第15話.抜け出したお姫さま



 ネーレミア帝国の首都は、その名をアルグナという。

 ネーレミアは内陸部に位置するため、港こそない。しかし首都からは四方八方に街道が整備されている。交易拠点として栄え、アルグナで手に入らぬ商品はないと言われるほどなのだ。


 わりととんでもない人数の衛兵が巡回しているのは、祭りが開催されている真っ最中だからだ。生誕祭の初日は静かに始まり、二日目三日目で最大の盛り上がりを迎えて、また最終日に向けて徐々に勢いを増していくのだという。


 馬車を停められる通りに到着した私は、御者の手を借りて踏み台を降りた。

 春の穏やかな風が帽子を揺らす。新鮮な心地で、私は祭りに浮かれる首都を見回した。


「わあ……」


 桃色や黄色の花びらが舞う中、ひしめき合うように歩く首都民や観光客たち。

 どの店も今日ばかりは大繁盛で、食べ物の香りや、菓子のにおいが風に乗って運ばれてくる。気がつくと、私の口元には笑みが浮かんでいた。


 回帰前は、ほとんど宮殿の敷地内で過ごしていた。外に出た回数も数えるほどだ。

 回帰後も目立った行動を避けて、水の宮でばかり過ごしていた。だからこんな風に首都に出るのは本当に久しぶりである。


「エリーシェ様! はぐれないよう、気をつけてくださいね!」


 なんだか恐ろしいものを見据えるような顔つきで大通りを見ているマヤ。

 皇女を害する者が居ないかと周囲を警戒する彼女は、威嚇をする小動物のようで可愛らしい。


 そんなマヤに、私は笑顔で――こっそりと耳打ちした。


「……いいえ。今からはぐれたいの、マヤ」

「はいっ!?」


 マヤは仰天して、眼球をぽとりと石畳の上に落としそうになっている。


「ど、どど、どういうことですエリーシェ様!」

「シッ、静かに。護衛に聞こえちゃうわ」


 少し距離を空けて、数台の馬車から護衛たちが姿を見せている。マヤが咳払いをした。


「あのね、マヤ。私、首都に来られたら行きたいところがあったのよ」

「そんなの、あたしに言ってくだされば――」

「入り口もへんぴなところにあるし、マヤに行かせられないわ。で、今からそこに行きたいの。もちろん、護衛にばれないようにね」


 私が本気だと悟り、マヤは深い溜め息を吐く。


「御身に危険はないところなのですよね?」

「ええ、大丈夫」

「……でしたら、ご協力します」

「ありがとうマヤ! 本当に頼りになるんだから!」


 私はマヤにぎゅっと抱きついた。マヤは褒められて嬉しいのと、心配で堪らないのと半々のようで、唇をむぎゅっとさせている。


 目配せし合うと――私たちは二人で並んで、人混みへと入っていく。

 私服の騎士たちも、距離をおきながらついてくる。その様子をさりげなく確認しながら、こっそりと、マヤの姿に隠れるように動く。


 雑多に揺れる人の中、自分の姿が見えなくなっただろうタイミングを見計らって――私はささっと、走り出したのだった。



        ◇◇◇



 私の行きたいところというのは、観光客はもちろんのこと、近所に住む人でさえ知らないような場所にある。

 私がそれを知ったのは偶然だ。回帰前、舞踏会に参加した際に、足を痛めてテラスで休んでいたのだが……頭上から、その店について話し込む貴族の男たちの声が聞こえたのだ。


「興味はあったけど、ぜんぜん行く機会がなかったのよね……」


 男たちが話していた道順を思い起こしながら、私は必死にひとりで突き進んでいく。

 路地の洗濯物の下をくぐり抜けて、景観と暴風対策のために植えられた林を通り抜けて、鳥の絵が刻まれた石柱を探して、小さなトンネルのように倒れた灌木を渡って……。


 こんな風に全身を使って歩くことなどほとんどないので、店に辿り着く前からぜえぜえと息が上がってしまったが、目的の場所へとなんとか辿り着く。


 一見すると、廃墟のような区画だ。崩れた石垣に崩れかけた家屋、荒れた庭が、大昔の残骸のように残された場所。

 看板もなければ、案内もない。人通りはないし、家の中から人の気配もしない。


(でも、聞いたとおりの外観だわ)


 私は足音を忍ばせて、そぅっと、軋むドアを開く。

 建て付けの悪いドアを開いて、腐りかけた木板に足をおくと、それだけでギギッといやな音が鳴った。……どっと冷や汗が出る。

 不法侵入している緊張感もあるし、棚や枯れた植物の間から何かが飛び出してこないかと、気が気でなかった。それでも勇気を振り絞って、木板の上を歩いて行く。


 埃と、外れた壁板から種を飛ばした草花の香りが全身を包む。

 一枚、どこか周りから浮いて見える板を見つけると、両手を使ってゆっくりと剥がした。

 見えたのは、地下に続く階段である。薄闇を見下ろして、ごくりと唾を呑み込んだ。


「……行くしかないわね」


 今頃マヤは、私の行方を捜す騎士たちをどうにか足止めしているか、うまく言い訳してくれているだろう。彼女の頑張りに応えるためにも、目的は達成せねばならない。


 私は震えそうになる足を踏み出して、階段を降りていく。

 足元もほとんど見えないような暗闇の中。冷気のようなものが足元から這い上がってきて、ぞぞっと背筋に鳥肌が走る。どこからか風が吹いているようだ。


(ほ、本当にこの先に、あるのよね?)


 あるいは足を踏み外せば、奈落まで真っ逆さまなのでは。

 自分は騙されているのかも、あるいはこれすらノヴァの策略――などととんちんかんなことを考え出したところで、はっとして顔を上げる。


「あった!」


 暗闇に慣れてきた目が、ぼぅと光る文字を捉えた。

 魔法道具店『ベニー』の看板が、確かに見えていた。


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