第2話 取引

 成人の儀式を終え、俺は「剣豪」のスキルを授かった。


 剣聖では無かったことにがっかり──ということは、特になかった。


 なぜなら、父も昔は「剣豪」だったらしいが、そこから修行を重ね、「剣聖」へと覚醒したらしい。


 だから俺も頑張ればいつか「剣聖」になれるだろう、とだけ思った。


 俺がまだ幼い頃に死んだため、父に関しての記憶はほとんどない。

 だがそれでも、一つだけハッキリ覚えている事がある。


 ⋯⋯いや、もしかしたら繰り返す中で、あまりにも反芻した記憶のため、事実では無い事が混ざっている可能性もあるが。


 とにかくそれは、父が旅立つ日に交わしたやり取りだ。


「まだ幼いお前と母さんを残していくのは不安だ⋯⋯だけどな、父さん、お前と、この国の人たちに、青空を見せたいんだ」


 俺の頭を撫でながら、父はそう言って旅立った。


 俺は青空を知らない世代だ。

 生まれてからずっと、空には魔王が生み出した黒雲が蓋をしている。

 農作物を含めた植物は陰生の物しか育たず、常に食料や物資は不足。


 魔王軍と対峙する人類、その最前線として、黒雲の影響が少ない周辺諸国から支援を受け、なんとか国体を維持している貧しい国。


 当然国民も貧困に喘ぎ、出国する者も後を絶たない、それが俺の生まれたこの国だ。


 そんな状況を打破しようと、剣聖として覚醒した父は旅立った。

 

 そして二年後、形見の剣と共に訃報が届いた。

 届けてくれたのは、父と同門で、同じパーティーに所属していた「剣豪」のスキル持ちだった人だ。

 その人が、父の最期を教えてくれた。


 父はある村の近くで魔王と戦った。

 互角だったらしい⋯⋯途中までは。


 戦いに巻き込まれないようにと、父が一対一で魔王を引き付けている間、他のパーティメンバーは村人の避難を誘導していた。

 もう少しで村人たちの避難が終わるという時、魔王は父ではなく、村へと向けて強力な魔法を放った。

 父は村人たちと他のメンバーを助けるため、自らの身を挺してその魔法を受けた。


 加勢しようとしたパーティメンバーを「来るな! やることをやれ!」と叫び、制止したという。


 避難を終え、彼らが戻ってきた時には、既に魔王は去り、父の死体と、愛剣だけがそこにあったらしい。


「俺が、俺が魔王と戦い、あの魔法を受けるべきだったんだ! 俺は、みすみすこの国の⋯⋯いや、人類の希望を死なせてしまった! すまない、本当にすまない⋯⋯!」


 涙ながらに語る彼、その肩に手を乗せ、母は首を振った。


「そんな事をおっしゃらないでください。夫の行動を誇りに思いこそすれ、あなたを非難する気などありません」


 次に母は、俺の方を向いて言った。


「いいですか、エリウス。魔王に敗れこそしましたが、あなたのお父さんは立派な人です。あなたも父を見習い、剣に励み、人を守れる男になりなさい」


「はい!」


 頷いて返事をすると、母は笑顔で俺の頭を撫でながら、満足そうに頷いた。




 その日の夜、寝付けなかった俺は、一旦用を足そうとベッドを出た。

 そして一人、形見の剣を抱いて、静かに泣く母を目撃してしまった。


 幼心にも、母が、剣を届けてくれた男と、俺に気を使い、必要以上に気丈に振る舞っていた事が伝わってきた。


 そんな母を見ながら、誓った。



 ──俺が父の宿願を受け継ぎ、魔王を殺し、この国に青空を取り戻す、と。







 剣を届けてくれた人に懇願し、師となってもらい教えを乞い、自分に厳しい修行を課した。

 師は「お前の才能は父親以上だ」と太鼓判を押してくれた。

 師が言うには、二人は幼なじみで、よく父にコテンパンにのされていたらしい。


「あいつはなぁ、よく『もう対策は完了している』そう言って、俺の技をあっさりかわしたもんだ。年下の癖に生意気な奴だったよ」


 師は、父との思い出を、楽しそうに、時に寂しそうに語った。


 俺が十三歳の時、師は


「もうお前に、俺が教えられることは無くなった。これからは自分で考え、修行しろ。俺は俺のやり残した事を片付けに行く」


 そう言って旅立った。

 一年後、師もまた魔王軍との戦いで死んだ、と伝わってきた。

 訃報を耳にして、幼年時の誓いはさらに強くなった。


 当たり前だ。

 俺は魔王に、二人も父を殺されたのだ。






 父と同じ「剣豪」のスキルを授かったその日の夜。

 あれは夢なのか、それとも現実なのか。


 とにかく俺は気がつけば、真っ暗なはずなのに、視界の開けた不思議な空間にいた。


 見渡す限り黒一色の世界に、俺ともう一人男がいた。


 黒い仮面に、黒の燕尾服。

 道化のような雰囲気の男だった。


 仮面は笑顔を浮かべたような意匠にもかかわらず、なぜか真顔にも見える、と言った印象だ。

 男は馴れ馴れしく、親しみを込めた様子で俺に話しかけてきた。


「やあ、エリウス」


「⋯⋯なぜ、俺の名を?」


「君の事は良く知ってるんだ。ボクの事は⋯⋯そうだね、クロ、とでも呼んでくれればいい」


 おどけた様子で自己紹介しながら、クロは言葉を続けた。


「魔王の死を望んでる⋯⋯そうだね?」


「この国の者は、皆そうだ」


「うん、確かにそうだ。それで⋯⋯一つ、提案がある。だからここにキミを招いたのさ」


 男の言葉を聞きながら、俺は少しでも状況を把握しようと周囲を観察した。

 何か⋯⋯空間を形成するスキルか?

 もしそうなら、俺にとって聞いたこともない、未知のスキル。

 胡散臭い状況、相手。

 だがなぜかその時、俺はこの状況に疑問も持たず、素直に耳を傾けていた。


「君には眠っている『力』がある。ボクはそれを呼び覚まして、魔王の死という結果へと君を導く事ができる」


「眠ってる、力?」


「そう。剣聖なんかにならなくても、もっと早く、魔王を死に導く素晴らしい力なんだよ」


 それが本当なら、是非欲しい。

 自然とそう思った。


「そんな物が本当にあるなら、欲しい」


「そうだよね、でもこれは取引でね。その代わりに、君には『ある物』を対価として捧げて貰わなければ──」


 ピシッ。


 話しの途中で、俺と男の間を遮るように、何かが割れる音を伴い、黒い空間の一部にひびが入った。

 空間に、縦に白く線が入る。

 そこに引っかかるように突き出た指先が、隙間を押し広げた。


 縦長の菱形となった亀裂から、白い光が漏れ出る。

 そこから男を対照的にしたような、白い仮面と白い燕尾服の男が飛び出して来た。


 男は現れるや否や、叫んだ。


「耳を貸すな、エリウス!」


 突然の事に、俺が驚いて二人を見比べていると、白い男は少し焦った様子で言葉を続けた。

 

「ボクはここにあまり干渉できない。こうしている間にも、ボクの力は失われ続ける、だから端的に言う──その男の言葉に、耳を傾けてはいけない!」


 どういうことだ?

 俺は白い服の男に聞いた。


「奴は嘘をついている⋯⋯と?」


 俺の疑問に、白い男は首を振りながら答えた。


「違う。残念ながら全部本当の事だ。この場所では⋯⋯誰も一切嘘をつけない」


 一切嘘をつけない?

 でも耳を貸してはいけない?

 意味がわからない。


 俺が内心で困惑していると、白い男はさらに言葉を続けた。


「だから奴の言葉に一切の嘘はない。奴は今、真実しか口にすることを許されていない。だがそれでも──奴は君を騙そうとしている!」


 それだけ言い残し、白い男が菱形の隙間に吸い込まれるように姿を消す。

 そして、そこには最初から何もなかったように、白い入り口は閉じた。


 口を挟むことなく、俺たちのやり取りを黙って見守っていた黒い男が、再び俺へと話しかけてきた。


「とんだ邪魔が入ったね⋯⋯まあ、来るとは思ってたけどさ」


 そう言って肩を竦めたのち、言葉を続けようとする。


「それで、どうする? あの男の──」


「その前に」


 確認することがある。


 俺は黒い男の言葉に被せながら、言おうとした。

 俺は女だ、と。


 明らかな嘘。

 だが口から出たのは違う言葉だった。


「俺はだ」


 意図しない言葉を紡ぎ出した口を、思わず自分の手で塞ぐ。

 そんな俺の様子を見て、


「知ってるよ?」


 クロは愉快そうに、クックと声を漏らして笑った。


 これによってわかったこと──少なくとも、俺は嘘をつけない。

 ならば、確認する事はもう一つ。

 俺は困惑しながらも手をどけ、更に言葉を続けた。


「お前は俺を騙そうとしているのか?」


 無い知恵を絞り、ようやく出した質問だった。

 あの白い男の言葉が全て真実なら、クロの答えは決まっている。


 相手が俺を騙そうとしていて、その上で嘘をつけないのなら、「そうだ」という答えしかないハズ。


 俺の質問に、黒い男は「んー」と、短く言葉を発し、少し考える様子を見せたあとで言った。


「彼の立場から考えれば⋯⋯そうなるね。でもボクの立場から言わせて貰えば、別に騙そうとしてるわけじゃあない。ボクにメリットがある、という点に関しては否定しないけどね。それに、取引に乗る、乗らない、それを選ぶのは結局君だし。君が断るなら残念だけど、仕方ないね。諦めるさ」


 それまで同様に微笑みながら、黒い男から発せられた言葉で、俺は駆け引きは無駄だと悟った。


 都合の悪い事は、ストレートに答えないという選択肢が相手にはある。


 だが⋯⋯裏を返せば、相手が嘘をつけないというのもまた、ある程度の信憑性がある、とも思った。


 嘘がつけるのなら、あんな遠まわしに、言葉を選ぶ必要はない。


「騙す気なんかないよ」


 と言えば済む話だ。


 実は俺とは違って奴は嘘をつける上、そう俺が考える事すら奴の術中なら、それこそお手上げだ、俺が駆け引きできる相手ではない。

 

 それでも、この不可思議な状況に呑まれそうになりながら、警戒心を引き上げた。

 その様子が伝わったのか、クロはまた肩を竦めながら言った。


「実はあまり時間がないから、話を先に進めさせて貰うね? まず、ボクとさっきの男⋯⋯共通点があるとすれば、それぞれが、それぞれの立場で、君に役割を求めてる」


「役割?」


 答えながら、「耳を貸すな」という忠告を無視していることは自覚していた。


 だが、魔王討伐のヒントとなるなら、少しでも情報は欲しい。


「そう。さっきの男は君に魔王を倒して貰いたい、と考えている。そして、ボクはボクで、君に新たなスキルに目覚めて貰い、魔王の死を目指して欲しい、と思ってる」


「⋯⋯それは、同じことなんじゃないのか?」


「まあ、君の立場ならそう見えるかも知れない。だけど、結果へと至る道が違う。さっきの男⋯⋯面倒だからシロ、と呼ぼうか。シロの望む方法だと、魔王の死まで十年かかる。ボクの望む方法なら実質五年だ」


 五年と、十年。

 その真偽はともかく⋯⋯倍も違うのか。


「シロの望む方法だと、この国は破綻する。魔王討伐後、疲弊したこの国は、周辺国に領地を切り取られ、消滅する。せっかく青空を取り戻したのに⋯⋯ね。これからボクが提案する方法だと、それは回避できる」


