青薔薇アンティークの小公女

道草家守

本編

序章 ブラウニーの困りごと

第1話 落ちこぼれの花売り娘



『花と妖精の品を求めるなら一番』だと語られる青薔薇ブルーローズ骨董店アンティークには、うわさがある。


 妖精にまつわる話を持ち込めば、必ず解決してくれる、というものだ。


 スズランのドアベルを鳴らし、花と妖精にまつわるアンティークで埋め尽くされた店内に踏み込めば、自身が妖精のように美しい店主が出迎えてくれる。

 どんな眉唾モノの話でも、銀髪の店主は朗らかに答えるのだ。


「ありがとう、どんな妖精の話かな」と。


 店主の傍らには、必ず青薔薇のような装いの少女がいるという。

                    



 *



 小鬼インプやエルフと呼んだなら、よくよく気をつけてくださいな

 もし妖精と呼んだなら、いろいろ邪魔してやりましょう

 けれど良き隣人と呼んだなら、良き隣人となりましょう

 愚かな魔女と呼ばないならば、仲良くしましょう、いつまでも

                ――『Popular rhymes of Scotland』より翻訳




 エルギスは、妖精と契約をして建国されたという言い伝えがある。

 妖精女王との約束の詩は、エルギス人ならば一度は聞いたことがあるほど有名だ。


 科学の発展によって様々な不思議が解明された今も、たとえおとぎばなしだと語られていてさえ生活の端々に息づいている。


 首都ルーフェンの初夏の華やかさが、「妖精に愛された」とたたえられるように。


 立ち並ぶレンガ組みの建物のバルコニーには、厳しい冬を耐えた花々が咲き誇り、空気もどこか軽やかだ。

 ルーフェン特有のどんよりとした曇り空の下でも、道を行き交う人々の足取りは軽く、せわしない。

 二階にまで人があふれるほど満員の乗合馬車、大量の荷物を満載した荷馬車と、着飾った貴婦人や紳士ジェントリを乗せているだろう馬車が同じ道を走る。


 ローザが居る駅前の大通りも、それは同じだ。

 自分のしろも、求めてくれる人がきっと居るはず。

 花が売れなければ、おしまいだ。


 薔薇を入れた籠の持ち手を握りしめたローザは、もう一度自分の身なりを確認する。

 真っ黒の髪は癖があってまとめづらいけれど、なんとかひっつめた。

 小花プリント地のワンピースは色があせて茶色くなってしまっているが、白いエプロンのおかげで多少は見られる姿のはず。

 顔が多少汚れているのは仕方がないけれど、どこからどう見ても花売りの娘である。実際、この仕事を始めてひと月になるのだから当然だ。


 ローザは無意識に長い前髪を引っ張ったあと、前髪の間から、目の前の乗合馬車の停留所を見た。


 狙うのは、馬車から降りてきた人達だ。

 身なりがれいで、できれば異性の連れが居る人がい。女性を連れている紳士は、女性に良いところを見せようと、買ってくれる可能性が高い。ミーシアがそう教えてくれた。


 馬の引く二階建ての乗合馬車がまり、人々が降りてくる。

 ローザは震える足をしっして、馬車から降りてきた流行のドレスを着こなした貴婦人とステッキに山高帽子をかぶった紳士の二人組に近づく。

 そして、からからに渇いている喉に唾を送り込み、声をあげた。


「あ、あのっ」


 裏返ってしまったローザの声でも、貴婦人は振り返ってくれた。

 無視をされることも多い中で、快挙である。

 あとは、「お花はいかがですか?」と続ければ良い。今一番好まれる薔薇だ。

 きっと一輪くらいなら、買ってくれる。


 そう考えた頭は、貴婦人の視線を感じたとたん、真っ白になる。

 人が、見ている。見られている。ローザの頭は勝手に思い出す。

 悲しげな母の瞳から涙がこぼれ、頰を伝って落ちた。


『あなたの目は──……』


 母の言葉が耳に木霊して、思わず顔をうつむかせてしまい、ローザはさらに焦る。せっかく立ち止まってくれたのに、これではいけない。


「あ、あの、あの……お、おは、おはな……」


 なんとか、声を紡ごうとするのに、全く言葉にならない。

 ほほんでいた貴婦人だったが、困惑の気配が色濃くなる。目の端に映る隣の紳士は眉をひそめており、徐々にいらちが混ざり始めた。

