第24話 永遠の絆

伊織の漕ぐ自転車が何度か、段差を乗り越えて、オイルを差していない車体が、金属の軋む音を鳴らす。エリカはその度に伊織の肩をぎゅっと掴む。右手に鈍い痛みが走る。

殆ど、伊織の背中に身を預けるようにしていて、伊織の、短めの襟足の下に垣間見える項も、いつになくはっきりと視界に入る。その項の色は朱色に染まったままだった。自転車を必死に漕いで、体が温まっているだけではない事は、伊織の体が緊張に固まっているのを背中越しに感じて、すぐに分かった。

『エルヴィーラ、待っててね・・・。絶対に貴女を連れて帰るから。だから、まだ、美代さんのところには、どうか行かないで・・・!』

そう祈る事しか今は出来ない。


エリカの体温をいつになく、密着した状態で感じているからだろう。ペダルを漕ぎ続けながら、伊織の心拍は速くなっていく。エリカへの甘やかな気持ちに。

ただ、自転車が段差を超える振動などで揺らぐ度、エリカがぎゅっと、自分の肩を掴む、その両手の右手だけ力が少し弱い事に、今も消えない心の傷が痛む。エルヴィーラへの嫉妬に狂った末に、自分がエリカに負わせた傷痕の事を思い出す。

『エルヴィーラ・・・。貴女の事を、ジュリアの事件があるまでは私は、正直に言って、疎ましいなんて思ってしまっていた。いつも、エリカの最愛のお人形として、この子の傍にいられて、エリカに見てもらえて。お人形の貴女に嫉妬していた。でも、エルヴィーラは、ずっと、死別した美代さんの姿をエリカに重ねていたんだね』

伊織は、一段と強く、ペダルを踏み込む。先程、幸乃に教えてもらった、中原美代の墓がある場所まで、距離的にはもうあと僅かの筈だ。

『貴女を壊してしまいたいなんて思った事を、私もちゃんと謝らないといけない。エリカは、貴女との約束を・・・、結婚式を挙げるんだっていう約束を果たしてないし、私もまだ、エルヴィーラには気持ちを伝えられてない。こんな、エルヴィーラが罪の意識を背負ったままで、美代さんのところに行ってしまうなんて、私も嫌だ!』

エリカと伊織の、二人の思いを乗せて、自転車は、美代の眠る墓所まで向かっていた。


伊織が自転車のブレーキをかける、金属が軋む音が鳴り響く。場所は、美代の眠る墓地のある、とある寺の駐車場だ。その駐車場の一角にある、古びたトタン屋根の駐輪場に、自転車をしまった。

自転車から降りた、エリカは見上げた視線の向こうに、フェンスで区切られた集団墓地があるのを目にした。寺の境内へと続く階段を上っていき、二人は、寺のお坊さんに「中原美代さんという方のお墓参りに来た」と話し、墓の方へと案内してもらった。

既に日差しは少しずつ傾き始め、墓所に並ぶ御影石の墓標たちは、その灰白を、仄かな茜色に染めつつあった。この何処かに、美代が眠っていて、そして、彼女を探すエルヴィーラも来ているに違いないと、エリカは確信していた。

エリカはそっと瞼を閉じて、エルヴィーラの気配を感じ取ろうと、意識を集中させる。

視界を閉ざす暗い帳の中、エリカは、彼女の気配を探し求める。

そして、彼女の眩い金髪が、墓所のとある一角を横切り、迷いのない足取りで歩いているのを、瞼の裏に見た。

しかし、その姿から感じられる霊力は、少し前まで朱宮家にいた時よりも格段に衰えているのがエリカには分かった。

「見つけた・・・!ただ、エルヴィーラの様子がおかしい・・・」

「エルヴィーラの霊力が凄く弱くなってる・・・。きっと、エルヴィーラの、あの人間の姿を保つ霊力にも限界が近づいてるんだわ・・・」

「じゃあ・・・エルヴィーラは霊力が尽きる寸前って事?もし、霊力が尽きたら、魂も消えてしまって、ジュリアと同じように、エルヴィーラも魂のない人形に・・・?」

伊織の問いに、エリカは頷く。ジュリアが、自分を救うために霊力の全てを捧げて、魂を失った事を知っている伊織は、深刻な面持ちになった。ここまで、彼女の霊力が弱くなっているとはエリカも思わなかった。

広い墓所の中へとエリカは歩き出す。

「行こう、伊織!エルヴィーラが美代さんの元に行ってしまう前に、見つけ出して止めないと」


エルヴィーラは、とある墓標の前で、佇んでいた。その墓標に刻まれた文字を読みながら。

そして、そこに刻まれている愛おしい名前を、指でなぞるようにして、墓標の前に跪く。

「ああ・・・やっと、また会えたね。美代。こうして会うのは、何十年ぶりかしら。貴女と死別してから80年近く。色んな女の子の家を渡っていったけど、美代の事を忘れた日は一日だってないわ」

エルヴィーラの見つめる先の墓標には、こう刻まれていた。

「中原美代之墓 昭和十九年十二月〇日没 享年十八歳」

一度だけ、美代が眠るこの場所に、美代の両親はエルヴィーラを連れてきてくれた事があった。終戦を迎えて、再び、西洋人形の自分を人前に、隠す事なく出せるようになった時代の事だ。

『見てごらん。エルヴィーラ。ここに、美代は眠っている。君を、もっと早くにここに連れてきてあげたかった』

美代の父親は、エルヴィーラの人形を抱いたまま、墓標の前に跪いて、エルヴィーラに、そこに刻まれている名前をよく見えるようにしてくれた。

自分を膝の上に置いて、庭に咲く花の話をしたり、絵本を読み聞かせたり、子守唄を唄ってくれたりした、美代の声はもう聞こえない。窓辺で、時には晴れ渡る空を、羨ましそうに眺め、窓の外を小雪が舞い出した時には、幼子のように歓声を上げ・・・ころころと花が綻んだかと思えば萎むように、表情の変わる美代の姿はもう見えない。自分の主人だった少女は、この冷たい墓石の中で本当に、目覚める事のない眠りについたのだと、エルヴィーラは思い知らされた‐。

数十年も昔の記憶に思いを馳せつつ、墓標の前でエルヴィーラは泣いていた。人形が本来、決して流す事のない筈の、雫を零しながら。

「私は・・・、美代の最期の言葉を胸に刻んで、この80年近くを生きてきた・・・。未来の、主人となる女の子とも必ず幸せになってって、美代が望んだように、生きようとした。そして、貴女の生き写しのような人に出会って、本当に奇跡は起きるんだって思った。でも、その人と幸せになって結ばれるどころか、その人も、そしてその人の隣にずっといた、その人を思う人の事も、どちらも傷つけ、苦しめてしまった・・・。私に、あの二人のところにいる資格はないわ・・・。もう、今の私が望む事は一つだけ。美代、貴女の待つところに行きたい・・・。美代、聞こえているなら、今すぐにでも、貴女の元へ私の魂を連れて行ってしまってよ・・・お願いよ」

もう、人形の魂をここで、ジュリアと同じように失ってしまって構わないと思っていた。自分はエリカに恋心を抱いていた伊織を傷つけ、更には、エリカまでも傷つけてしまった。そんな自分が今更、エリカと結ばれたいなどどうして望む事が出来るだろう。美代の待つ場所に、ここで今すぐに連れて行ってほしいと願い続けた。


