第6話
大阪の建物が多い都市部から離れ、未だ古い戸建てが立ち並ぶその地に、所帯者向けの社宅を持っている松本建設は、住み慣れた土地から大きく飛躍しているのを、エンにすら確信させる。
「この辺りの大手の建設会社の、下請けが主なんだが、場合によっては殆どの作業を任されたりするから、長丁場になりやすいんだ。だから、土地を買わせてもらって宿舎を建てた」
丁度、入れ替わりに社宅から出た家族がいて、空きが出ていた部屋に、潜り込めるように手配したと、凌は説明した。
「ここなら、交通機関も多いし、何処に観光に行くにしても、ついて行ける」
その最寄りは、列車を乗り継ぐ方がまだ行きやすいという事で、二人は早朝に大阪駅に降り立った。
これ以上、弱味を見せたくないエンは、心底安堵した。
飛行機での移動だったら、間違いなく何も言えない立場を確立していた。
京都の観光地を回る学生たちに追いつき、同時に女子会と称して行動している女たちも見つけた。
「……いないな」
「一体、誰が来ると、期待していたんですか?」
穏やかに探りを入れる男に、銀髪の大男はやんわりと笑って見せた。
「期待をしていなかったわけではないが、来ないだろうなとは思っていた。お前さん、繋ぎ先を知ってるな?」
「……ですから、誰の話ですか?」
笑顔を返す余裕すら見せながら、エンは更に首を傾げて見せた。
そんな男から、甥っ子の娘に目を向ける。
問いには答えず、更に確認の問いを投げた。
「お前さんは、可笑しいと思った事はないか? あの父親から生まれた、直系であるランやユウの呆気ない最期に、疑問は浮かばなかったか?」
その疑問は、嫌な過去も思い出す。
当時、ユウの事は知らなかったが、ランは身近な存在で、その死を看取ったほどだった。
その姉妹とエン自身の父親は、罠の矢を急所に受けても、平然と動き回れるほどの変人ぶりだ。
本当に、その血を受け継いでいるのか、そちらの方が未だに疑問なのだが、その辺りの保証はあるのか、この人には一度訊いて見たかった。
その疑問を表情に出したつもりはないのだが、凌は苦笑した。
「お前さんや、他の直系が疑問視している事は、確かめるまでもないから、変な期待はするな。どう見ても、お前さんもセキレイ姉弟も、カスミの子供だ」
「……」
「カスミはな、この世に産まれ落ちた頃から、化け物の扱いを受けていたせいで、色々と隠さなくなっているだけだ。痛みの感覚も、攻撃を受けた際の衝撃も、麻痺してしまった状態で親族の前に現れた。ああいう奴も珍しいんだ。異端の一族の中でも、完全に塵になった状態から、あっさりと生き返れるのは、あいつだけだ。他の親族なら、塵になったら混乱して散った挙句、空気中に紛れて消えていくのが関の山だ」
あれを初めて見た時、父親である凌の兄も、流石に仰天していた。
「……」
そう言えば、この人が幼い頃に狩ってきた獲物を見ても、エンの祖父に当たる男は、堅気は無理だと察しただけで、驚いてはいなかったらしいから、仰天させたカスミは、相当大物だ。
自分の父ながら、うすら寒い得体の知れなさが思い出され、黙り込んでいるエンに構わず、凌は話を戻した。
「あのカスミと、あの母親から生まれた娘たちが、ただ滅多刺しにされただけで、内臓を切り取られただけで、呆気なく逝くのはおかしいとは、思わなかったか?」
「ですが、実際、ランは息を引き取りました」
きっぱりと言い切った男に少し考え、大男は言い直す。
「息を止めてしまうのは仕方ないが、その後内臓を元通りにして息を吹き返し、起き上がらないのは、おかしいだろう?」
「おかしくはないです。おかしいのは、どう考えてもあの親父さんの方ですから」
「だがな、あのセキレイですら、すぐに元通りになるぞ」
