


 女子高生の「さすが」は「やばい」と同じ使われ方をしているらしい。

 オレはビジネスバッグを放り投げ、ため息をついた。


「掃除するから、少し待ってくれ」

「その前に、携帯を」


 彼女はまだオレに包丁を突きつけている。


「……嫌だと言ったら?」

「やりますけど」


 あとで通報するルートは断たれてしまった。


「わかった。従う」


 オレは素直に携帯電話を渡した。

 女子高生は確認するためか、画面を指でつついた。


「電話、たくさん来てますね。上司って人から」

「どうでもいい奴だ」

「この上司って、汚いおじさんより偉い人ですよね。無視していいんですか?」

「汚い、おじさん……」


『おじさん』はまだしも、『汚い』と付けられるとは。

 しかし、ゲロは吐くし汚部屋だしで、あながち間違いでもない。


「上に立っているから偉いとは限らないだろ」

「そうなんですね」


 女子高生は興味なさそうに言うと、オレの携帯を胸ポケットに入れた。

 彼女の赤いシャツは胸元が張っている。

 まだガキのくせに、とオレは思う。


(ここは従うフリを続けるか……)


 ゴミ屋敷寸前のオレの部屋。前に掃除したのはいつだったか。

 散らばったゴミをすべてゴミ袋にぶちこんだ。

 掃除はできないタチだが、やる気が出れば捗るものだ。


「できたよ」

「ちゃんとカーペットまでやってください。どう見ても汚いです」

「……はい」


 女子高生は汚れに敏感なのだろう。特におっさんに対して。

 ガムテープには、真っ直ぐな毛やら縮れた毛やらが大量に付着していた。

 何度も掃除を続け、ようやく汚れらしきものはなくなった。


「こんなもんでいいか?」

「いいでしょう。及第点ですけど」

「そりゃどうも」

 

 女子高生はカーペットの上に三角座りをした。

 オレもため息をつき、床に座る。

 ようやく落ち着ける状態になった今、オレは女子高生を横目で見る。


(……本物の女子高生、だよな?)


 先ほども思ったが、彼女は女子高生にしてはスタイルが良い。

 マスクのおかげか、顔が小さく見える。

 目は大きく、長い黒髪はまっすぐ伸びている。

 身体つきは細いのに、胸は大きい——制服がそう見せているのだろう。


(やっぱりどこにでもいる、普通の女子高生だ)

  

 ただし血まみれの制服と包丁を除けば。


「…………」

「…………」

 

 住み慣れたオレの部屋は、まるで他人の部屋のように感じた。

 沈黙が続く中、女子高生はオレをじっと見つめていた。

 包丁の先端は常にオレに向けられている。

 妙な動きをしたら即殺す、ということか。

 

「……安心してくれ。オレは何もしない」


 オレの言葉に、女子高生が少しだけ顔を上げる。

 

「安心、ですか」

「ああ」


 マスクで表情はわからないが——彼女はどこか疲れているように見えた。


「そんな言葉、いちばん信用できません」


 その言葉に、オレは内心で苦笑する。

 そりゃそうだ。安心しろと言われて、安心なんてできるわけがない。

 オレだって、安心だったはずの会社はクビになった。


「そうか、じゃあ——」


 突然なにが起こるかわからない。

 安心が信用できないなんて、今のオレが1番実感している。


「安心しなくていい。オレを疑ってくれ」


 オレはまだ酔っているらしい。

 自分でも変なことを口走っている自覚がある。

 ふふ、と女子高生から笑ったような音がした。


「変なこと言いますね」

「酔いが覚めてないんだ」

「じゃあ、疑わせてもらいますね。おじさん」


 お互い何を言っているのだろう、笑いたくなる。


 ふと時計を見ると、午前2時を過ぎていた。

 明日も平日だというのに、こんな時間まで起きているのは不思議な感じがする。

 女子高生。それも人殺しを泊めてしまっていることもあるのだろう。


(こればかりは……クビになってよかったと言うべきか?)


 こんな危険な状態で出勤してたら、どうなっていたことやら。


「ふあぁ……なぁ、寝ていいか?」


 身体はすでに限界だった。

 女子高生が目を細めてオレを見てくる。


「ダメと言ったら困りますか?」


 からかっているような、そんな言い方だった。


「そりゃあ、かなり困る」

「いいですよ。妙な動きをしたら、やりますから」

「オーケイ。寝相は良い方だ」


 女子高生の許可に、オレは床に寝転んだ。

 え、と驚いたような声を上げる女子高生。


「ベッドありますよね。使わないんですか?」

「男はベッドで寝れないときがあってな」


 知りませんよ、と女子高生は興味なさそうに言った。

 眠気の限界に、まぶたが少しずつ降りてくる。

 閉じる寸前で、三角座りをする女子高生のスカートの中が見えた。

 

 それは、きれいな白色だった。

 だが、今のオレにはどうでもいいことだ。


(JKのパンツがどうしたってんだ……)


 何もかも、先のわからないことばかりだが。

 今はすべて、どうでもいい。


(明日、ぜんぶ考えよう……)


 勤めた会社をクビになった日。

 人殺しの女子高生を泊めた日。


 これからどうすればいいのか——今のオレには検討もつかない。

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