第215話 リック、切り札を手にする
「頼む! リック殿が振る舞ったあの酒の作り方を教えてくれないか!」
ウィスキー侯爵が地面に着きそうなくらい頭を下げてくる。
「もちろんその対価は払うし、今後リック殿やドルドランドに何かあった時は、必ず力を貸すことを約束する」
エミリアやサーシャだけではなく、この人もウイスキーの魔力に魅せられたようだ。
それにしても侯爵の権力を使って、一言酒の作り方を教えろと言えば済む話なのに、この人は礼儀を持って接してくれている。
だがこれは俺にとっても悪い話ではない。
荒れたドルドランドの復興には金がいるし、領地の近いウイスキー侯爵が今後後ろ楯になってくれるならありがたい話だ。
それにウィスキーをドルドランドだけで独占すると、必ず妬む者が現れ、いずれドルドランドに災いをもたらすだろう。
「今すぐに決めることは出来ませんが、前向きに検討させて頂きます」
「おお! それは本当か!」
「はい。エミリアとサーシャにも相談して早めに返答します」
「ありがとう! では我が領地で吉報を待たせて頂く」
ウイスキー侯爵は兵士達を引き連れて領主館を離れていく。
「行ってしまいましたね」
背後から声が聞こえたので後ろを振り向くと、いつの間にかサーシャがいた。
「先程のお話はドルドランドにとっても悪い話ではないと思います。リック様のお酒は独占すると、争いの種になる可能性があるかと」
さすがサーシャだ。わかっているな。
「ですが問題は、リックの魔法なしであのお酒が作れるかどうかです」
「それはたぶん問題ないと思う」
確か中世の頃には蒸留酒は作ること出来たはずだ。その技術が今この世界にあっても問題ないはずだから、後で本を見て確認しておこう。
「本当ですか! それでしたらドルドランドでも生産すれば毎日あのお酒が飲めるということですね!」
うわあ⋯⋯サーシャがすごく嬉しそうだ。
昨日あれだけ飲んだのにまだ飲み足りないのか。
「リック! こんな所にいたのね!」
「げっ! エミリアがもう追ってきたのか!」
もう一人の酒豪が現れた。
まずい。先程のようにこんな人目がつくような所で
こうならったら身体強化の魔法を使って逃げるしか⋯⋯
「絶対に逃がさないから!」
ダメだ。エミリアが猛スピードで迫ってくるため、魔法を使う時間がない。
このままだとエミリアの手によって、ズタボロにされる未来しかない。
「エミリアが怒っているようですが、どうされたのですか?」
「いや、その⋯⋯」
もうこれは逃げられない。
だがこの場にサーシャがいて助かった。こうなったらもうあれをやるしかない⋯⋯
「実はさっき裏庭で――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
エミリアが後ろから抱きつくような形で、俺の口を両手で塞いできた。
「何をしているんですか? リック様から離れて下さい」
「そ、それはリックが変なことを言おうとしているから⋯⋯」
「変なこと? それって何のことでしょうか」
「た、大したことじゃないわよ! ね! リック」
エミリアがサーシャの問いに慌てふためく。
やはりエミリアは猫化したことを、仲が悪いサーシャには知られなくないようだ。
「そうだにゃ」
「そうだにゃ?」
サーシャが可愛らしく首を傾げて、頭にはてなマークを浮かべる。
「な、何を言ってるのかしらリックは! ちょっとこっちに来なさい!」
俺はエミリアに引きずられてサーシャから離される。
そして領主館の壁まで連れて来られると、エミリアの怒りが爆発した。
「リックゥゥ⋯⋯どういうことかしら? 誰にも言わない約束よね」
「お、俺は何も言ってないぞ」
「こうなったら壁ドンで、リックの記憶を抹消しようかしら」
「壁ドンはそんな恐ろしい技じゃないぞ」
女の子をときめかせる技だ。
「と、とにかくもう追い回さないから、サーシャにはぜっっっったいに内緒よ!」
「わ、わかった」
やはりサーシャには一番知られたくないようだ。
サーシャの前で猫化の話題をちらつかせれば、エミリアが折れると思っていたが、まさかここまで上手くいくなんて。
やはり人間の対話という文化はすばらしい。
こうして命の危険から回避することが出来たが、本当の窮地はこれからだということに、今の俺は知るよしもなかった。
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