母親の奇特さ加減で、カスミの血も反映されているのだろうと言うのが、兄の見解だ。
「……つまり、ユウさんと言う人も、すぐに元通りになって秘かに生きている、と?」
「それを、この国の友人たちが、隠しているのではと思っているんだ」
「成程」
エンは頷いてから、穏やかに笑った。
もしそうなのなら、自分の左腕の怪我はどうして元に戻らないのか、そんな疑問より先に、別な疑問が口をついた。
「で? もし、そうなのだとしたら?」
「元気な顔を見たい、と思ったのがおかしいか?」
「それだけ、ですか?」
男は、慎重に確認した。
真顔になった大男に、ゆっくりと尋ねる。
「もし、ユウさんがお元気だとして、それを確認したとしたら、その後は安堵するだけで、済ませてくれますか?」
「……どういう意味だ?」
御蔵優の言い訳は、父親違いの兄にするものと幼馴染にするものとで、大幅に違う。
どちらも、本音の言い訳だろう。
だが、一番大きな理由は、鏡月に話している方なのではと、エンは思っていた。
全盲の若者と初めて会った時、鏡月は山に一緒に登ってきたオキを、オキ本人が持っていた刀で殴りつけた。
元々ランが持っていた守り刀で、殺傷力がない物だったからよかったが、その勢いには殺気があり、いくら中身は赤の他人とは言え、冷や冷やした覚えがあった。
エンの姉は、自分の死と引き換えに、オキに力を与えた。
そうすることで、自分が心を寄せる女を、幸せにできると分かっていたからだ。
鏡月も、それを知ってはいたが、やりきれなかったのだろう。
きちんと経緯を聞いていない時にでも、誤解したふりをしてでも、どんな理由であれ主を食らったオキに、怒りをぶつけたかったのだろうと、エンは感じた。
息を吹き返す可能性のあった妹を、完膚なきまでに死なせてしまった怒りを、兄としてぶつけてしまうのは、仕方のない事だ。
鏡月は、長い年月を得て、その怒りを治めてくれたが、この人はどうだろう。
鏡月の従兄の水月は?
それを考えると、優にはこのまま雲隠れしておいてほしい、と言うのがエンの本音だった。
「……」
それ以降黙り込んでしまった凌とエンは、堅苦しい空気のまま旅館に入った学生と女たちを見送り、宿泊所まで戻った。
そこで、学校を終えてやって来た水月と合流する。
薄暗くなった中、社宅の門前に立っていた少年は、二人の空気の硬さに首を傾げた。
「どうした? 二人とも、顔が固いぞ」
気楽な問いに、ようやく凌の表情が緩む。
「ちと、意見の相違があってな。刺々しくなってしまってたんだ、助かった」
「……そう言う事を、あっさりと言わないでください」
溜息を吐くエンと大男を交互に見、水月はやんわりと笑った。
「心配しなくても、オレも、この旦那とは意見が合わない」
困ったように空を仰ぐ凌を一瞥し、少年はゆっくりと言った。
「それに、旦那もよく分かっている。分かっているからこそ、想像が当たっているか確かめたいと思っている。ランの事について割り切れるのかどうかの心配は、その後だ」
「……」
「もしもの時は、この辺りの建造物を犠牲にしてでも、何としても止めてやるから、安心しろ」
「安心の欠片も、感じないのですが」
昔の建造物が多いこの辺りを犠牲にしての制止は、余りに後味が悪い。
ついそう言ったエンに同意し、凌も頷く。
「どうせなら、犠牲が出る前に、一払いで斬り捨ててくれ」
「無茶言うな。それが出来たら、こんな事にはなっていない」
両手を上げて首を振る水月に、凌は神妙に頷いた。
「そうだな。それが出来てしまっていたら、カスミが本気にならない限り、子供たちを含めた群れの奴らは、全滅だった」
「その話、一度詳しく聞いて見たいんですが? 話の節々を合わせて、何となく理解はしているのですが、中々情景が見えないんです」
