第24話 朱音と肝試し
家に帰ると夜食のおにぎりが用意されていた。僕は小腹が空いていたのでおにぎりに手を伸ばしたのだが、朱音はそこまでお腹が空いていなかったのかおにぎりを食べようとはしなかった。
「お腹空いてないのか?」
「ちょっと空いてるけどさ、この時間に何か食べるのは太るから食べない」
「せっかく用意してくれてたのにな。中身入ってないけど」
やっているテレビ番組を見て気付いたのだが、もうすでに午後十時を回っているのであった。確かに、この時間におにぎりを食べるのは良くないような気もするのだけれど、今日は色々あって疲れてしまったので少しくらいはいいだろうという気になっていた。
一人二つずつ小さめのおにぎりが用意されていたのだけれど、僕はそのおにぎりをあっという間に平らげてしまった。朱音が食べないなら僕が食べてしまおうかと思って朱音の分のおにぎりに手を伸ばしかけたその時、朱音が僕の手を掴んでいた。
「お兄ちゃん、これは朱音の分だからダメだよ。食べちゃダメ」
「でも、朱音は食べないんじゃないの?」
「そうだけど、お腹空いちゃってるから迷ってるの。陽菜ちゃんも毎日はダメだけどたまになら食べても良いって言ってたし、迷ってるんだよ」
今日一日で朱音と陽菜ちゃんはだいぶ仲が良くなったようだ。僕と一緒に肝試し会場に着いた朱音は特にやることも無くてその辺をうろうろしていたのだが、その時に陽菜ちゃんと一緒に行動するようになって二人の距離も縮まったのだろう。
僕と会長が一緒に怪談の会場を掃除している時も朱音は陽菜ちゃんと一緒に管理室を片付けていたのだが、きっとその時にシュークリームを食べながら陽菜ちゃんから夜に食べてもたまになら平気だと聞いたんだと思う。
朱音はダイエットを必要としないように感じるのだが、気を付けるのは良いことなのだろう。だが、晩御飯を食べた後にシュークリームを食べてからおにぎりを食べるのはさすがに食べ過ぎではないだろうか。それは僕にも言えることなのだが、僕は結構運動していたと思うから大丈夫だろう。
「陽菜ちゃんってさ、朱音の事を友達だって言ってくれたよ。朱音は今までそう言う風にハッキリと友達って言われたことなかったからビックリしちゃったけどね。でも、陽菜ちゃんは年上なのに話しやすくて楽しい人だね」
「見た目は完全に昔のギャルっぽいけどさ、話してみるといい子だしお菓子作りも好きだから朱音とは気が合うかもな」
「そうなんだよね、好きなモノが意外と一緒だったし朱音もお兄ちゃんと同じ学校に行っちゃおうかな。そうしたら陽菜ちゃんとももっと仲良くなれるかもしれないしね」
「あれ、推薦で他のとこ行くんじゃないの?」
「そうなんだけどさ、説明会に行ったらなんか学校自体がお堅い感じがして合わなそうな気がしてきたんだよね。勉強するにはいい環境かもしれないけどさ、朱音にはそう言うのってあんまり合わないって言うか、自主性に任せて欲しいなって気持ちの方があったりするんだよね」
「確かにな。お前は誰かに言われる前に自分で終わらせるタイプだもんな。あんまりきっちりしているところだとお前の能力を発揮できないかもしれないって事だよな」
「さすがお兄ちゃんだね。朱音の事をよく知っているよ。そんなお兄ちゃんのために朱音がアイスを持ってきてあげよう。優しい妹で良かったね、お兄ちゃん」
話をしている間におにぎりを食べ終えていた朱音は僕の分の皿ももってキッチンへ向かっていった。僕もキッチンへ皿を持っていこうと思ったのだけれど、なぜかそれは朱音に止められたのだ。今日はよく朱音に止められる日だと思ってしまった。
「お兄ちゃんはバニラとチョコならどっちがいい?」
「今日はチョコが良いかな」
「わかったよ。チョコを持っていくね」
朱音は僕にチョコ味のアイスを手渡してくれたのだが、朱音が持っていたのは僕が受け取ったチョコ味のアイス一つだけであった。
「朱音はアイス食べないのか?」
「今はいいかな。お風呂に入ってから食べようかなって思ってるけどね」
「そうか。風呂上りに食べるアイスは美味しいもんな。でも、今からお風呂に入ったら夜中になっちゃうんじゃないかな」
「それもそうだね。今日はお風呂上がりのアイスを我慢しちゃおうかな。その分明日のお昼にでも食べてしまうというのもいいかもね。あ、お兄ちゃんは今食べてるからダメだよ」
「そんなに食べないから気にしなくても平気だよ」
