第7話 聖女の贖罪

 レナが再び立ち上がれたのは、エリウスをそのままにしておけない、その気持ちだけだった。

 自分一人では──死体となった彼を引き上げられない。


 役人へと事情を話し、彼らの助力を得てエリウスを引き上げた。

 そのまま自首し、投獄された。


 取り調べに対しては、起こった事をそのまま話した。


 エリウスをあの場に連れて行ったのは自分で、そのまま彼を殺した、と。


 取り調べを受け、独房の中。

 あの男について考える。



 レナに噂を伝えて来たあの男。

 この一連の流れについて、ワザと『何が起きたのか』をレナに誤解させようとしてきた。


 そして、その手口。


 レナに疑心暗鬼を植え付け、互いに争わせるという、その手法。


 男は確かに言った。


『誰が言い出したのか、と聞かれれば、私には答えられないですが、そのような噂をする者がいます』 


 と。


 確かに嘘は言っていない。

 だが、彼の言葉は『噂の出処を知らない』という意味ではない。


 答えられるわけがない。

 噂の出処は、あの男なのだから。

 あれは、『自分が噂を流したなどと、面と向かってレナに言うわけにはいかない』という意味での、私には答えられない、なのだ。


 つまり、あの男は──過去、聖女に封印されたという悪神、その手先だ。


 それに、まんまとはめられたのが、自分。



 取り調べ中、担当の役人は手を変え品を変え、レナを詰問した。


 その中には、『嘘の看破』を使うまでもなく、明らかな嘘が混じっていた。

 いや。


 正確に言えば、『嘘の看破』は使えなかった。








 善行を積むことによって、強化されるスキル『聖女』。 



 仲間を疑い、あまつさえこの手にかけるという悪行を犯した今、『聖女』のスキルはどんどん弱まっているのを肌で感じる。






 ──エリウスの死と共に、『』もまた死んだのだ。








 投獄される事五日。


 何やら施設の外から歓声が聞こえる。


「外が騒がしいようですが⋯⋯」


 看守に聞くと、彼はあっさりと教えてくれた。


「ああ。空が青くなったのでもしや、と思ったが、魔王が討伐されたようだ。本隊はまだだが、先に王子と近衛が凱旋したらしい」


「なるほど⋯⋯ありがとうございます」


 やはり、魔王は討伐されたようだ。

 成したのはノノアだろう。


 これから栄光に身を浴すであろう彼女と、虜囚として過ごす自分。

 だがそれは仕方ない。


 自分の犯した罪は⋯⋯あまりにも大きすぎる。

 それは単に、エリウスに手をかけた、ということではない。

 彼女が犯してしまったうち、最も大きな罪だと感じているのは──。


 歓声が聞こえてしばらくして、牢が開かれた。

 今日の取り調べの時間だと思ったが、案内された場所にいたのは、いつもの取調官ではなかった。


 三十絡みの偉丈夫だ。

 眼光は鋭く、戦いに身を置く者が発する雰囲気がある。

 だが同時に、育ちの良さを感じる。


 着ている衣服などからも判る、おそらく立場の高い人物だろう。


「王子、連れて参りました!」


 獄吏が報告したことで、目の前の人物が何者がということがわかった。

 王子は頷くと、レナへ言った。


「聖女レナ、ついて来て欲しい」








 王子に馬車へと案内され、同乗した。


「あの、どちらへ⋯⋯」


「けが人を看て貰いたいのだ」


 用件を短く述べると、王子は少し沈黙したのち⋯⋯。


「君の罪は不問にする」


 と、想像してもいなかった事を言った。


「幸い、いや、幸いという言い方は良くないな。まぁ、とにかく被害者は⋯⋯死んでいる。この件を知っている者にも箝口令を敷いた。漏らした者には極刑だと伝えてある」


「な、何故ですか?」


「魔王討伐が果たされたとはいえ、それで全てが終わった訳ではない。むしろこれからが大変だ。国の再建には優れた人物の助力が不可欠だ、君にも協力して貰いたいんだ」


「できません」


 レナが即答すると、聞き分けの無い子供を見るような表情で王子が疑問を口にした。


「なぜ?」


「国の先を思えば、どのような人物であれ賞罰をハッキリとさせるべきでしょう。ましてやたまたま神に頂いた『聖女』のスキルを、自らの、保身の材料にするつもりなどありません」


 出会ったばかりの、それも貴人に対して失礼な物言いだとは承知していた。

 だが、レナの偽らざる気持ちだ。

 王子は特に気分を害した様子もなく、一つ頷いてから返答した。


「なるほど。君の意見はわかった。個人的な事を言えば、君の言うとおりだとさえ思う。だが為政者という立場上、感情よりも優先すべきものがある⋯⋯まあ、今すぐに結論は求めていない。まずは目先の問題を解決しなければいけない」