そんなしんみりとした空気に、エンは控えめに割り込んだ。
すると、二人とも嫌そうに顔を顰める。
「負けた喧嘩を、蒸し返せと?」
「あんな、見苦しい勝ち方をした喧嘩を、思い出せというのか。お前さん、意外に性格が悪いな」
「……そこまで、拒否しなくても。オレとしては、死んだ後まで残るような呪いが、大事な子を怪我させたという話を、把握したいだけなんです」
穏やかだが、充分な棘がある申し出だった。
笑顔を浮かべたままのそれに、水月は小さく唸った。
凌も低く唸って、少年を見る。
「最期のあの仕合の時、ようやくその気配が見えた位、分かりにくい呪いだったんだが、あれは、どう言う類の呪いだったんだ? オレを標的に絞るにしても、そんな曖昧なごまかししか出来ない程の、呪いだったんだろう?」
初めてそう訊かれ、水月は空を仰いだ。
「話すにしても、順序良く話す必要がある。少し考えさせてくれ。経緯を思い出す」
何せ、数百年の間を置いた話だ。
それを知る凌も頷き、エンを促した。
「ここで話す話じゃない。中に入って腰を据えて話そう」
所帯者向けの社宅には、家庭用品も一式揃っている。
こちらに荷物を置きに来た時に、夕飯の材料は買い込んでおいたので、料理をすれば外食する手間もない。
凌と水月は、突然巻き込んだカスミの息子が、手際よく調理する様を見守りながら、この点は正解だったと実感した。
「……三泊するかしないかの場所で、建物崩壊は戴けないからな」
「あんたの手料理は、カスミの旦那と並んで劇薬と同等の食い物だから、明日起きれるか心配だった。免疫を付けようにも、律の元では難しかったからな」
昔の死活問題の話が本当だったと知り、エンは溜息をかみ殺しながら、次々と料理を作り上げていく。
酒と酒の肴になる摘み、ソフトドリンクも用意し、二人が大人しく待つテーブル席に運んで行った。
「……事の発端は、旦那が持って来た、得体のしれない話の、囮だった」
水月が静かに話し出したのは、三人が夕飯を平らげた後で、他の二人がグラスに焼酎を注いでいるのを見つめながら、物足りなそうにオレンジジュースを煽りながらだった。
「鏡月を囮に送り込み、オレが引っかかったその獲物を追って証拠を攫む、そんな段取りだったんだが……」
恐ろしく慎重なその獲物は、その水月の警戒を掻い潜り、鏡月に近づいてしまった。
その結果、従弟の若者は、暫く自失することになる。
「……あの子の、大事なものが奪われてしまった」
その上、獲物はそのまま姿を消してしまった。
「カスミの旦那は、鏡月が囮になった後に、その正体に気付き、オレに知らせようとしていた矢先だったらしく、珍しく謝ってくれたが、こちらはそれで気が済まない」
完全に後手に回った。
何より、取られたモノがモノだった。
「何とか、オレの手で取り戻したいと願い出、単独行動を始めた」
カスミとも情報を交換しながら、独自の情報網を駆使し、水月はそれが人手に渡っていることを知った。
「旦那の情報で、あれを使われたら、取り返せないと分かったんで、少々強引に手に入れる事にした」
買い手の女に近づき篭絡して、それを奪えたのはいいが、その後油断した。
女には、大事な人の忘れ形見だと言いくるめて、それを手に入れて貰ったのだが、それが誤解を生んだ。
「……同じものを、その女が手に入れていて、それで刺されたんだ」
流石にその殺意には気づき、何とか急所は免れたが、それでは済まなかった。
利き手の右腕を刺され、その刃に込められた呪いが、一気に体中を染めていくのが分かった。
すぐに引き抜いて、その返す手で女を斬り払ったが、女は笑っていた。
「あんたの手で、大事な人たちとやらも、そうやって斬り殺せばいいのよっっ」
断末魔の叫びが、その呪いを濃厚にしたのに気づき、水月はそれを抑えるために深く言い切った。
「先に、腹立たしい銀髪男を、斬り殺してからだっ」
「……こら待て」
そこで、凌が話に低く割り込んだ。
目も細まり、険しい顔になっている。
「つまり、お前、痴話のもつれで刺されたのを、無理やり矛先をオレに向けたのかっ?」
水月は大男を凝視し、手を打つ。
「ああ、そうなるな。いや、オレは大事な従弟の為と、そう言う意味で言ったんだが、女が勘違いしたんだな」
「……」
「まさか、女が死んだ後も残るとは思わなかったんだ。情が
いい経験だが、更に不味い状態だった。
「思うに、作り手が込めた呪いだったんだろう。女は死んでも、その作り手は健在だ。だからこそ、女が死んだ後も、オレ自身が死んでも、あそこまで染み付いたままだったんだ」
特に、刺された利き腕は、完全に呪いに侵されていた。
「そこを使われてできた体だからな、本当ならば、この旦那に会ったらまた、襲い掛かっていた」
「つまり、作り手はまだ、健在という事ですか?」
「恐らくはな。だが、あの子は、妙な特技を持っているな」
頷いた少年は、不意に思い出して口にした。
「呪いが、あんな風に引き抜けるとは思わなかった」
「引き抜く?」
いつの事なのかは、この際考えないようにして凌が問うと、水月は空気をつまむように指の形を変え、答えた。
「仕付け糸を抜くように、するりと引き抜かれた。その時の感触は最悪だったが、一気に解けた。あれは、どこで教わった技だ?」
多分、自己流だ。
エンは心の中で答えてから、深く頷いた。
「理解しました。つまりあなたは」
穏やかにゆっくりと、まとまった答えを口にする。
「その大事なものを奪い返そうとして女の人を騙し、その人が嫉妬に狂ったのに気づかずに不用意に近づいた挙句、刺されてしまったんですね」
「……」
「身内全員を対象にした殺戮を、たった一人に絞ったのは、流石と褒めてもいいかもしれませんが、それで解けない呪いでは、意味がないでしょう」
穏やかながら、刺々しい言葉に、水月は神妙に頷いた。
「分かっている。オレもまさか、こんなに長い時を経て、この世に戻って来るとは思っていなかった上に、まさか、呪いも健在とは思っていなかった。やはり、この面位でいいのなら……」
「だから、それは出来ないと言っているでしょう」
静かに吐き捨てて苦く息を吐く男と、神妙に首を竦めた少年を交互に見やり、凌が咳払いした。
「まあ、お前さんからすると、複雑だろうな。こう言う女癖の悪さのお蔭で、呪いを受けたこいつが、足を洗って所帯を持つ事になり、あの娘が生まれたんだから」
「手のひら大から知っているオレとしては、あれがああも人間らしく育ったのが、嬉しいような惜しいような。何とも言えない気持ちなんだ」
初めは、狐の乳幼児だった。
形だけは人の子供だったが、それが大きくなり、両腕で抱き上げる位に大きく重くなった頃、呪いの方がこちらの理性を上まり始めた。
「別れる時は泣きついて、可愛かったんだがな」
苦い微笑みを浮かべる水月を、しんみりと見つめた凌も、小さく笑った。
「その仕草全て、オレは他の奴に持って行かれた」
「それは、あんたの不徳が原因だろうが」
「ああ。だからこそ、つかず離れずで、見守っている。意外に過保護な親を持つ者が多くてな、偶に同情してしまうんだ。だから、そんな親にだけはなりたくない」
「……」
しんみりとした親父たちに混じり、エンは静かにグラスを傾ける。
蚊帳の外になった頃を見計らって、そっと立ち上がろうと思っていたのだが、真顔になった水月が声をかけた。
「ところで、お前さんとうちの娘は、何処まで行っているんだ?」
「? 江戸までですけど」
完全に意表を突かれてしまったため、完全に呆けた答えを返してしまった。
傍でグラスの中身を噴いてしまった凌を横目に、少年が目を細める。
意外に笑い上戸の大男が、腹を抱えて笑うのを見ながら、エンは問いの意味を察し我に返る。
「あ、すみません、何処までとは、どう言う意味ですか?」
「お前さん、意表を突かれると、面白いな」
「そんな事はないですよ。他の奴に比べれば、下の下です」
真面目に答えたのに、水月は呆れ顔だ。
「明後日の方向に即答できる分、しっかりしているが。ほれ、男と女の関係の話だ。AからZまでの、何処まで行った?」
「そこまで行くものでしたか? その基準は?」
「目を合わせて、見惚れる所から行けば、その位は行くだろう」
眉を寄せた問いには、真顔で返された。
何処の初心な男女の話だと呆れながら、エンは苦い気持ちになった。
考えてみると、その何処ぞの初心な男女の話と、どっこいどっこいだ。
「必要な時に、抱きかかえるくらいまで、ですので、Eぐらい?」
「……おい」
呆れた水月の後ろで、凌が腹を抱えたまま蹲っている。
腹痛があるのではなく、笑い過ぎて腹がよじれているらしい。
妙な所に、笑いのツボがあるようだ。
「あの親父の子供も、この親父の子供も、朴念仁かっ。く、苦しいっっ」
「……苦しそうだな。首をはねて楽にしてやろうか?」
笑い乱れる大男に、少年が冷ややかに告げると、片手を振って声なく返事し、必死で息を整えようと足掻いている。
珍しいその光景を見るエンに、少年は苦笑して言う。
「少し待ってやってくれ。一度笑い出すと、中々止まらんから。と言うか、未だにそうだったのか」
酒の席で、くだらない話を聞かせて、大爆笑させるのが、大昔の楽しみの一つだったが、まさか、未だにそうだとは思っていなかった。
「し、仕方ないだろう。命のやり取りの場が多いと、そう簡単に笑えないだろう?」
「そうとはいえ、限度もあるだろうに」
呆れる少年に構わず、ようやく立ち直って来た大男が、涙をぬぐいながらエンを見て問いかけた。
「すでに、子づくりして子育て終了しているくらいまでは、行っているのかと思ったが、違ったのか?」
「それぞれに、子育てならしていましたよ。どちらも男の子を」
血は繋がらないが、双方、弟のように可愛がっていた。
そう答えると、凌はまだ笑いを残しながら天井を仰いだ。
「……」
笑顔が、煙のように消える。
「……旦那。我に返るなり、真顔になるのは、止めろ」
「お前さんの言う弟のようにと言うのは、セイ坊の事か。こいつの娘の方は?」
「
水月も天井を仰ぎ、頷いた。
「あの、大きな若造だな。何やら、篠原家に物騒な物を借りていたようだが」
「ええ。意外に人付き合いは好きらしく、浮名も結構流しているようです」
「……お前さん達の間に、子を作るような仲では、まだないのか?」
「ええ。そんな仲だったら、すでに干からびていると思います」
「干からびる前に女を喜ばせる術を、身につけた方がいい」
二人の真顔での会話に、凌が小さく溜息を吐いた。
娘の恋人と父親の会話ではない、そんな気がする。
だが、子供に夜這いを説明するよりは、いくらかましかもしれないなと、大男は心の中で唸りながら、二人の会話を聞いていた。
甥っ子の娘を見つける予定の旅行が、むさ苦しい男子会になっているような気も、しないでもないが、こんな夜も、偶にはいいだろうと割り切った。
翌日、意外にすっきりと目覚めた三人は、社宅を出て女たちが泊まった旅館へと向かった。
観光する女たちと自分の傍に、もう一人若者がついて回っているのに気づいたのは、女たちがある女子高生たちの班を見止めた時だった。
「……昨日から、いたのかもな。あれは、セキレイのつけた護衛だろう」
「あの社長は、心配性だな」
まあ、どちらでも、女たちが何事もなく観光を終えられれば、それに越したことはないと、そう思っていたのだが、その日の最後にのんびりとした空気が動いた。
集合場所の駅に集まった生徒たちを、教師とガイドは何事もなく移動させ始めた。
その様子から、今戻っていない四人の生徒は、元々許可を取って、ここにはいないという事だ。
「ああ、そう言う話なのなら、騒がれないのは分かるが、何で蓮とやらは、あんなに不審がってるんだ?」
簡単に予想を立てた凌に頷き、水月が疑問を口にした。
「何か、引っかかる事でも、あるのかも知れません」
蓮の勘の良さは、昔から知られている。
エンがそう答えると、水月は少し考えてから、音もなく動いた。
女たちの今日の宿泊場の近くで待機していると、数十分後に少年は戻って来た。
「いない生徒たちの担任の部屋に忍び込んで、問い詰めていた。どうやら、向こうにもあの子は人を付けていたらしい。それが、戻っていない」
蓮らしくない。
エンは、妙な感覚を覚えたが、黙っていた。
「ついでに、律たちの所にも行ってみたが、あちらは話が通っていたらしく、全く不審に思っていない」
律が不思議がって問うのに、寿が気楽に教えたのだ。
「古谷の後継ぎの、従兄がこの辺りに出稼ぎに来ているそうだ。今日は、その男と落ち合って案内してもらって、宿泊もするらしい」
戻るのは、明日の朝、旅館を出る頃らしい。
「移動前の点呼の時までに、戻る予定だと言っていたんだが……」
その従兄の名を聞いて、同じように忍んでいた蓮が、少し緊張した。
「……堤恵?」
エンも、その名を訊き返して、眉を寄せた。
「その男が、何か問題か?」
「……確かに、志門君の従兄です。ですが……」
水月の問いに、男は戸惑いながらも答えた。
「余り、親しくはしていないはずです。それどころか、その男が、執拗に式神を送ったと、そう聞いてます」
古谷とその他の術師の壁があるあの地につくまで執拗に、堤家は年端のいかない少年を追い詰めた。
姉と共に堤を離れ、父親の石川一樹の元へ身を寄せた後は、接触はなかったと聞いている。
「……それなのに、何で、今更?」
それに、何故そんな男の元に行くのを、古谷氏も周囲も止めなかったのか。
「単独で会うのでないのだからと、気を抜いているのか?」
そこまで、危機管理がない子ではないはずだが、ああいう旅行では、浮かれてしまっているかもしれない。
そうは言っても、やはり保護者達の許可があったのは不思議だった。
「似た名前とか、そう言う話でもなかったと思いますし、その男の事だとは思うんですが……」
その時はまだいなかったエンは、自信なさそうに言うが、水月ははっきりと頷いた。
「それで間違いないだろう。寿が出した名を聞いて、うちの娘も恐ろしいほどに露骨に顔を顰めたからな。何も言わなかったが、嫌な相手ではあったんだろう」
言ってから、黙ったままの大男を振り返る。
その視線を受けた凌は、慎重に言った。
「堤か。確か、女系の一族で、何代か前に降りかかった災難で、代々の当主は、三十半ばで鬼籍に入るようになったと、聞いたことがある。長く住む屋敷のある物を守る代わりに、寿命を削る一族、そう噂されていたな。本当の所はどうなのだろうな?」
「律に訊けば、もう少し詳しく聞けそうだが。今は分散した一族なのだろう? 当主だった娘は石川家に、その弟は古谷家にいるのだから、その守護をする必要は、ないのだろうから、寿命は削らなくなったのでは?」
冷静にそう返す少年に頷き、大男は続けた。
「表向きはそうだが、ああいう古い家は、一枚岩ではないからな。特に、今回の離散の理由が、当主の狙った、他の一族の蛮行だ。当主やその係累は、安全圏に追いやれたが、地元に残された堤の人間は、身の危険を感じているだろう。どうやら相手は、自分がやった事を棚に上げて、逆恨みするような奴ららしいからな」
そこまで説明してから、凌はある一族を名指しした。
「林家。関東の半数を、今では牛耳っている、有力な術師一族だ」
その一族は、代替わりの度に、宿敵を抹殺してきたことでも知られる。
「もう一つ、龍神を身に下ろして、ご神体を作るとも言われているが、眉唾だろうな」
「……龍は降ろすものだったか? 生まれるものだとばかり思っていた」
「ああ、オレもだ。ああいう生まれ方をする奴が、まだいるのか探してみたいもんだな」
真顔での説明に、水月が少し笑って茶々を入れると、凌も笑って頷く。
そうして、再び真顔になった。
「どうやら、その林が、堤を吸収しようと動いたのが、先の堤家当主の襲撃だったらしい」
今、その襲撃をした林家の当主は、病床にいる。
「堤も、女系に拘らければ、ああも衰退していなかったんだろう。林家が放った式神を、倍の強さにして返した奴がいる。それが、堤家の当主の従兄だったと、松本家の元祖は予想していた」
あの頃から、堤は関東のもう半分を制圧し始めていた、北森家と縁を紡ごうとしていた。
「だが、没落してしまったがために、それが水の泡になり、力をかき集めて関心を買おうとしていると、水面下で噂が出始めている」
「つまり、一度は追い払った当主の血縁を、己の保身のために餌にしようとすることも、あり得るという事か?」
眉を寄せた深い読みに、凌は深く唸った。
「あり得るが、少々つじつまが合わないな。その位の不安は、古谷家も持っているはずだ。従兄であるその男が、その少年を連れ去る可能性もあるのに、全く警戒していない。少年本人もだ。何故、命を狙った男の名での誘いに、普通に乗ったのか」
考えうる理由は、いくつかある。
「……従兄は従兄だが、別な奴の話だとか?」
「堤家の先代当主の姉弟は、弟だけです。その弟が娶った正妻は、男の子を一人産み、早くに故人となっています」
「実は、同姓同名の、全く術師と係わりない男が、偶々古谷家の知り合いで、その男の好意で旅行を楽しませようと、古谷家が段取りした?」
「それなら、わざわざ、従兄と言う間柄を、付け加えますか? 古谷家の信頼度は、意外に高いんです。あの家の旧知と知られていれば、血縁でなくても怪しまれないようです」
「それは、本当に大丈夫なのか?」
知恵を絞って可能性を口にするのを、エンが穏やかに斬り捨てると、大男は難しい顔になって黙り込み、少年は別な不安を口にしたので、男は言葉を補足する。
「知人との顔合わせを段取りするなら、古谷家は情報を偽らないと、そう言っただけです」
「……つまり、その堤恵本人である可能性が、高いんだな?」
それを承知の上で、志門は何故か無警戒で級友たちと、出かけてしまった。
「連絡先も、一応学校の方で把握しているのだろうが、それを手に入れるのは、あの学園に限っては難しいな」
今は堅気で、教育を担っている学園の長だが、血縁を辿れば裏稼業でもまれた事のある、侮れない家系だ。
「……学ぶ者には懐が深い人でしたが、それを邪魔する者には、容赦の欠片もなかったと、創立者の話は伝わっていますね」
その下で働く教師たちも、生半可な事では情報を吐かないだろう。
地元でそのことをよく知る二人が考え込むのを見て、水月は頷いた。
「分かった。別口から、情報をかき集めよう。ついでに、あの蓮と言う子にも、接触する」
「だが、事を大きくし過ぎても、目立つぞ」
「多少なら、構わんだろう。不安を持ったまま、この場を過ごすのは、割に合わん」