朱音は僕が食べているアイスをじっと見ているのだけれど、このアイスを食べさせろという事なのだろうか。僕がスプーンですくっているアイスを朱音がじっと目で追っているのだが、僕がアイスを口に運んだ時にはちょっとだけ悲しそうな表情を浮かべていた。
「なあ、お前もアイス食べたいのか?」
「食べたいけどさ、さっきおにぎりも食べちゃったしさすがに食べ過ぎかなって思うんだよね」
「おにぎりだけじゃなくてその前にシュークリームも食べたんだろ?」
「え、なんでそんなこと知ってるの。陽菜ちゃんから聞いたの?」
「聞いたって言うか、怪談の会場を設営した後に管理室で僕も食べたからね。陽菜ちゃんは朱音にも食べさせたいって言ってたから、掃除している時にでも食べたんじゃないかなって思っただけだよ」
「そうだったのか。ビックリしちゃった。朱音はてっきり、お兄ちゃんと会長さんが朱音と陽菜ちゃんが真面目に掃除しているかのぞき見してたのかと思っちゃったよ」
「そんな暇ないだろ、怪談の会場だって片付けなくちゃいかなかったんだからな。管理室よりモノが多いから大変だったよ」
「でも、掃除をしてただけにしては時間かかってたような気がするけど。もしかして、会長さんからとっておきの怖い話とか聞かされてたのかな?」
「いや、そう言うのはなかったよ」
「そう言うのはって事は、他には何かあったって事だね。もしかして」
普通に頭が良いだけではなく、朱音はこういう時にも鋭い勘を働かせるのだ。会長が僕にパンツを見せてくれていたという事は気付いていないと思うが、僕と会長の間に何かあったのだろうという事には気付いているんだろうな。それも、それが悪いことではないという事も気付いているようにしか思えなかった。
「お兄ちゃんはさ、明日何か予定あったりするの?」
「予定はないな。いつも通りダラダラ過ごしちゃうと思うよ」
「そうなんだ。それならちょっとお願いがあるんだけど聞いてもらってもいいかな」
「お願いって、変な事じゃなければ聞いてあげるけど」
朱音は僕にお願いごとをする事が多いのだが、それはたいていどうでもいいことなのだ。テレビのチャンネルを変えてとかスマホの充電をしてくれとか読み終わった漫画を片付けてくれとかそんな事が多い。ただ、今回の朱音はいつにも増して真剣な表情を浮かべていたのでそこが少し引っかかっていた。
「あのね、朱音は今日みんなで肝試しをして思ったんだけど、朱音一人だけ池の周りを歩いてないんだよね。朱音はずっと誰を誘おうかなって迷ってたんだけど、お兄ちゃんも陽菜ちゃんもずっと忙しそうだったし、愛さんはお兄ちゃんと行ってたから誘いづらかったし、会長さんも忙しそうにしてたもんね。真美さんは怖がってたから無理だと思うし、他に知っている人もいなかったから朱音だけ行けなかったんだよ」
「誰からも誘われなかったのか?」
「うーん、誘われはしたんだけどさ、知らない男の人だったから断っちゃった。朱音はあんまり知らない男の人と仲良くなりたくないからね」
「そうなのか。仲良くなって友達とか彼氏になれるかもしれないじゃないか」
「そう言うのはいらないんだ。朱音は彼氏を欲しいって思ったことないし。お兄ちゃんは彼女いるからそう思ってるのかもしれないけど、朱音に彼氏できたら嬉しいと思う?」
「どうだろう。その相手によると思うな。いい人だったら嬉しいけど、変な人だったら嫌だと思うよ。朱音に限ってそんな変な人につかまることは無いと思うけどね」
朱音がモテるという話は聞いたことがある。ちょっと前に朱音の友達が遊びに来た時に恋バナをしていたのをチラッと聞いただけなのだが、夏休みに入る前の二週間の間に朱音は四人の男子に告白されたそうなのだ。
長い夏休みの間に朱音に彼氏が出来ると思った彼らは競い合うように告白をしてきたそうなのだが、朱音はその誰にもなびくことは無かったそうだ。その中には運動部のキャプテンがいたり生徒会の役員がいたりもしたそうなのだが、朱音はその誰とも付き合うことも無く今に至っているという事である。
「そうだよ。朱音は変な人を見抜く力があるからね。でも、いい人って見つからないと思うんだよな。朱音の理想ってお兄ちゃんが思ってるよりも高いからさ、この人だって思う人は見た事ないんだよね。中々お兄ちゃんを超えるような人っていないからさ」
「それは無いだろ。僕よりいい人なんて世の中にいっぱいいるよ」
「でも、お兄ちゃんは世界中の誰よりも朱音の事を思ってくれて心配してくれているでしょ。今日の肝試しの時は放置されてたけど」
「それはさ、オカ研の仕事が色々あったからであって」