 今はこれ以上の説得は無駄だと感じたのだろう。

 王子はレナに翻意を促してくるような真似はしなかった。


 代わりに、レナから聞く。


「お聞きしたいことがあります」


「なんだ?」


「魔王討伐に際して⋯⋯魔人を誘き出す、という作戦があったとか」


「ちっ⋯⋯軍事機密だというのに⋯⋯まあ、犯人探しはやめておこう。ああ、君の言うとおりだ。作戦は成功した」


「では魔人は⋯⋯?」


「討伐に成功した。犠牲者も多かったが⋯⋯」


 その言葉に、心臓が掴まれたように引き絞られる。

 だが、確認しなければならない。


「その、魔人の犠牲者の中に、槍の使い手はいませんでしたか?」


「⋯⋯君の知り合いかはわからない。だが、命と引き換えに魔人にトドメを刺したのは、槍の使い手だった、とのことだ。最近王国軍に参加したと聞いている。決死隊に志願した新人はその男だけだということで、私も耳にしている」


「⋯⋯そうですか、ありがとうございます」


 それ以上何も言わないのは、王子の優しさだろう。

 沈黙が続く中、馬車は目的地に着いた。








 目的地に到着し、王子に案内されたのは病院だった。

 病室の前に兵が陣取っていたが、王子は人払いをしたのち、中へと案内された。


 病室にいたのは⋯⋯変わり果てた様子のノノアだった。

 長年怪我人を見続けたレナだが、これほどの状態は滅多に見ない。

 ギリギリ生きている、という感じだ。


「ノノアさん!」


 レナが声をかけても、当然反応は無い。


「魔王城から帰還した彼女を、城外で我々が保護した。その時は僅かに意識があったが、一度眠ってからは目覚めない。彼女の意識があるうちに聞いたことだが⋯⋯どうやら魔王は、彼女を巻き込む形で自爆をした、ということだ」


「そんな事より、なぜ彼女に治癒魔法を掛けないのですか!? 貴方のお立場なら、高名な治癒術士を招聘できるでしょう!?」


「もう呼んだ」


「え?」


「保護してすぐは、治癒魔法も僅かに効果があったのだが⋯⋯今は治癒魔法も、投薬もほとんど効果がない」


「魔法を、受け付けない?」


「その治癒術士が、これと似た症状を見たことがある、といっていた」


「⋯⋯その方は、何と?」


「呪詛の一種だろう、と」


「呪詛⋯⋯つまり、呪いですか?」


 レナの言葉に頷くと、そのまま王子は説明を続けた。


「これは私の予想も含むが、魔王は最後に、彼女に呪いを掛けたのだ。相手に強力な魔法を浴びせ、仮に生き残っても、呪いで傷の回復を阻害し、確実に相手を亡き者にする⋯⋯」


 王子の説明は納得がいくものだった。

 当初は僅かな魔法が効いた、ということは、呪いは次第に強くなる、ということだろう。

 これは一刻の猶予もない。


「それで、噂に聞いていた聖女──つまり君ならなんとかできるかもしれない、そう思って部下に捜させたんだが⋯⋯まさか牢獄とはな」


 王子の言葉を聞きながら、試しに、レナも治癒魔法を使おうとした。

 だが、数日前の自分とは違い、弱々しい光だった。

 そして、光がノノアへと届く前に消えてしまう。


「ふむ、まずは確認⋯⋯といったところか?」


 今のレナにとって全力だったが、弱々しい治癒魔法を見て、王子は勘違いしたのだろう。

 だが、魔法を当てた感覚と、避難所で多くの人を癒やしてきた経験から、レナは魔王の呪いを突破できる可能性を見出していた。


 神級の治癒魔法。

 恐らく、これならこの呪い消し去り、ノノアを癒せる。


 だが、もちろん、罪を贖い、今から善行を積み直し、スキルを高め直す、そんな時間など──。


 そこで──はたと気付く。


「⋯⋯ずいぶんな、念の入れようだこと」


「ん?」


「すみません、なんでもありません」


 そう、これは恐らく──悪神による最後の布石。

 レナに⋯⋯今の彼女では到底行使できる筈もない魔法を使わせ、排除する。


 そう、魔王が最後に自爆して使った呪いと同じように、力を落としたレナに、命と引き換えにした、強力な魔法を使わせる──その為の一手。


 ならば──感謝しなければならない。


 レナに、少しでも。

 ──罪を贖う機会をくれたのだから!


(良いでしょう、命でも何でも、持って行くがいいわ。例えあなたの思い通りだとしても⋯⋯構わない!)