「お前の提案に乗れば、この国の破綻は回避できる、と?」


「そういうこと。つまり、魔王によって失われるハズの、多くの命を救うことができる」


 救える命の数が違う⋯⋯。

 そこだけ比較すれば考えるまでもない、こいつの提案に乗らない理由はない。


 だが。


「なぜ、お前にそんな事が分かるんだ?」


「ボクらだって、何でもかんでも分かる訳じゃないんだけどね? 想定した通りに結果が積み重なれば、運命はそこに向かうだろうって予想が立つだけで。想定外の結果が起こる事だって珍しくないんだ、例えばここでキミに断られる、とかさ」


 つまり、コイツは俺が取引に乗る、と考えている。

 むしろ、乗せる自信がある、と見るべきか。


 今のところ、コイツの言うことは良いことずくめだ。

 だからこそあやしい。


 だが。


 五年と十年だと、この国の被る被害が格段に違う、というのは真実だろう。

 なぜこの男がそんな先のことを知っているのか、それはわからない。

 だが、嘘がつけない、という前提がある以上、奴が妄想にでも取り憑かれてるわけでなければそれはつまり真実だ、ということになる。

 ハッキリいって今この瞬間にも、魔王軍と黒雲のせいで命は失われ続けている。


 五年前と今を比べても、それは明らかな事実。


 毎日、大勢の命が失われる日々。

 餓死、戦死、理由は挙げればキリがない。


 だが、嘘がつけないからこそ、シロの言った


「騙そうとしている」


 という言葉が引っかかる。


 シロ本人は、少なくともコイツが俺を騙そうとしていると思っているし、コイツもそれは完全には否定していないのだ。


 もう少し、どうにか核心を突くような質問は無いのか、と俺が考えていると⋯⋯。


「ごめんね。もっと色々聞かれても、当然答えるつもりなんだけど、本当に時間がない。だから君次第だ」


 そしておそらく、時間が無い、というのもまた本当だろう。

 その証拠に⋯⋯黒一色だった空間が、端から消え始めている。

 黒いこと自体は変わらないが、視界が通らなくなっているのだ。


「それに」


「何だ?」


「実はこの取引、一度結んだとしても⋯⋯いつでも破棄できるんだ」


「それはまた⋯⋯随分と都合がいいな」


「そうだろう? 君が『魔王の死』、それを諦めさえすれば⋯⋯この取引は無かったことになるんだ。無かったことにして、やり直せる。再スタートさ。だから安心していいよ? 決定権は常にキミさ⋯⋯ボクの立場からすれば、まあ残念だけどね」


「再スタートってどういう意味だ?」


「もう、時間が無いって言ってるのに⋯⋯そのままの意味さ。ボクの予想だと、この取引自体は成立するけど、結局君は魔王の死を諦め、再スタートを選ぶ可能性は高いと思ってる」


「⋯⋯何だと?」


 自分の誓いを軽んじられた気がして、俺は思わずクロを睨みつけた。


 その視線を軽く受け流し、クロはそれまで通り、仮面による笑顔を維持し続けながら謝罪した。


「いやゴメンゴメン。でもほら、なんせこの場所って、嘘がつけないからさ。もちろん、是非やり遂げて欲しい、そう思ってるよ。──さあそろそろ決断の時だ」


 おそらく嘘がつけないというのは、口にする言葉に関してだけなのだろう。

 クロは謝りながらも、その表情には全然、悪気や反省は浮かんでいない。


 ただ、周りを見るに、考える猶予はもうほとんどなさそうだ。

 やり直せる、の意味がわからないが⋯。


 いいだろう。

 仮にコイツが悪魔でも、なんでも。


 父に成り代わり、師のあとを継ぎ、俺がこの国の人たちに青空を見せる。


 一刻も、早く。

 そして五年で失われるはず人々の命。

 背負ってみせる、やってやる。


 俺は腹を括った。


「⋯⋯いいだろう。だがその前に、取引の対価ってなんだ?」


 それまでと違い、クロの雰囲気から感情の変化を読み取れた。

 端的にいえば、嬉しそうだった。


「ありがとう、エリウス。取引の対価、それは──」



 取引は成立。

 俺は「しるべ」を手に入れた。

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