「エルヴィーラ!!」


その、エルヴィーラの切なる願いは、自分を呼ぶ声によってかき消された。

もう、十年あまり、何度となく聞いた、あの子の声だ。

「エ・・・リカ?、それに、伊織・・・」

石の床に手をつき、涙を零していたエルヴィーラは、顔にかかっていた前髪をかきわけて、声の方角に目をやった。

エリカと、伊織の二人が、エルヴィーラの姿を見つけて、こちらへと駆けてくるところだった。


「近づかないで!」

その一声に、エリカも伊織も、立ち止まる。

とある墓標の前で、エルヴィーラは泣き崩れていた。縋りつくように、その墓標に向かい、何かを話しかけていた。

そんな彼女の姿を見つけて、駆け寄ろうとした瞬間に、こちらに気付いたエルヴィーラは、それを制するようにそんな言葉を発した。

エルヴィーラの瞳には、涙が滲んでいる。その瞳は、後悔と苦渋の色に塗り潰されている。

エリカの胸にズキリと痛みが走る。エルヴィーラに、そんな表情はしてほしくない。

「エルヴィーラ、やっと、見つけた・・・。そのお墓は・・・中原美代さんのお墓だよね。エルヴィーラが話していた、戦争中に死別してしまった女の子の・・・」

「どうして、その名を・・・!それに、二人とも、どうやって、私の居場所を見つけたの?」

「美代さんの親戚の人に巡り合えたの。そして、美代さんのお墓の場所も教えてくれた。エルヴィーラが書き残していった手紙も思い出して、美代さんの待つ場所、エルヴィーラが行きそうなところってなったら、もうここしかないって」

エルヴィーラは、エリカと伊織に少しだけ向けた顔を、また、美代の墓標の前に向ける。

「そう・・・。でも、折角来てくれたのに、悪いけれど、私はもう、エリカ、伊織と一緒に帰るつもりはないわ。ここで、この魂が尽きて、美代が迎えに来てくれるのを待つつもりだから」

「どうして・・・⁉」

エルヴィーラの声色は険しく、立ち上がる気配もない。美代の墓の前で跪いたままで、エルヴィーラは、語り続けた。

「どうしてって・・・、だって、私と巡り合ったせいで、エリカの大切な幼馴染の伊織をあんなに苦しめてしまって、ジュリアも闇に染まって・・・、あんな悲惨な事件になってしまったのよ。それで、エリカも傷を負った。全ては、私が、自分勝手な願いで人間の姿になって、エリカに美代を重ね合わせたりしたから、起きてしまった事。私がいなければ、伊織もジュリアも、そしてエリカも、誰も傷つかないでいられた。そんな私がどうして、エリカや伊織のいるあの町に帰れるというの?」

エルヴィーラは、罪の意識に心を完全に支配されている。自分のせいで、朱宮家にも、伊織にも災厄を招いてしまったと。

エリカは必死にエルヴィーラに語りかける。

「もう、私も伊織も、エルヴィーラのせいで傷ついたなんて思っていないし、まして、貴女を恨んでなんかいないわ!私の父さん、母さんだって、エルヴィーラがあの家に帰ってきてくれるのを、心待ちにしてるわ。だから、自分を責めるのはやめて」

「でも、私は自分を赦して、貴女達の傍にいる事は出来ない・・・。伊織の気持ちも知ってしまった今、エリカと結ばれたいなんて願いを私は、言う事も出来ない」

伊織も、エリカと一緒になって、声をかけ始める。

「私も、エリカの事は好きだよ、その気持ちは、譲れない・・・。でも、私こそエルヴィーラに謝らないといけないって思って、エリカと一緒に来た。貴女の事、何にも過去を知らないままに、エリカの事で恨むような事して、本当にごめんなさい・・・。

今の私は、あの街に帰って、エリカと、私、それに、ジュリアも連れて、あの廃教会で、エリカと式を挙げてほしいって思ってる。エルヴィーラに自分の願いを叶えてほしいって」

しかし、二人の言葉を聞いても、まだ、エルヴィーラの心は動かされる様子はない。

虚ろな目のままで、首をふるふると横に振った。

「やっぱり・・・駄目よ。こんな私が、貴女達の手を取って、願いを叶えようなんて・・・。私には、もうそんな資格はない・・・。私が私自身を赦せない限り、この気持ちは変わらない・・・」

いくら、必死に思いを伝えても、エルヴィーラの、罪の意識を消す事は出来ない。エリカはもどかしさ、焦りを覚えた。こうしている間にも、エルヴィーラの表情は苦し気になっていき、彼女の魂は終焉に向かって、すり減らされていっているのだ。ここで、エルヴィーラの魂が尽きていくのを黙って見ている訳にはいかないのに。どうしたら・・・。


