第7話 聖女レナ②
翌日、興奮醒めやらぬ俺は再び教会へと足を運んだ。
入ってすぐ、目当ての人物を見つけた。
中庭で洗濯物を干している。
昨日の、シスター服に身を包んだ少女だ。
彼女は俺に気がつくと、頭を下げた。
「あの、昨日はありがとうございます、寄進していただいたそうで⋯⋯」
彼女の言葉が終わるのを待たず、俺は切り出した。
「君は聖女だな?」
その瞬間、彼女は「ビクッ」と体を硬直させ、呟いた。
「な、なぜ⋯⋯」
その瞳には驚愕とともに、昨日以上の怯えが浮かんでいる。
しまった。
その様子を見ながら、俺は失策を自覚した。
彼女が聖女だと知ったのは「導(しるべ)」によるもの。
本来、他人がそれを知るには、「鑑定」スキルの持ち主が、本人に同意を得た上で確認するしかない。
「導」を見せれば話は早いが、秘密を話せば黒字が、つまり失敗が確定する。
焦りが生んだ失態に、どうしようか、と悩んでいると⋯⋯。
「あの、あの! お、お引き取りください!」
彼女は興奮⋯⋯というよりも、恐慌をきたしたように叫んだ。
だがこうなっては仕方がない。
ここで食い下がっても、状況は改善しないだろう。
俺は彼女に言われるがまま立ち去った。
翌日訪ねると、彼女は姿を消していた。
そして、導には黒字で記載された絶望の一言。
「聖女レナ失踪」
その周期で、彼女に再会することはなかった。
二十八回目。
前回の失敗から
「レナに警戒されないようにするにはどうすればいいか?」
ということを考え続けた。
そして前回の周期を無駄にしないために、教会の神父から、彼女の生い立ちについては一通り聞いていた。
彼女がまだ八歳の頃、両親は魔王軍によって目の前で殺された。
その後、親戚の間をたらい回しにされたという。
どうやら彼女は、両親を魔王軍に殺された場に居合わせたショックで、一言も話せなくなったらしい。
そして、親戚もそんな彼女を持て余し、最終的にはこの教会へ捨てた。
そんな彼女を神父は保護し、最近ようやく会話できるようになったところだった、ということだ。
その話を聞き、俺はいくつかの点が腑に落ちた。
恐らく彼女は、怖がっている。
両親が魔王軍に殺された、という体験もそうだが、突然与えられた『聖女』のスキル、それに戸惑いを覚えているのだろう。
『聖女』スキルの持ち主だと周りに知られた瞬間、間違いなく彼女は戦いに駆り出される。
彼女にしてみれば、やっと自分の居場所を見つけたと思った所に、突然『魔王と戦え』と命令されたようなものだ。
事実、俺がこれまで繰り返した中で、『聖女が見つかった』というのは噂すら聞いたことがない。
もし見つかれば、話題になって当然。
そこから考えるに、彼女は俺の介入がなければ、少なくともここから五年間、自分のスキルを人に言うことはない、ということだ。
「とりあえず、彼女の事をもっと知るしかない、か」
俺はパーティーを立ち上げたあと、冒険者として活動しながら、教会に通った。
通いながら彼女の事情について、さも初めて聞くかのように会話を誘導し、神父から聞き出した。
二度目ともなると、聞き出すのにも苦労しなかった。
そして、通うこと半年。
最近では、レナも最初の警戒したような態度は和らぎ、普通に話ができるようになった。
話しながら、多少笑顔を見せてくれることもある。
だが、まだ彼女からスキルの事は聞けていない。
そろそろまた教会に顔を出そうか、と考えていた頃にそれは起こった。
「くっ⋯⋯、しまった!」
「大丈夫かエリウス!」
どうすればレナの警戒心を完全に解(ほぐ)せるのか。
そんな考え事をしていたせいで、狼型の魔物に腕を噛まれてしまった。
