笑いのツボ
@Ak_MoriMori
笑いのツボ
いつの間にか、笑わなくなった。
『腹の底から笑う』という行為ができなくなったのだ。
出来ることと言えば、話し相手の笑い話を愛想で笑う程度だ。
面白いというテレビ、漫画、小説といった様々なメディアを見ても、面白いと感じず、笑うことはない。
原因はわかっている・・・世の中がつまらないからだ。
学生時代までは笑いに包まれていた私の人生は、就職を機に変わった。
就職後、笑う暇はなかったし、笑えないことの連続だった。
私は人生の折り返し地点に来て、ようやくひとつの教訓を得た。
それは、『人生はつまらない』だった。
そんな私が、久しぶりに口元をほころばせたのは、ある店に入った時だった。
そこは、今にも崩壊しそうな古くさい骨董屋だった。
私は骨董などに興味はなく、普段だったら入らないだろう。
しかし、その時は、なにかに引き寄せられるように店の中に入ってしまった。
キザな言い方をすれば、『害虫寄せのニオイに引き寄せられた』のだ。
「なぜ、こんなところに入ったのだろう」と思いながら、薄暗く、薄汚い店内を物色した。ホコリまみれのガラクタのような商品の値札を見ると、びっくりするような値段がつけられている。例えば、サイケな彩色がなされた皿の値段は『一枚十銭』だ。
この時代、どこに『銭』で取引する店があるのだろう?
お釣りは、いったいどうなるのだろうか?
そんなことを考えながら、一つの逸品を見つけ出した。
そして、それが、私の口元をほころばせた原因でもある。
それは大きな白いツボだった。
もしかしたら、ツボではなく、カメかもしれない。
口はすぼまっているが、幅が広く、私の頭がすっぽり入りそうなくらいである。
そして、高さが私の腰くらいあるから、約一メートルくらいはあると思われる。
私の口元をほころばせたのは、その白地に施されたデザインだった。
ツボの正面に大きく『笑』の字が勘亭流で描かれ、丸で囲まれている。
そして、その下に大きな口が描かれ、その口から赤い舌が悪戯っぽく飛び出している。
その異様なデザインが、私の瀕死の笑細胞を刺激し、私の口元をほころばせたのである。
これを部屋に置きたい・・・そんな気持ちが芽生えた。
毎朝、これを眺めたら、きっと一日が楽しくなるかもしれない。
その考えは、一時の気の迷いに過ぎないことはわかっていたが、私は決断した。
どうせ、部屋の中が狭くなって困るのは俺だけじゃないか・・・。
それに・・・値段が破格だった。
値札には『百銭』とあり、まさにワンコイン価格だったのだ。
私は店主を呼び、ツボを購入したいと伝えた。
皺くちゃで土気色をした店主は「あ」と一言発すると、おんぶ紐でツボを背負えるようにしてくれた。
私は、店主に礼を言い、ツボを背負うと家路に着いた。
それにしても、私が家路に着く途中、すれ違う人々が皆、私の背中越しに噴出していたことには驚いた。
やはり、このツボは、デザイン通り『笑いのツボ』なのだろう。
家に着くなり、私はツボを部屋に飾った。
もちろん、『笑』と赤い舌がどこからでも見えるように置いた。
部屋の中はかなり狭くなってしまったが、『楽しくなるためだ』とあきらめた。
私は、テレビをつけると、くだらない番組を見ながらチビチビと飲み始めた。
いつもなら、つまらないテレビのせいでさっさと飲み終え、眠りについてしまうのだが、その日はツボのせいだろう、いつの間にかテレビを消し、ツボを眺めながら飲んでいた。
そのツボは、本当に見ていて飽きなかった。
勘亭流の『笑』が、私になんらかの催眠効果を与えているのかもしれない。
『笑』の下の赤い舌もまたいい味を出しており、その悪戯っぽく出された舌は、今にも右に左にと舌なめずりをしそうに見える。
(このツボは・・・そのうち、きっと笑い始める。ケタケタと笑い始める。)
そう思った矢先のこと、本当に笑い声がツボの方から聞こえてきた。
ただ、笑い方が想定したものと違ったが・・・。
「クックック・・・クックック・・・。」
押し殺したような低い笑い声が、ツボの方から聞こえてきた。
私は驚かなかった。
むしろ、残念だった・・・甲高いケタケタ笑いが聞きたかったからだ。