そんな折だった。一閃の、爽やかな、大きな風が、美代の墓の前にいる、3人の間を吹き抜けていった。

そして、白の花弁がひらひら、季節外れの白雪のように、エリカ、伊織、エルヴィーラの前で舞い落ちていく。

伊織は、手にした花弁を見て、驚く。

「これって・・・あの、美代さんの家に咲いてたのと同じ花・・・。白いツツジの花弁だよ」

エリカも、エルヴィーラも、突然、風に吹かれて舞い落ちた白いツツジの花弁に戸惑っている。

『エルヴィーラ・・・会いに来てくれたのね』

墓石の上に舞い落ちた、白いツツジの花弁に戸惑っていた最中、エリカは、そんな声を聞いた。伊織の声でも、エルヴィーラの風でもない、少しでも強い風が吹けばかき消されて聞こえなくなってしまいそうな、儚げな声だった。

そして、それを聞いたのは、エリカだけではなかったようだった。美代の墓標の前で、崩れ落ちるように座り込んでいたエルヴィーラも、大層驚いた様子で顔を上げる。

「え・・・、この声は、誰・・・?」

そう言いつつ、伊織も周囲を見回して、声の主を探している様子だった。

その時、エルヴィーラがポツリと呟いた。

「美代・・・?」

エルヴィーラの視線の先を辿るまでもなかった。エリカと伊織は、風に吹かれる髪を押さえて、墓標の連なる道を、こちらに歩いて来る、一人の少女の姿を見た。時代を感じさせる和服姿で、そして・・・その姿は、何処か夏の陽炎のように朧気なのだった。

一目でエリカも、それに伊織も、彼女はこの世の物ならざる存在である事を悟った。

そして、その顔をよく見た時、伊織は

「嘘・・・、エ、エリカが二人?」

と、茫然とした表情のまま、そう言った。

確かに、目の前に現れた、和装の少女の顔立ちは、鏡映しのように、エリカに酷似していた。そして、彼女は、恐らく初めて会う相手であるにも関わらず、エリカには、その姿に酷く既視感があった。

それは、きっと、つい先程、幸乃に見せてもらった写真の、エルヴィーラを抱いて微笑む少女の姿と全く同じだったから。

「あの白黒写真で見たのと、同じ・・・」

不思議とエリカに、この少女への恐怖心は湧かなかった。エリカは、一歩前に踏み出ると、エルヴィーラの傍で、慈愛と、哀愁の入り混じった眼差しで佇んでいる、彼女に問いかけた。彼女が既にこの世の人間ではないという確信を持ちながら。

「貴女は・・・、中原美代さんですね。エルヴィーラが日本に来て、最初の主人になった人・・・そして、戦争中に、エルヴィーラと死に別れた人。そうでしょう?」

エリカの声に、和服の少女は、こちらへと視線を向けると、こくりと頷いた。

「貴女が、今のエルヴィーラの主人の子・・・確か、朱宮エリカさんね。そうよ。私は美代。この子の・・・昔の主人よ」

「美代・・・!会いたかった・・・、その声を聞きたかった!」

エルヴィーラは、墓石の前に佇む彼女を前にして、泣き崩れていた。

「ねえ、見て、美代。私は、遂に願いが叶って、人間の体、手に入れたよ。貴女が病気に臥せていた時、あんなに願っても手に入らなかった人間に、私はなれた」

そう言ってエルヴィーラは、美代の頬に触れようとするが、エルヴィーラの手は虚しく虚空を掻くばかりだった。

「美代に触れない・・・どうして?こんなに近くにいるのに」

「ごめんね、エルヴィーラ・・・・折角こうして会えたのに、今の私にはもう、昔のように貴女を抱きしめる事も、触れる事も叶わない。だって、私の体はもう滅んでしまって、こうして、今、貴女の前にいるのは、私の魂だけだから」

やはり、今、目の前にいるのは、他でもない、美代だった。彼女の霊魂が、生前の姿になって、エリカ、伊織、そしてエルヴィーラの前に現れたのだ。

「それなら、私を、早く、美代のいる世界に連れて行ってよ。折角、美代とこうして、再会出来たのに、触れる事も出来ないなんて嫌・・・」

美代の体にも顔にも、触れる事が出来ないのを悟ったエルヴィーラは、そう、悲痛な声で美代の霊に懇願していた。エリカも、伊織も、こんなエルヴィーラの声は聞いた事がなかった。美代を前にしたエルヴィーラは、まるで幼子が駄々をこねているようで、酷く幼く脆かった。

