次元漂流ROUTE-15

琴鳴

1.襲撃


 夜があけた。特にとりたてて言うべきこともない朝だ。正月でもなければお盆でもない。晩秋のごく平凡な一日のはじまり。


 ただ、やや気温が低く、靄(もや)がでていた。


 白い粘液質の靄だ。


 大手コンビニチェーンの鶴見大川支店のアルバイターである小久保忠俊は二十二歳の大学生だった。このアルバイトをはじめて三ヶ月が経過している。まず、中堅どころといったところだ。


 深夜のコンビニは強盗にねらわれやすい。特に横浜市鶴見区は、そんなにお上品な土地柄ではない。用心のために若い男子アルバイターが三人は常駐している。


 今日は、小久保と、新川忠志、榎本聡の三人がいた。


 小久保はレジに入っていた。新川は商品棚のチェック。榎本はバックヤードで在庫の確認をしている。


 客はとぎれていた。すでに電車は走っているから、朝帰り客や、早朝出勤の客などが立ちよりはじめてもいいはずなのだが、その時はどういうわけか店内に客はいなかった。


 店内のBGMはあいかわらず軽薄な女性タレントのナレーションで、工場で大量生産している弁当がいかに美味かを力説している。たしかに芸能人はテレビ局で仕出し弁当ばかり食べているので、弁当の味を解説する資格はあるかもしれない。


 小久保はレジから雑誌コーナーの先のガラス壁を通して外をながめた。白い靄におおわれて、なにも見えない。


 客もおらず、店長もいないとなると、気分もだれる。つい、あくびがわきあがってくる。


 と。


 自動ドアがひらいて、溶けかけのアイスクリームみたいにねっとりとした靄が店内に流れこんできた。


「いらっしゃいませ」


 あくびを途中でのみこみ、小久保は背筋をおざなりに伸ばした。


 その姿勢のまま、凍りついた。


 子供がいた。


 一人ではない。三人だ。


 三人とも十歳から十二歳くらいに見える。いわゆる小学校高学年――というところか。


 奇妙な姿だった。


 上半身は裸。いまの季節にどうしたものか、驚くほど日焼けしている。髪は、レゲエシンガーのようにボサボサに長く、顔にはクレヨンで描いたのか毒々しいペインティングがほどこされている。手には、アイスホッケーで使うスティック。足にはインラインスケートだ。ズボンは、ジーンズだったり、短パンだったり、いろいろだ。いまの気候だと、ちょっと寒すぎるような気がする。


 などと考えている暇は実はそんなにはなかった。


 子供たちが、奇声をあげながら、店内で暴れはじめたからだ。


 小久保は頭をかかえてレジのなかにもぐりこんだ。


 スティックがキャッシャーにぶち当たってすごい音がした。


 変声期前のかんだかい声を炸裂させながら、インラインスケートを履いた小猿たちが店内を駆けめぐりはじめている。


 ガラスが砕ける。商品棚のカップラーメンが飛散する。


「よせっ、あぶねっ」


 新川はうろたえて、わめいている。二十歳になったばかりの新川は百五十センチそこそこしかない短躯だ。体格的には襲撃者たちと大差はない。


「なんだっ」


 バックヤードから異変を察知して榎本が飛びだしてきた。二十五歳のフリーターである彼が、なんだかんだいっていちばん場慣れしている。上背も百八十センチ以上ある。


「小久保っ、警察をよべっ」


 榎本は叫びながら、小猿をとらえようと大きく両手をひろげた。


 顔に極彩色のくまどりをした襲撃者は、白い歯をむきだしにしながら、スティックを振りあげた。


「くそっ」


 武道の達人というわけではない榎本は、さすがに突進してくる敵から身をかわさねばならなかった。


 勢いあまった襲撃者は、笛のような悲鳴をあげつつ冷凍食品コーナーに激突した。


 膝のあたりをおさえながら床をころがっている。


 榎本は、賊を取り押さえようとしてそちらに向かった。その後頭部を衝撃がおそった。


 もうひとりが、すぐそばまで来ていたのだ。スティックでしたたか頭をなぐられた榎本はうずくまりながら、たちまち戦意を喪失した。


 その数瞬前。


 小久保はレジのなかに設置されている緊急連絡ボタンを押し、それから電話を手にとって110番をプッシュした。


「ご、強盗です! すぐにきてくださいっ!」


「場所はどこですか」


 小久保はコンビニの場所を告げた。いまは、どこから連絡しているか、犯人の規模や武装の状況などを口早に叫んだ。


 その間、賊はどうしていたか。


 攻撃に参加していなかった子供たちが十人ちかくどかどかと入りこみ、それぞれ手にしていた大きな布製の袋に缶詰やインスタント食品、お菓子、ジュース類などを詰めこんでいた。


 いかにもやり慣れているという感じだ。


 スティックを持った三人の少年たちは、小久保や新川、頭をおさえてうなっている榎本を、それぞれ分担して監視しているようだ。といって、警察に電話している小久保をどうかしようという気はないらしい。


 小久保はじりじりしていた。


 電話をしてから一分は経った。ことによると三分くらい経っているかもしれない。


 だが、パトカーはまだこない。


 第一京浜すなわち国道十五号線に面したこの店は、早朝とはいえ、車の交通量は多いし、歩行者だっている。警察署もさほど遠からぬところにあるのだ。


 なのに、白い靄でつつまれたガラス窓の外から、異常を察して様子を見にくる者もいなければ、肝心な警察もなかなかやってこない。


 たっぷり五分は経ったろう。


 子供たちは袋にトランクスやティッシュのような雑貨まで詰めこんで、意気揚々と引きあげはじめた。


 武装した三人も、しんがりよろしく、徴収部隊のあとから店を出ていこうとする。


 ここに至って、ようやく小久保の脳裏に負けん気がわきおこった。いくら何でもこんな子供たちに店を襲われて、ただ黙って見ていたというのは、先任アルバイターとして情けないと思ったのだ。


「まて、この野郎」


 レジから躍り出て、最後尾の少年に駆けよった。冷凍食品コーナーにぶつかった子供だ。すこし片足をひきずっている。


 そのせいか、小久保の一撃をまともに受けた。肩のあたりだ。少年はよろけて、店の外に転げ出た。


 小久保はそれを追って、開いたままの自動ドアをくぐった。


 靄が顔にあたった。見た目の印象そのままの、ねっとりとした感触。


 まるで壁みたいだ――と思った。


 その時には、靄の層を顔だけ突きぬけていた。


 と、乾いた熱い空気が顔をなぶった。


 目をみひらいた。


 国道十五号線の風景。いつも見慣れているはずなのに違和感があった。


 まず、明るすぎる。夜明け後まもなくのはずなのに、すでに太陽がぎらぎらと照りつけている。


 そして、暑い。アスファルトが焼けている。その匂いがたしかに鼻腔にとどいている。十月の夜明けに、どうしてこんな熱気にあぶられているのか。


 最後に、決定的なことに。


 自動車が走っていない。人がいない。いつもどこかを走っているはずの電車の音がしない。


 無音。


 目の前には、子供が尻餅をついている。小久保を見あげている。


 白い歯がみえた。笑っている。


「きてもいいよ。でも――やめたほうがいいとおもうけど」


 小久保は顔をひいた。


 靄に視界をふさがれたとき、たしかに子供の笑い声を聞いたような気がした。


 ふりかえると、新川が背後に立っていた。


「にげられちゃいました?」


 唇の半分がめくれあがっている。声もひきつっている感じだ。


「……ああ」


 つぶやくように言ったとき、急速に目の前の靄が晴れていき、夜明け直後の冷たい空気が頬にあたった。そして、パトカーのサイレンの音が間近で聞こえた。


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