 自分なんかのために立ち止まってくれたのに、どうしても、目が合わせられない。

 恐怖と強い不安に支配されて、もはや立ち尽くすだけだ。


 ローザは、唐突に背の高い娘に押しのけられる。

 彼女はまっさらなエプロンを身につけ、花売りらしくたっぷりの花を詰めた籠を腕に下げていた。

 ローザに花の売り方を教えてくれた、先輩花売り娘のミーシアだ。

 ミーシアはぱっと華やかな笑顔で、薔薇を差し出す。


「奥さん! 花を買ってちょうだい!」

「まあ、なら一つもらおうかしら」


 素朴で明るい彼女に、たちまち警戒を解いた貴婦人が薔薇を受け取る。

 それは、ローザが言うべき言葉だったのに。

 まただめだった。ローザは前髪の陰で目を潤ませてうつむいた。


「ブラウニー! また客を怒らせかけたね!」


 とがった声に、ローザはびくんっと体を震えさせて振り返る。

 すると、顔見知りで同じ花売り娘のダナが、険のある表情で立っていた。


「お前のせいでこのへんの花売り娘が気味が悪いって噂が立ってんだ。あたい達にも迷惑かかってんだよ」

「も、申し訳……」


 ローザが声を詰まらせながら謝罪を口にしようとすると、ダナは心底嫌そうにする。


「んな気取った言い方やめとくれ! 花売りの癖に、自分が公女とでも思ってんの!?」


 おびえたローザが口を押さえて黙り込んでも、ダナの苛立ちは収まらない。


「客に声もかけられねえなんてやる気あんのかよ。いたずらして邪魔がしてえだけじゃねえの。前ん所でもブラウニーって呼ばれてたんだろ」

「あの、それは……」


 彼女の怒りにされて、ローザが震えると、ダナは深々と息を吐く。


「ほんっとにブラウニーみてぇだ。ちびで、目がぎょろっとして気持ちわりぃし、お高くとまった言葉使いにはが出るね! 茶色い服がお似合いだよ。けどブラウニーならあたい達の仕事を手伝うけど、あんたは仕事の邪魔ばっか! 縮こまっておどおど愚図で、みっともないったらありゃしない!」


 言われたことはすべてその通りだ。ローザの心に突き刺さる。

 ブラウニーは、エルギスに伝わる毛むくじゃらで醜い顔をした妖精だ。いたずら者や、醜いものの形容としてよく使われる。

 ローザ自身も、彼女達に比べれば自分が見劣りするのはよくわかっている。


 貴婦人を見送ったミーシアが、ローザとダナの間に割り込んだ。


「ダナ、そんな風に言うもんじゃないよ。妖精みてえにいたずらされても知んないから」


 忠告されたダナだったが、自分が正しいと確信していて全くひるまない。


「妖精なんてお伽噺だろ。それにあたいは知ってるよ。面倒みてるけど、ミーシアだってブラウニーは仕事の迷惑だって思ってんだろ」

「……っ」


 ミーシアの横顔がこわばるのに、ローザは諦めに似たものを感じた。

 彼女が何を考えたかは、察せられる。


「そんなことっ」

「い、いいの、です……わたしが、悪いのですから……」


 ミーシアが言葉を続けようとするのを、ローザは彼女の袖を引いて止めさせた。

 なるべく、丁寧に聞こえないように言葉を選ぶと、どうしてもつっかえてしまう。

 複雑そうに目をそらすミーシアに、ダナは勝ち誇った顔になる。


「ブラウニー、あたい達の邪魔なんだから、もうここには来るんじゃねえよ。どうしてもって言うんなら、せめて夕方から夜にすんだね」

「ダナ!」


 なぜかミーシアが語気を強めてとがめても、ダナは気にしない。

 身を翻して立ち去るとき、ローザの肩にどんっと当たって行った。

 よろめいたローザは、深々と息を吐くミーシアを見上げた。


「あの、夕方から夜、ならお花を売っても良いのですか」

「やめときな。夕方から夜の花売りは、春も売るしょうだ。一度に金は稼げるけど、あんた、できる?」


 ひっと、息をんだローザは、ぶんぶんと首を横に振って否定する。

 疲れをにじませながらも、ミーシアはローザに向き直る。


「そうだ、また手紙をもらったんだ、読んでよ」

「……はい」


 気を使ってくれているとわかったが、それでもローザはあんしてうなずいた。


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