エルヴィーラの願いを聞いても、美代は、首を横に振る。

「それは、エルヴィーラの願いでも、私には出来ないわ」

「どうして・・・?もう、私は、エリカや伊織の傍にいる資格はない・・・。あの二人を、大切な二人を傷つけてしまったから。私は、もう、美代のいるところに行きたいの。お願い、美代」

美代は、年の離れた妹を姉が諭すような雰囲気で、エルヴィーラの傍にゆっくり腰を落とすと、その手で、エルヴィーラの流れる金髪を撫でるようにして、話し始めた。

「私が死ぬ前に・・・、エルヴィーラにした最後の約束、覚えているかしら?私は、エルヴィーラに、未来の主人の女の子の元で幸せになってくれる事が一番の幸せだって言った筈よ」

「勿論、覚えてるわ・・・。でも、もう、無理なの。私に、エリカを幸せにしたいなんて言う資格はないから。エリカは大好きだし、今でも、結ばれたいと思ってる・・・。でも、エリカはもう伊織と恋人同士になったのだし、それを引き裂くような事なんて出来ない。私がいたせいで、伊織もずっと苦しんでいたし、そして、結果的にはエリカの事も傷つけた。だから、もう私は身を引かなくてはいけないの・・・」

エルヴィーラは膝に顔を埋めて、そう言って首を振った。美代は、尚も話を続ける。

「私はエルヴィーラが幸せになるところを見たい。だから、どうかまだ、魂を捨てたいなんて言わないで。私とは果たせなかった約束を・・・、人間になって、大好きな主人の、女の子と結ばれるっていう約束が叶うところを私に見せてよ。それが、私からの、エルヴィーラへの最後の約束で、伝えたい言葉よ」

美代の言葉に、エルヴィーラは顔を上げる。その頬はまだ濡れている。

「私が幸せになるところを、貴女に見せる・・・?」

「そう。体は滅びても、触れ合う事は出来なくても、エルヴィーラの事をずっと見ているから。エリカさんと結ばれたいから、神様から、その体を貰ったんでしょう?それなら、貴女がその人間の姿で、エリカさんと最高に幸せになるところを、私にもどうか見せて。それが、私にとっても一番の幸せなんだから」

「でも・・・、エリカには、伊織がもう既にいるから・・・」

エリカは、伊織と目くばせをした。二人共、エルヴィーラが気にしているところは、そこなのだという事は分かっていた。だから、エルヴィーラが安心できるように、言葉を伝える。

「エルヴィーラ・・・、私達の言葉も聞いて?確かに、私は、伊織の気持ちを受け入れたよ?だけど、それは、もうエルヴィーラがいらなくなったとか、そんな意味じゃ絶対ない!エルヴィーラにはいつまでも、私と伊織の傍にいてほしいの。私は、エルヴィーラと、生涯一緒だっていう魂の契りを結びたいって思ってる!」

「私も同じだよ・・・!エルヴィーラの事、もう、私は恨んだり、妬いたりなんてしない。エリカの傍にエルヴィーラがいなくなるなんて、私も考えられないよ。『恋人』としての関係は、譲れないけれど・・・それでも、エルヴィーラとエリカには、この先もずっと特別な関係でいてほしい!私は、エルヴィーラとエリカがずっと、人間と人形の境目を超えた関係になったんだっていう事の証人になるよ」

エルヴィーラが人形の魂を捨ててしまうのは嫌だ。幸せになってほしい。

その思いは、今は亡き人である美代も、それに今を生きるエリカと伊織も同じだった。

しばらく、黙りこくっていたエルヴィーラだったが、涙を指先で拭いつつ、美代の墓の前で立ち上がった。傍で優しく微笑む、美代の霊と、必死になって呼びかけているエリカ、伊織の姿を見回す。

「・・・美代。それに、エリカ、伊織・・・。あんなに、二人を傷つけもしたのに、私は、幸せになっていいの?まだ、生きていていいの?」

その問いに、エリカは半ば叫ぶように言う。

「勿論よ!私は、ここでエルヴィーラの魂が消えてしまうのなんて見たくない!お願いだから、魂を捨てようなんてしないで!私も、美代さんと同じ。生きて、幸せになるエルヴィーラが見たいの!」

いつしか、感情が伝播したように、エリカも涙を流していた。この墓を、エルヴィーラと美代の、二人の眠る場所にするのは絶対に嫌だ。

「私もエリカや、美代さんと同じだよ、エルヴィーラ!戻ってきてほしい!幸せになってほしいし、これからも私達の傍にいてほしい」

そう叫ぶ、伊織の頬もまた、茜色の日差しの中で、雫に濡れていた。

美代は、エリカと伊織、二人の顔を見て、穏やかに微笑んだ。彼女は、傍らのエルヴィーラにこう言った。

「エルヴィーラが、今は、どんな子の家に貰われていったのか、それだけはずっと心配していたのよ。でも、エリカさん、それにその恋人の伊織さん。あの二人が一緒なら、私も、安心して、貴女をこれからも任せる事が出来るわ」

エルヴィーラの肩はまだ震えていたが、それでも、美代にこう返した。

「美代が、私が幸せになるところを見たいって言ってくれて・・・エリカも、伊織も、こんなに、私を必死に連れ戻そうとしてくれてる。私、もう一回、幸せになる事を諦めないで、人形として生きてみるわ」

そうして、エルヴィーラが少しふらつく足取りで、美代と一緒に、こちらへ歩いて来るのを見た時、エリカと伊織は、心から安堵した。

美代が、少し困ったように眉を寄せ、エリカと、伊織に行った。

「ごめんね、エルヴィーラが心配をかけてしまって・・・。エリカさん、今までも、本当にこの子を大事にしてくれてありがとう。そして、どうか、私の果たせなかった分まで、この子を幸せにしてね。私が生きていた時代とは違う、平和になったこの時代で」

「勿論です・・・美代さん。これからも、エルヴィーラは、私と、伊織の二人にとって大切な人形ですから」

「私は、身は滅んでも、魂はこうして、エルヴィーラも、それに貴女達の事も見守っていくわ。だから、エルヴィーラ、貴女も、寂しがる事なんて少しもない。分かったわね?」

美代は、エルヴィーラの肩にも、薄く透けた手を優しく置いた。エルヴィーラはようやく、涙の収まった目で、こくりと頷いた。

「私と、貴女も、これからも永遠の絆で結ばれているからね。この、白いツツジの花言葉を忘れないで。何も、終わりなんかじゃないわ」

美代は、エルヴィーラが掌に乗せていた、白い花弁を見て、言った。

「じゃあ・・・この子の事を、よろしく頼んだわね・・・。エリカさん、伊織さん。時には、ここのお墓にも顔を見せにきてくれたら、嬉しいわ」

美代は、エリカと伊織にそう言い残すと、手を振り、こちらに背を向けて、墓標の並ぶ道の向こうへと歩き去っていった。


そうして、また、ツツジの花の香りのする風が吹き・・・目を一瞬閉じた、次の瞬間には、美代の姿はもうなかった。

残っていたのは、白いツツジの花弁だけだった。しかし、それを拾い上げて、エルヴィーラは、美代の残した言葉を口にしていた。

「永遠の、絆・・・。何も、終わりなんかじゃない・・・か」

エルヴィーラに、エリカも横から声をかける。

「美代さんとの絆もそうだし、私や伊織と、エルヴィーラの絆も、同じ事だよ。色々と、上手くはいかなかった事もあったけど、これからは、私達3人も、永遠の絆を作っていこう!」

「そうだよ。そして、幸せに過ごしてるエルヴィーラの姿を見せに、また、エリカとエルヴィーラと3人で、必ず来ようね。この、美代さんのお墓にも。あの人の魂は、いつでも待っているから」

エリカ、伊織の二人の言葉に、やっとエルヴィーラも少し微笑んで、頷いたのだった。

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