いいわけではないのだが、僕は朱音を放置していた事を説明しようとした。説明しようとしたのだが、朱音はそれを遮って僕の口に人差し指を当てて制止し微笑みかけていたのだ。
「知ってるよ。お兄ちゃんが忙しそうにしてたのは見てたもん。朱音の知らないお兄ちゃんの姿がここにあるんだなって思いながら見てたからね。でも、もう少しかまってくれても良かったんじゃないかなって思ってたよ。愛ちゃんも陽菜ちゃんも会長さんも真美さんもお兄ちゃんと二人だけで過ごしてる時間はあったのにさ、朱音だけ仲間外れみたいになってるもんな」
「それはさ、仕事だったり友達だからってのもあるわけで」
「冗談だよ。朱音はそんな事気にしてないよ。四人とは違って朱音はこうしていつでもお兄ちゃんと一緒にいられるわけだしね。朱音だけが貰った特別な時間だよ」
四人に嫉妬しているわけではないと思うのだが、朱音はなんとなく含みを持たせたような言い方をしていた。僕に出来ることをしただけではあったが、朱音を放置していたという事は僕の心の隅にいつまでも残り続けるように思えて仕方なかった。
「でさ、そんなお兄ちゃんにお願いあるんだけど聞いてもらってもいいかな?」
「どんなお願いだよ。一緒にお風呂とかは入らないぞ」
「そんなお願いしないよ。恥ずかしいし。そうじゃなくて、お兄ちゃんがお風呂から上がったらね、朱音と一緒に心霊系の動画を見て欲しいの」
「なんで?」
「なんでって、朱音もみんなみたいに肝試ししたかったんだよ。でも、今からあの池に行くのはちょっと怖いし、家から出るのも怒られそうだしね。そうなったらさ、お兄ちゃんが時々見てるホラー動画を見るしかないじゃない。ね、お兄ちゃんは横で見てるだけでいいからさ、朱音のそばにいてよ」
「それくらいだったらいいよ。でも、遅い時間になるからあんまり長いのはダメだよ。すぐ終わるやつな」
「ありがとう。そうだ、アイス早く食べなきゃ溶けちゃうよ。美味しそうなそのアイスが溶けるなんて可哀そうだよ」
朱音のお願いは思っていたよりも可愛らしいモノであった。僕がホラー系動画を見ている時だけは朱音は近付いてこないので苦手なのかと思っていたのだが、自分から見たいと言ってくるのは正直意外だった。
それに、朱音は残り少なくなって溶けかけているアイスをとても気にかけているようだ。きっと、一個まるまる食べるのは良くないと思っていて、少しだけなら大丈夫という考えなのだろう。それは油断というものなのだが、今日くらいは油断しても平気だろう。
「食べたいなら口をあけろよ。ほら、早く」
「んー、お兄ちゃん大好き」
朱音は僕が口の中に放り込んだアイスを美味しそうに味わうと、この世にある幸せを全て集めたかのような満面の笑みを浮かべていた。
「溶ける直前のアイスって一番おいしいよね。冷凍庫から出してすぐのアイスも美味しいけど、朱音はこうして溶けかけのアイスが一番好きかも。ありがとうね。じゃあ、朱音は先にお風呂に入ってくるよ。覗いちゃダメだからね」
「覗くなと言いながらここで服を脱ぐのはどう言うわけなんだよ」
朱音はなぜか脱衣所ではなくリビングで服を脱いでお風呂に行く習慣がある。というよりも、家族だけでいる時間帯は服を着ている方が珍しいのだ。朱音にとって家の中は下着姿で過ごすのが当然だと思っている。
小さい時に父さんがパンツ一丁で過ごしていたことが影響だと思うのだが、なぜかその影響を受けたのは僕ではなく朱音というのが両親の悩みのようで、朱音が小学校高学年に上がった時に父さんはパンツ一丁で過ごすのをやめたのだが、朱音はそれを真似することをやめはしなかったのだ。
朱音が履いているパンツはウサギの顔がいくつかプリントされた可愛いモノであるのだが、こんなところも陽菜ちゃんと気が合うのだと僕は密かに思っていた。
女児向けの可愛らしいパンツを好む朱音と陽菜ちゃんはきっと親友になれるのだろうと僕は思うのだが、パンツの趣味が一緒だからなんて二人に言えるわけもないのだ。
オカ研の後輩のパンツを見ているなんて朱音には言えないし、陽菜ちゃんにも妹のパンツを日常的に見ているなんて言えるはずがないのだ。二人がパンツの秘密を知っているかは知らないが、そんなところでも気がある二人は誰よりも仲良くなれそうな気がしていた。
朱音のお尻にプリントされているウサギも僕にそう言っているように思えたのだ。
誰にも言えない、僕だけが知っている朱音と陽菜ちゃんの隠れた共通点を見付けた瞬間であった。
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