いつも開かない扉の奥で。
穏水
Episode.1 プロローグ
四限終了のチャイムがなると同時に俺は弁当を片手に持って屋上へと向かった。
屋上──それは皆が想像する屋上とは違うだろう。アニメや漫画で出てくる屋上を想像したのならそれは間違いだ。俺が向かっているのは……。
屋上へと繋がる階段──静かだ。こんなとこに来る奴はそういない。だって何もないのだ。こんなとこに来たって……。四階の更に上、五階とでもいうのか、屋上なのか……。俺はそんな何とも言えない境目を上っている。
屋上へと続く扉──俺はその扉のドアノブに手をまわした。開かない。鍵が掛かっている。
「はぁ、流石に今日も閉まっているか」
閉まっているなどとうに分かっているのだ。もう高二になった今ですら学校がある日は毎日ここに来ている。経験上、この屋上へと続く扉の鍵が開いていた、なんてことはない。そもそも普通は開いていないのだ。開いている方がおかしい。俺も学習しないな。
扉の鍵が閉まっていることを確認した俺は、その五階と思われる小さなスペースで昼飯を食べた。誰もいない。静寂の中、いつものようにひとりで。
◇
「今日は大事なお報せがあります」
いつもの朝礼が始まると思いきや、何やら先生は楽しそうにそんなことを言う。別に大事なお報せなど珍しいものでもないが、ちょっと俺も気になるな。クラスの皆も少し不安じみた表情を浮かべている。
「えーと、この度新しく転校生がこのクラスに加わることになりました」
転校生? 珍しいな。正直俺は興味ないが、クラスの皆も喜んでいることだし、俺も素直に喜んだ方がいいのかな。実際教室は先程とは比にならないほどの騒ぎ具合だ。
「では入ってきてください、
そう先生が合図をすると、教室の前のドアから一人の女子が入ってきた。さらっとした美しく長い黒髪を背中に垂らし、モデルを凌駕する体系と、その笑顔を絶やさない整いすぎた顔はいとも簡単にクラス中の皆の目をくぎ付けにさせた。
「そ、それでは柏屋優音さん、自己紹介だけお願いできますか?」
先生が言うと、その女子は黒板に自分の名前──柏屋優音と書き、またクラスの皆の方を向いて初めて声を発した。
「初めまして、私の名前は柏屋優音と申します。気軽に話していただけたら嬉しいです。これからよろしくお願いします」
凛とした、涼しく透き通った声だった。洗脳されそうな、そんな声。簡潔な自己紹介だったが、それでもこの声音で言われるとどうしても満足してしまう。魔法のような声だった。
何気に柏屋の事を見ていると、一瞬彼女と目が合ってしまった。柏屋の瞳だけは、美しくなかった。笑顔のはずだが、目だけは笑っていない。
柏屋はそんな俺に微笑み、また前を向く。何を考えているのか全く分からなかった。
「ありがとう柏屋。じゃあ君はそこの席に──」
「先生、私あの子の横の席がいいです」
柏屋が指したのは俺だった。だがそれは出来ないな。だって、俺の横の席は空いていないのだ。変な奴……。
「そうか。じゃあ緋夏はあそこに座ってもらって、柏屋はそこに座ってくれ」
は!?
「ありがとうございます」
無茶ぶりな柏屋の願いを、先生は元からそうだったかのように俺の左横の緋夏に命令した。緋夏もその命令に何かを思ったそぶりもなく、ロボットのように従った。俺が見る限りクラスの皆も何も反応しない。何かがおかしい。
「よろしく、君の名前は?」
早速柏屋は俺の横に座り、名前を問うてくる。別に俺はこいつと仲良くなりたいわけではないが……下手に仲良くなりすぎると、周りからの視線も良くなさそうだし。教えるのは名前だけで留めておくか。
「……よろしく。俺は
「糸瀬くん、か。君は珍しい子だね」
柏屋はそう意味のわからない台詞を口に出し微笑んでから、一限目の用意をしだした。
結局、こいつは一体何なのか……珍しいのはどっちだよ……。
◇
柏屋優音は思いのほか、すぐにクラスに馴染んでいた。高いコミュ力のおかげか、その容姿のおかげか。わからないが、一~三限の休み時間はとにかく人だかりが出来ていた。違うクラスからも、その美しい容姿を一目見ようという輩も来る。隣の席のせいか、俺もその被害にあっていた。人だかりが邪魔すぎるのだ。そのおかげで満足に休憩時間を過ごせなかった。
そしてついに四限目の昼休み。俺が一番好きな時間。俺を飯に誘う奴なんて誰もいないが、別に何も思わない。そうなったのは、自分のせいなのだから……。
俺は、いつものように弁当を持って屋上へと向かった。これから起こる結果も、何もかもすべてわかる。何故それでも俺が行くかって、理由は何だったんだろうな。もう、ここまでくると今更辞められない。淡くも何も無い希望をもって。
そういえば今柏屋優音は何をしているのだろうな、とどうでもいいことが頭の片隅に過よぎりながらも、何度も触ったドアノブに手を回した。
「え……嘘、だろ……」
ガチャリと、開いたのだ。一年も開かなかった扉が、何の予兆もなく開いたのだ。