すかさずファランのフォローが入り、魔物は槍に刺され絶命した。
ファランが俺の手を覗きこみ、傷口を見ながら言った。
「どうだ? 傷の様子は」
「多少痛むが、問題ない」
俺が答えると、ファランはホッとした表情を浮かべた。
「まったく、お前らしくもない油断だな。念のため消毒しておけよ?」
「ああ、すまない」
消毒の処置を施し、包帯を巻く。
「あらかた片付けたし、今日は切り上げるとするか。依頼条件は達成してるたろ?」
「それは問題ない⋯⋯悪いな」
「いいさ」
ファランの提案に甘える事にし、街へと戻った。
本来は野営するはずだったが、予定を切り上げたおかげで、夜には街へと戻れた。
「さすがに今日は閉まってるか」
馴染みにしている治療院はすでに閉店していた。
命に別状のない傷だったが、噛まれたのは利き手のため、戦いには多少の支障が出る。
夜が明けたらまたここに来て治癒魔法を受けようと決め、常宿へと向かった。
そこで、一日の終わりの習慣となっている「導」の確認をすると⋯⋯意外な文章が赤字で記されていた。
『手傷を負う』
「⋯⋯いや、なんだ? これは」
手傷を負うことなんて、もちろん初めてではない。
これまでにも何度か傷は負ったし、なんなら俺は手傷どころか何度も死んでいるのだ。
今までに無いパターン。
このタイミングで、ってことなのだろうか。
何か引っかかるものを感じ⋯⋯取りあえず傷はそのままにして教会へ行こう、と決め就寝した。
「あ、エリウスさん!」
教会へと顔を見せると、笑顔を浮かべながら俺の名を呼び、レナが駆け寄ってきた。
最初の頃に比べると、随分と変わったな。
その変化を喜びつつ、早く「聖女」の事を打ち明けて欲しいもんだ、と思いながら荷物を差し出した。
「やあレナ。これいつものだ」
俺が孤児たちのために用意した食材と現金を渡すと、レナは受け取りながら頭を下げた。
「いつもありがとうございます。エリウスさんの優しさに甘えてばかりで⋯⋯」
「いや、いいんだ」
正直、俺はレナ目当てで通っているわけで、感謝されると申し訳なさが勝る。
これまで繰り返す中、教会に寄進などしたことは無かったし、今やってることも自分の都合だ。
気にする事はない、と伝える為に眼前で手を振っていると、レナは俺の手を見て眉をひそめた。
「あ、あの、それは⋯⋯」
「ん? ああ。ちょっとモンスターの攻撃を受けてしまってな」
俺の二の腕に巻かれた包帯。
それが気になったのだろう、レナは俺の腕にそっと触れた。
「少し、見せてください」
「ん? わかった」
言われたとおり、手を預ける。
レナは包帯を外し、傷口を見て眉をひそめたあとで、患部に手をかざした。
「あの⋯⋯まだそれほど上手く使えませんが」
前置きし、レナは呪文を唱え始めた。
「主には力持つ八本の指あり。左手、薬指が司りしは光。其は育み癒す力。再び立ち上がる力をこの者に与えたまえ⋯⋯ヒーリング!」
レナの手から光が照射される。
正直な感想としては、普段受けている治療院の術士が施す魔法より拙い。
ハッキリ言って、数段下。
戦闘中とっさに回復、というレベルではないのは確かだ。
だが、俺はなんとか表には出さないように苦心しながも、心の中では発見の喜びを伴った快哉を叫んでいた。
(そういうことか!)
昨日「導」に記された文章──『手傷を負う』。
恐らくだが⋯⋯。
ある程度レナと親密になり、その上で手傷を負った状態で彼女の元へ訪れ、治癒のために魔法を使わせる。
それが必須だということだ。
治癒魔法をかけてもらう、つまり──スキルを話題にできる!