「主には創造を司りし二本のかいなあり。右腕四指うわんよんしが司りしは──再生! 照覧せよ、其は不変のことわり。包まれし闇夜の帳を切り裂き、人々に光をもたらす日輪の加護を!」


 神級の治癒魔法を唱える。

 それは力を失う前であっても、レナには過ぎた力。

 瞬間、自身の身体から、何かが抜け落ちていくような感覚があった。

 命が燃えるのを感じながらも、構わず詠唱を続ける。


「生命の力枯れぬ湧水の如く。瀕した絶望に希望の断罪を! 神の御業よ今ここに顕現せよ──リザレクション!」


 かつて無いほど、力強い光がレナの手から照射され、ノノアを包む。


 だが、流石に魔王が命と引き換えに残した呪い。

 すぐにはノノア本体には届かない。


 光を照射し続けていると、王子が叫んだ。


「聖女レナ! やめるんだ!」


 王子に腕を掴まれた。

 邪魔しないで、そんな思いで掴まれた場所を見ると⋯⋯。


 自分の腕が、ついさっきまでと姿を変えていた。

 まるで老婆のように、しわだらけになり、皮膚が弛んでいる。

 魔法を使った瞬間感じた感覚。


 自分の生命力が、搾り取られているような不快感。

 あれは気のせいではなかった。

 おそらく、今レナは命を削っているのだろう。

 だが、構わない。


 王子の制止を振り切り、光を照射し続ける。

 なぜなら、これは、犯した罪に対しての、自分の贖罪。






 『会計』スキルなんて、あくまでも自分のスキルを強化する為の手段。

 それが終われば、ノノアはパーティーを去る事になるだろう。


 なんという、不遜な考えだろう。

 たまたま与えられただけの、自分には分不相応な『聖女』のスキルだというのに。

 人に優劣をつけ、自分を特別扱いし、彼女を軽んじた。


 



 決死の覚悟でパーティーを去ったファラン。


 何故、自分は止めなかったのか。

 自分の不遜な考えが招いた事だというのに、『自分には止める資格がない』などと言い訳して、彼を死に追いやってしまった。



 そして、エリウス。


 『君をひとりになんてさせたくない』


 彼は最後に、そう言ってくれた。

 そう言ってくれる人がいるなら、もう、それは、ひとりなんかじゃない。


 だというのに。







 エリウスはきっと、ひとりで悩んだのだろう。

 ずっと一緒にいたのに、何もわかってあげられなかった。

 変に試すような真似などせず、素直に聞けば良かった。

 もっと、素直に気持ちをぶつければ良かった。



 ノノアに『貴女のおかげで、教会は助かってます、ありがとう』

 たった一度でも、そう気持ちを伝えれば良かった。



『死んで欲しくない、行かないで』


 ファランがそれで困っても、無理矢理にでも止めれば良かった。

 もちろん彼が行かなければ、もっと犠牲者は増えたのかも知れない。

 だがそれでも、彼に死んで欲しくなんてなかった。


 なのに、私は。



 






 自分は『ひとりにしないで』そんな事をお願いをエリウスにしたくせに。




 私は──みんなをひとりにしてしまった!

 


 その罪は、贖わなければならない。

 例えそれで──自分の未来が失われようとも。








「これで、大丈夫、だと、思います」


 言葉を発するのも辛い。

 それでも、少しだけ満足感があった。


 完全には癒せなかった。

 だが、ノノアの容態は先程までと違い、顔には朱が差し、呼吸も安定している。


 峠は越えた、と判断できる状態に落ち着いている。

 そして──自分には、もう時間が無い。


「王子、お願い、が」


「なんだ?」


「ノノアには、皆には、この事は、内緒に⋯⋯私は、処刑された、そう、お触れを」


 レナの言葉に、それまで感情の変化を出さなかった王子が、初めて驚いた表情を浮かべた。


「何故だっ! 君はノノアを、英雄を救った、なのに⋯⋯」


「お願い、です。彼女に、私の死を、背負わせたり、しない、で、それを約束して、いただかないと、わたし、安心、して」


 もう、立っている事もままならない。

 ふらつく身体を、王子が支えてくれた。


「わかった。安心してくれ。王家の名誉にかけても、約束は守る」


「ありがとう、ございます」


 もう、言葉を発するのも億劫だったが、最後に王子の目を見ながら礼を言い、レナは目を閉じた。


 目を瞑ると⋯⋯これまでの出来事が、まぶたの裏に浮かんでくる。


 色々な事を思い出したが、最後に思い出したのは──


 ──焼き菓子を食べ、手に付いた粉を舐める自分を見て、優しく微笑んでくれたエリウスだった。


 もし、彼があの時。

 レナが罪を犯す事を知ってなお、子ども達と同じ様に『希望』を配ってくれたのだとしたら。


 自分にも、希望を受けとる資格があると思ってくれたのなら。


 図々しい願いかも知れないけれど。

 また、皆に会える事があるなら。


 今度こそ──。










「レナ、君こそ、まさしく聖女だ」


 王子の声が、遠くに聞こえた。


 

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