第5話ー⑥ 母
数分後、父は一人でリビングに戻って来た。
「ママ、大丈夫だった?」
「ああ。今は薬も良く効いて眠っているよ」
退院したと言っても、母がまだ完全に治っていたわけではなかったのだとももは確信する。やはり、まだ会うべきではなかったのだと。
「……そっか」
父はももの隣に座り、
「驚かせてすまなかったな」
「ううん。私も軽率だったかも。私が能力者であることを嫌がっていたのを知っていたのに、余計な話をしちゃったからさ」
「そうなのか……最近はずっと調子が良かったから大丈夫だろうと思っていたんだが。まだ早かったのかもしれないな」
「――帰るね」
ももは立ち上がり、持って来ていたリュックサックを肩に掛ける。
「え、でも今帰ると遅くなるだろ」
「私がここにいると、ママがまたおかしくなっちゃうことが分かったから。ここにはいられない」
「ひと晩くらいは泊っていきなさい。今夜はもう遅いから」
父にじっと見つめられたももは、眉をひそめた。
本当は早く帰りたい。けれど、パパには申し訳ないことをしたと思うから――
ももはリュックを降ろし、ソファに腰を降ろす。
「……わかった。でも、朝一で帰るね」
「それでいい」
それからももは、父から今まで母がどんな治療をしてきたかの話を聞いた。
カウンセリング、薬物治療。精神療法や作業療法。そして記憶操作。
結局、記憶操作が一番手っ取り早く効果が出たそうで、徐々に母も元の性格に戻っていったということらしい。
私が能力者であるという記憶がなかったことにされていたとは――とももは目を見張り、うなだれた。
事前に言っておくべきだった、と父はももに頭を下げたが、そんな事前情報を聞いていたら、きっと自分はここへ来なかっただろうなとももは思った。
私のように、ママも前へは進んでいなかった。私達は互いに一歩も進めないまま、生きていくのだろうか。
ももは自分の部屋のベッドの上でそんなことを思う。
「帰ろう。私の居場所へ。ママはもう、私のママではいられない。だから、ここは私の戻って来る場所じゃない――」
目をそっと閉じ、ももは眠りにつく。そして翌朝、早朝に目を覚まし、ももは宇崎家を出て行った。
もう二度と戻らない――そう決意して。
春休みが明け、ももは夜明学園での最後の一年が始まった。
教室に着いたももは早々に机で顔を伏せ、深い溜息をつく。
ももは実家に帰省した後からずっと気分が晴れず、何をするのも億劫になっていたのだった。
「おはよう、ももちゃん大丈夫?」
隣の席に裕行がやってくると、ももの様子がおかしいことを察してか、裕行はそう声を掛けた。
「おはよう。大丈夫」
「大丈夫には見えないけど……実家で何かあった?」
ももは顔を上げて、頬杖をついた。
「――まあ、ね。でも行ってよかったよ」
「そうなんだ!」
「うん。もう二度と行かないって決めるきっかけになったし」
もものその低い声色に裕行は目を見張ると、
「え? なんで、そうなったの!?」
と前のめりにももへ尋ねた。
「えっと、それは――」
「ももちゃん、裕行君! おはよ」
溌溂としたその声を聞くと、ももはその方へと目を転じた。そこに水蓮と愛李の姿を認めるとももはニコッと笑顔を作る。
「おはよー!」
さっきの声が嘘のように元気な声で返すももを見て、裕行は怪訝な顔をしていた。
その視線に気が付きながらも、ももは何事もなかったように水蓮たちと会話を始める。
ごめん、裕行君。水蓮ちゃんたちには聞かせられないから――
ももの想いを察してか、裕行はそれ以上のことを訊いてくることはなかったのだった。
午前で授業を終えると、ももは裕行と共に食堂で食事を摂っていた。
「入学式の時も二人でこうして話したね」
ももはそう言ってサラダのトマトを頬張る。
「それで、何があったの? 二度と帰らないって……」
さっきは途中になっちゃったもんね。今度はちゃんと話さなきゃだ。ももは決心し、小さく頷く。
「うん――実はさ。せっかく裕行君が背中を押してくれたのに、私失敗しちゃって」
「失敗?」
「ママ……私のお母さんさ、私が能力者だって記憶を消したんだって。記憶操作法って治療で」
「え……」
「それなのに。うっかり私、自分が能力者だって言っちゃって……お母さんは取り乱すし、お父さんは困った顔をするし。あーあ、もうここにはいられないなあって思ったわけ」
ももは頭の後ろを掻きながら、「あはは」と苦笑いをする。
「それって、ももちゃんは悪くないじゃないか。どうしてお父さんは前もって教えてくれなかったの! てっきり僕は、もうももちゃんのお母さんは良くなって、それでももちゃんに会いたいとばかり……」
ハッとしたももは、悲しげな表情で俯いた。
彼の言う通り、ママが本当に良くなっていたらどれだけよかったか、と唇をきゅっと結ぶ。
「きっと記憶操作の話をしたら、私が帰って来づらいってお父さんは思ったのかもしれないね。だからそれは、お父さんなりの優しさだったんだよ」
パパも辛かったんだろうな。それは分かるよ。結局、私がすべて悪いんだから――
「――それからお母さんとは話した?」
裕行の問いにももはかぶりを振り、
「きっとこの先も話すことはないだろうね」
と寂しそうに答える。
「僕たちが、悪いのかな……ただ特殊な力を持っているだけで、他の子たちと何ら変わらないのに。ここで授業を受けてきて、そうなんじゃないかって思っていたのに」
「仕方ないよ――私達能力者に理解のない人達は世の中に一定数いる。きっとそういう人たちは、目の前にいる人間が能力者であることを知った途端、私のお母さんみたいに豹変しちゃうんだと思うんだ」
春休みに見た母の姿がふと頭をよぎる。
急に取り乱し、否定的な言葉を延々と繰り返す母。ももは呆然と母を見ていることしかできなかった。
そういえば、リビングの棚の上にあった写真ってどれも能力者として覚醒する前の私だけだったな――
違和感の正体はこれだったのか、とももは今更気が付いた。
「私たちは何にも悪いことしていないのにね。わかってもらえないのは、なんだかしんどいな……」
「身近な人に認められないほど辛いことはないよね」
「うん。せめて両親くらいは味方でいてほしかった。でも、それは無理なんだよね」
ももは急に未来への不安を抱く。
ここにずっといられない。けれど、世界は何も変わらず、能力者である自分たちを受け入れてはくれないのだろうと。
希望を持って入学した夜明学園だったが、外の世界は驚くほどに何も変化がないことにももは絶望する。
「このまま大人にならず、子供で居続けられたら良いのに」
ぽつりと呟き、それから無言で食事を終えて、ももたちは食堂を後にしたのだった。
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