それは罠にかかった獲物を逃がさないようにする、狩人のような発想だった。
『ついにお前の尻尾を掴んだぞ』
そんな獰猛な、歪んだ快感だ。
だが⋯⋯。
「終わりました⋯⋯どうですか?」
レナが俺の反応を気にしながらも、やや控えめな笑顔を浮かべた。
それを目の当たりにして──俺は、一気に冷水を浴びせられたような気持ちになった。
(俺は、何に対して喜んでるんだ⋯⋯違うだろ、それは)
先ほどまでの内心の興奮が、少し落ち着くとともに罪悪感を覚えた。
繰り返す中、時を経て老獪さを覚え、レナの善意を素直に喜ばず、歪んだ形でしか捉えることのできない、今の自分に少し嫌気がさす。
彼女は本来、自分の力を隠したいのだ。
本当なら赤の他人に治癒魔法なんて使いたくないはず。
だが、教会のために腐心するように見せた俺の態度を信用し、どの程度かはわからないが心を開いてくれ、傷ついている俺を癒すことを選んでくれた。
そんな、純粋な、彼女の善意を利用して、俺は目的を果たそうと⋯⋯望まぬ戦いの場に担ぎ出そうとしている。
心に大きな傷を負い、それがやっと癒え始めたばかりの少女を。
この状況は、正に彼女が恐れていた状況。
聖女だと知られたら、戦いの場に担ぎ上げられてしまう、と。
だというのに、俺は知らないふりをして近づき、彼女を自分の目的のために利用しようとしている。
いまさらその事実に気がつき、自己嫌悪を覚えそうになる。
──しかし。
それでも、俺にはやらなければならない事がある。
「魔王を殺す」
それが俺の譲れない一線だ。
「レナ、君は治癒魔法が使えたのか」
「はい、その、えっと⋯⋯」
どう言えばいいか、そんな迷いを含んだ彼女の言葉を遮るように、俺はレナの手を、自分の手で挟み込むようにして掴んだ。
突然の俺の行動に、彼女が体を硬直させる。
俺は彼女に縋るようにして言った。
「前も伝えたが⋯⋯俺は魔王を倒すために戦っている」
「はい、それは⋯⋯」
彼女が目を反らそうとした瞬間、少しだけ手に力をこめる。
驚いた彼女がこちらへと再び視線を向けた。
「実は⋯⋯昨日の戦いで傷を負い、治癒魔法の使い手は欠かせない、そう感じていたんだ。魔王を討伐するのに、君の力が必要だ。だから協力して欲しい」
「わ、私は⋯⋯」
「もちろん、無理強いはできない。君が抱えている事情も聞いた」
「神父様⋯⋯ですね?」
俺は頷きながら、言葉を続けた。
「君が戦いを恐れているのはわかる。だけど、魔王は誰かが倒さなければならない。俺や君、そしてあの子たちのような、親を失い悲しませる子どもを、少しでも減らしたいんだ!」
「⋯⋯」
「頼む、俺を助けてくれ。これからも教会への寄進は欠かさない。そして、戦いでは俺が君を守る、約束する!」
そのまま、しばらく彼女と視線を交わす。
ややあってレナは目を伏せ、少し考える様子を見せたあと、視線を真っ直ぐと俺へ向けながら言った。
「⋯⋯一つ、だけ」
「一つと言わず、幾つでも言ってくれ」
「いえ、一つで構いません。エリウスさん」
「エリウスでいい」
「⋯⋯エリウス、私を、絶対に、見捨てないで、置いていかないで、ひとりに⋯⋯しないで」
そのまま、泣いてしまうのではないか、そんな表情と、震える手が、彼女の感情を俺に伝えてくる。
親に先立たれ、親類には見捨てられた彼女。
きっと、彼女は孤独を何よりも恐れている。
それが伝わってくる。
レナは先程までの俺と立場を入れ替えたように、縋るような目で俺を見ている。
その目をしっかりと見つめ返しながら、俺は誓った。
「ああ。何があっても君を見捨てたりしない、ひとりにしないよ」
「ありがとう、エリウス。それを約束してくれるのなら⋯⋯あなたの為に使います、私のスキルを」
「君の⋯⋯スキル?」
「はい。私のスキル⋯⋯『聖女』を!」
気弱なはずの彼女は、精一杯の力を込めながら、その意志を俺に伝えてきた。
後に知る。
「君をひとりにしない」
この誓いは、破られることが前提。
それを知りながらも、俺が何度も繰り返す、偽りの宣誓。
魔王討伐の為には仕方ない。
そう自分に言い聞かせながら、俺が繰り返し重ねる罪。
⋯⋯だけど。
少なくとも、この時の俺は本気だった。
望まない戦いに担ぎ出す彼女を、せめて全力で守る。
彼女をひとりになんてしない。
そう──本気で誓ったつもりだった。
こうして記された、待望の一文。
もちろんそれは赤字だった。
『聖女、レナ加入』。
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