大男と少年は頷き合い、立ち尽くしていたエンに目を向けた。
「お前は、社宅の方の戻っててくれ。二時間後には戻る。無駄骨でも腹ごしらえは、大事だからな」
こういう時でも、それは忘れない。
気楽に手を振って二手に分かれ、大男と少年が去った後、エンは言われた通り社宅に戻り、夕飯の準備を始めた。
何かが引っかかったまま、それでも染み付いた動きは全くぶれない。
手際よく準備を終えた後、気分転換にベランダに出た。
所帯者向けの住宅らしく、ベランダは広く、晴れた日は洗濯物がある程度干せる仕様になっていた。
柵で区切られてはいるが、一階の角部屋のベランダでは、夜景も望めない。
だが、山はすぐ傍にあった。
暗くなった外を見ながら、何がそんなに引っ掛かるのか、深く考えてみる。
セイの周りに集まる連中の家族の事は、頭に入っている。
古谷家の後継ぎになった少年の過去も、一応知っていたが、その座に収まるに当たっての、弊害があったという話は聞かなかった。
堤を出る時の事情も聞いたが、それも解決済みと、そう聞いていた。
だから、話に出た従兄の件も、もう障りはないと思っていたのだ。
それなのに、今更、接触してくるのも不自然だし、それを了承した古谷家も、少年自身も不自然だ。
そして、蓮の態度も不自然だ。
不審に思う蓮が、珍しいからではない。
気楽に他人に仕事を任せる動きも、もしもを考えずに、守護する相手から意識を放すのも、不自然な位に珍しい。
それだけ信頼している相手に、任せたのだろうとは思うが、信じすぎるのは蓮らしくなかった。
本当ならば、どう言い訳するのか聞きたくて、蓮と接触したかったのだが、恐ろしく動きが早い二人に、それは任せよう。
空は暗くなっていたが、街灯が明るすぎて、星はあまり見えない。
残念だなと思いながら空を見上げたエンは、二階で同じように、ぼんやりと空を見上げる男に気付いた。
部屋からの明かりに照らされた顔は白く、髪色は薄く光を吸い込んでいる。
その目が、妙に獣めいた輝きを放っているのを見て、思わず声を出した。
「……何で、ここにいるんだ?」
その小さな声に見下ろした瞳は、薄い青色に光って丸くなっていた。
エンを見止めた男は、ほんわかと笑みを浮かべる。
「なんだ、あんたも、学生の旅行のお守りか?」
「お前は、そうなのか?」
探りの言葉に、男はまたほんわかと笑った。
「ああ」
頷き、後ろを振り返って答えた。
「知り合いとその友人を、観光案内した後、ここに招き入れた所だ」
「そうか」
頷いたエンは、暫し考え込み、再び男を見上げた。
「キィ。その知り合いの子に、挨拶しに行ってもいいか?」
「ああ。構わないぞ」
笑いながら了承されたので、エンはさっそくベランダから部屋に入り、手土産を持って部屋を出た。
二階の真上の部屋を訪ねたのは、数分だ。
すぐに元の部屋に戻り、男二人に帰りを待った。
待ちながらも、ついつい呆れを溜息に滲ませてしまった。
「……世の中には、命知らずがいるもんだな」
その覚悟ができていて、この些細な騒動を起こしたらしいが、それに巻き込まれた人たちが、最悪だった。
何とかあの二人に話を持って行ってやりたいが、今どこにいるかも分からない。
二時間と時間を区切ったという事は、恐ろしい事にその時間内で、例え難しくなった話でも、強引に事を解決する気でいるのだ。
つまり、戻って来た時には、あの高校生を餌にした連中は、この世にいないかも知れない。
「手加減、してやって欲しいが、こればかりは、どうにもならないな」
エンは嘆きながらも、手土産に持って行った分減った夕食を足すべく、再び台所に立った。
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