・・・いや、やっぱり酔っていたからだろう。
私は、ツボの方に向かった。
まだ、笑い声は続いている。押し殺した笑いは、どこか自嘲的のように聞こえる。
「クックック・・・クックック・・・。」
笑い声は、やはり、ツボの方から聞こえる・・・いや、ツボの中から聞こえる。
私は意を決して、ツボの中を覗き込んだ。
そこには・・・何もなければ良かったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
そこには、頭のようなものが転がっていた。短髪の頭と笑い声から男の頭と思われた。思われたと言うのは、後頭部しか見えなかったからである。
その頭が、突然、ごろりと転がった。
目と目が合った・・・。
「クックック・・・クックック・・・。」
男の頭は、私の目を見ながら笑い続けた。
男の目は少しも笑っておらず、悲しそうにこちらを見ている。
「なにが・・・おかしいんだい?」
私は、男の頭に話しかけていた。
『独りのほうが気楽でいい』と周りに吹聴している私であったが、知らず知らず、独り身の寂しさを抱え込んでいたのかもしれない、いや、単に酔っているせいかもしれない。
男の頭が、ギョッとした表情になった。
「あんた・・・冷静だな・・・たいていの奴は驚くんだが・・・。」
「ああ、ツボが笑うんじゃないかと思っていたから・・・ただ、笑い声がなぁ。
『クックック』より『ケタケタ』の方が良いと思う。」
「そうか? そうかもしれんな。ただ、こっちにも都合があってな、『ケタケタ』じゃ雰囲気が出ないんだよ。俺はな、自分の末路に対し、自嘲気味に笑ってるんだ。」
いつもと違う展開に戸惑っているのだろうか、男の頭は困惑気味だった。
「ふーん・・・自分の末路って・・・首だけになったことかい?」
「そうだ。オレはな、ツボにはまりこんじまったのさ。笑いのツボにさ。
笑いのツボにはまっちまったから、仕方なく、こうやって笑っているのさ。」
男の頭はそう言うと、仕方ないのさと言わんばかりに、ふぅっとため息をついた。
「ふーん・・・笑いのツボね。でもさ、笑いのツボにはまったら、そんな風に笑うんじゃなくてさ、『ゲラゲラ』笑うんじゃないの?」
「ツボはツボでもそのツボじゃない・・・このツボ、この笑いのツボの話だ。
オレはな、犠牲者なんだよ。この笑いのツボの・・・。」
「犠牲者? どういうことだ?」
「知りたいか?」
男の頭の目が、一瞬光ったように見えた。
私は、そんな男の目つきに不安を覚えた。
「ああ・・・知りたい・・・ような・・・別にどうでもいいような。」
「いや、教えてやるよ。こういうことさ!」
男の頭がそう言うと、突然、ツボの口が私に向かって伸びてきた。
・・・
目を開けると、あの男の頭が私の目の前にあった。
「こういうことさ。
いつもなら、驚いているところをさっさとやっちまうんだが・・・あんたが、話しかけてくるから、テンポが狂っちまったよ。
まあ、こうしてあんたの頭もツボにはまったし、めでたし、めでたしっと。」
男の頭はそう言うと、ゲラゲラと笑いだした。
その笑い声に応えるように、あたりからゲラゲラと笑い声が起きた。
ここにあるのは、あの男の頭だけではなかった。
あたりには、無数の頭が転がり、ゲラゲラと笑っていた。
彼らもまた、笑いのツボの犠牲者なのだろう。
頭だけになった私も、一緒になって笑い始めた。
ゲラゲラ、ゲラゲラと笑い始めた。
周りの頭たちは、私の頭がツボにはまったことを嘲笑しているに違いない。
しかし、私は違う。
私は、嬉しくて仕方ないのだ。
つまらない人生から解き放されたことが、たまらなく嬉しいのだ。
そして、なによりも、人生の幕引きが平凡でないことが嬉しいのだ。
こんな結末・・・だれが信じる?
こんな結末・・・だれが想像できる?
こんな三文小説のような終わり方が出来ることが、たまらなく嬉しいのだ!
私は、今の自分に腹がないことを忘れ、腹の底からゲラゲラと、いつまでもいつまでもツボの中で笑い続けるのだった。
笑いのツボ @Ak_MoriMori
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