だが、いざ開けてみるとなんだ、何も感じなかった。喜びも何もない。ただただ不思議な気持ちしか頭になかった。
扉の隙間から一筋の強い光が漏れた。それは、俺がずっと欲していたもの……なのか? わからない。何が何だか分からなくなってきた。なんで開いたのかも分からない。とにかく、進もう。この俺が目指していた屋上へと……。
「糸瀬くん?」
「は? なんでお前が……」
予想だにしない声が、前から聞こえた。柏屋優音の、声だった……。太陽の日差しに照らされ、風に髪をなびかせる柏屋は、これ以上になく美しかった。
「私も同じ気持ちなんだけどね。へへ、やっぱり私たち気が合うのかも」
「どうでもいい。絡繰りを教えろ。どうやって開けた?」
「うーん、教えなきゃ、ダメ?」
やはり、俺の嫌いな笑顔だった。調子が狂う。
「別にそういうわけではないが……」
「そうだね~じゃあ特別に。糸瀬くん、その弁当ちょっと地面に置いてくれる?」
「何故だ?」
「ふふ、やっぱり君は面白いね。良いよ。特別に教えてあげる」
意味が分からない。俺は何もしていないぞ……。
「糸瀬くん、そんなに離れてたらゆっくりできないから、もっとこっち来て」
確かにここで立ち尽くすのもなんだし、ちょっとだけなら……。
「……わかった」
俺はそのまま柏屋の横に座って、弁当を前に持った。
「それは素直に従ってくれるんだね。昼食は勝手に食べようとするけど」
「そんなの人の勝手だろ。そもそも俺はここに一人で食べに来たんだ。邪魔をするな」
「えー、やっぱり素直じゃない。あ、待って!」
俺が弁当の蓋を開けようとした時、柏屋に呼び止められた。
「なんだ? 俺が飯を食おうとした時に……」
「いやちょっと見てほしいことがあってね。そのまましっかりお弁当を持ってて」
何をしたいのかわからないが、俺は言われた通りに弁当を両手でしっかりと持った。
「糸瀬くんのお弁当の蓋よ、開け!」
「そんなお子様じみた……ええ!?」
驚いた。それも柏屋の言った通り俺の弁当の蓋が勝手に開いたからだ。俺もちゃんと見ていたが、何も種も仕掛けもなかった。本当に勝手に動いたのだ。
「ね、開いたでしょ。これが私の能力」
もうここまでくると驚きも何もなくなってきた。今日は散々な日々だ。
「じゃあその能力でドアノブの鍵を開けたということか?」
「へぇ、意外と冷静なんだね。そう、この私の能力、私の命令は絶対。それがたとえ生き物じゃなくても。例外もあるけどね」
命令は絶対……そういうことだったのか。あの違和感、今日の席の指定、だから皆何も思わずに席を移動させ……え、じゃあなんで俺はこの違和感に気付けたのだ?
「そう、例外は君。私初めて会ったの。私の能力が効かない人。だから、私にも希望が持てるんだって、君は気付かせてくれた」
俺が気付かせた……。何の希望を……。
「私が教室に入ったとき、つまらなさそうに私の事を見ていたのは君だけ。自分で言うのもなんだけどね、この容姿を見た人の目を引かなかったのは君が初めてだったの。それだけじゃなく、私の命令に口答えしたのも君だけ。今日、私は君に会って色々初めてな事を体験したの。ここに来るまでは、どうせどこも一緒だろうと思ってた──」
「……やめてくれ……」
「私、この力が嫌いなの……だけど、だけど君みたいな人がいてくれるのなら──」
「やめてくれっていっただろ!」
いつの間にか俺は立ち上がっていた。
「え……?」
柏屋は先程までの笑顔を失い、俺の言葉に目を見開いた。
「お前は一体何を言っているんだ。そんなこと言われても、俺は……何もわからないんだ……。そもそも、会って数時間の人がお互いの事を理解しあえることが現実じゃないんだ。だから、そういう話は……もっと仲良くなってから……」
柏屋の顔に色が戻ってくる。一陣の風が吹いた。それは何かを意味するように。
「ふふ、なぁんだ。嫌われたかと思っちゃった。驚かせないでよー」
別に柏屋自身が嫌いってわけじゃないが。何だか居辛い。
「じゃあ、俺は教室に戻る」
「えー早いよー。もっとお話ししたかったな」
こちとらこんな美少女と二人っきりでいるのは精神が持たなねえんだわ。だからここは退散させてくれ。
「そもそも話をしにここに来たわけじゃないんだけどな。昼食は教室で食べるよ」
そう言って俺は元来た扉の方に向かった。
「また明日も、私はここにいるから」
柏屋は俺の背中に向かってそう言う。俺にまた来いとでも言いたいのか。はっきり言ってくれればいいのに。
「後、言い忘れてたけど、その嘘の笑顔は辞めとけ。見ていて腹が立つ」
それだけ言って俺は屋内へと入っていった。その後柏屋がどういう表情をしたのかなんてわからない。ただ、見ていられなかった。
◇
この日、糸瀬穂隆が初めて姿を現して昼食を食べていた、という話が校内中に広まった。
一年間も皆の知らないとこで昼食を食べていたせいか、糸瀬穂隆という存在は昼休みだけ幻の存在になっていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます