「また」会える日まで

黒夢

第1話

 夜明け前の午前四時。今は夏に入ったばかりということで、あと数分もすれば太陽が昇り始める。

 そんな中、私は深夜の蒸し暑さに耐えれず目が覚めてしまった。

 私の部屋にはエアコンがなく、二段ベッドの上なので、扇風機もろくに置けない。夏にそんなところで寝ていれば、当然起きてしまうわけで。

 バッ、と羽織っていた薄い掛け布団を跳ね除け、まだ半分しか開かない目を片手でこすりながら梯子で降りる。

 家族が寝ているので明かりを付けるわけにもいかず、かといって目も慣れていたので、難なく扇風機のあるリビングへと辿り着いた。

 家族は寝室で寝ているため、リビングも私の部屋同様蒸し暑い。扇風機をぽち、と付けると、生き返るような涼しさが結んでいない髪をなびかせる。

 少し涼んだところで、喉が渇いていることに気付いた。その場から立ち上がりキッチンの方へ向かうと、自分のコップを棚から取り出す。冷蔵庫を開いて右側にある二リットルのお茶のペットボトルを取り出し、コップに半分ほど注ぐ。

 私はキッチンにペットボトルを置いたままコップに入ったお茶をぐびっ、と一気に飲み干した。

 ぷはー、とキンキンに冷えたお茶を飲んだあとに自然と出るその言葉は、夏の定番だなと感じた。

 ペットボトルを冷蔵庫へ戻し、また扇風機の前へと座り込む。リビングの床には絨毯が敷いてあるので、このまま寝てしまってもいいな。なんて思い寝転がると、視線の先にはカーテンを閉め忘れたのか窓の外の風景が見えた。

 まだ日が昇っていない、数少ない夏の夜。

 私は何を思ったのか、その夏の夜を直に感じたいと思いその場を立ち上がった。次の瞬間には、靴を履いてドアノブを捻っていた。

 まだ夜だというのに、夏の風は生暖かかった。決して涼しいとも言えないけれど、昼の地獄のような暑さに比べればなんてことはなかった。むしろずっとこの気温が続けばいいのに、なんて叶わないことまで思ってもみた。

 行先は特に決めていなかったけれど、夜の散歩の定番と言えば、やはりここ。

 家から数分歩いたところにある公園は、ドッチボールは出来るだろうという具合の広さで、遊具も滑り台鉄棒ブランコと一通りは揃っていた。

 私はその遊具の中から滑り台を選んで階段を上った。上ったあともすぐには滑らず、体を一回転させ辺り一面を見渡した。

 住宅街を照らす街灯がぽつんぽつんと道に沿ってあり、よくよく家の方を見れば、部屋の明かりがついている家もあった。私みたいな人がいるのかも。なんて思いながら、滑り台のてっぺんで私は息を吸い、そして吐いた。

 夏の夜の空気は決して爽快とまではいかないが、それでもなんだか心が晴れたような気がした。

 滑り台を滑り、滑り終わったあとも立ち上がりはせず、そのまま滑り台に体を預ける。

 少し冷たい金属の部分が、感触の悪さなど消し去って気持ち良く感じる。

 そして私はそのまま眠りへと落ちていった。




 次に目を覚ました時には、もう日はすっかり昇っていた。時間は、と慌てて公園にある時計を見ると、五時を針指していた。

 よかった。と胸を撫で下ろすと、私は足早にこの公園を去ろうとした。

 公園の出入り口に行く途中で、ベンチに座っている人がいることに気付いた。私はお年寄りの人なのかと思いそちらに目を向けると、高校生の私と同じぐらいの年齢の子がベンチにもたれかかっていて、夜が明けたばかりの空をぼーっと見上げていた。

 私は何故か彼女の心情に興味を持ち、隣に連なっていたベンチに座った。

 ぼーっと空を見上げていた彼女は私が座ったことに気付き、少しだけこちらを向いた後、また空を見上げ直した。

 特になんの感情がある顔でもなかった。本当に、ただただぼーっとしているだけ。

 私は少しだけ勇気を出して声をかけてみた。


「空、好きなんですか?」


 きっかけを作るにしても、少しお粗末な言葉だった。誰だってぼーっとしたい時はあるだろうし、空を見上げることぐらい私だってする。それでも、彼女は透き通った声で答えてくれた。


「別に、特段好きってわけじゃないですけど、こう、見てると落ち着くので」

「わかります。いいですよね。夜明けの空」

「はい。とても」


 そこで会話は終わった。でも、彼女も嫌な声色はしていなかったので、いい会話だと思った。

 公園の時計の針は五時半を指していた。六時には家族が起きてくるので、家にいないと心配されると思い私は帰ろうとベンチから立ち上がった。

 彼女が立ち上がった私を見たので、「また」と声をあげると、彼女も「また」と返してくれた。




 家の玄関の扉を開くと、恐らくトイレから出て来たばかりのお母さんが居た。


「あら、どうしたの」

「ちょっと暑くて寝れなくてさ、外で涼んでた」

「ああそっか。あんたの部屋エアコンないもんねぇ。今度つけてあげよっか?」

「い、いいの!?」


 思いもよらぬお母さんの提案に驚きと喜びが溢れ出してきた。


「わたしだけじゃ決めれないからお父さんに話してみるけど、多分つけてもらえるよ。最近暑いもんねぇ。そりゃ起きるよね」

「う、うん。ありがとう!」


 あっという間に今夜起きた問題が解決しそうで、私は歓喜のあまりお母さんの両手を握っていた。




 それから三日後、私の部屋にエアコンが付いた。この何もなかった三日間は幸いにも気温がいつもより低く、夜中に目覚めることはなかった。そして、今夜からはもっと快適に過ごせる。なんて幸福なことなんだろうと大袈裟に感動の涙を流すと、オイオイ。と家族に突っ込まれた。

 そして数週間、私はあの日の出来事を忘れ何事もなく過ごしていた。私が普段起きるのは六時半で、家を出るのは七時半。偶然あの時間帯に公園に行くことなんて、それこそ夜明けに目が覚めてしまう以外にない。

 だから、五時に目が覚めて、ふっと思い出した。

 ――この時間帯に公園に行けば、また彼女に会えるのではないか。

 どうせ二度寝する気も起きなかったので、私は一瞬のその考えに同意した。

 靴を履いて、ドアノブを捻る。夜明けの日差しが今日は眩しい。手で光を遮りながらも、公園へと足を運ぶ。

 公園に入りベンチの方へ目をやると、やはりあの時の彼女が居た。

 私は彼女の座っているベンチの隣に座り、そして彼女も私を見た。一瞬驚きつつも笑顔で答えてくれた。


「もう来ないのかと思ってました」

「あはは、普段あんまり朝早く起きないので……」

「今日はたまたま……ですか?」

「あぁ、まぁ、はい」

「ふふ、それでも来てくれて嬉しいです。ひとりで見るより、ふたりで見た方が私は好きなので」


 そう彼女は言うと、また以前のように空を見上げ始めた。私もつられて見上げると、今日は雲一つない晴天だった。

 だから日差しがあんなに眩しかったのか。なんてひとりで疑問を解消していた。

 そして空を見上げている数十分の沈黙。しかし、決して怖い雰囲気などではなく、穏やかな、緩やかな。リラックス出来るような空間になっていた。

 それは、彼女が隣にいるからか。定かじゃないけれど、そんな気がした。

 五時半。時計の針がそう指すと、私はまた立ち上がった。


「もう行っちゃうんですね」

「家にいないと家族に心配かけちゃうかもですから」


 苦笑いをしてそう答えると、彼女は笑って、「また」と言ってくれた。私もそれに「また」と返した。

 この関係は「また」と言う限り続くのだと、私はのんびりそんなことを考えていた。

 そして「また」いつか私は彼女の元へと足を運ぶ。

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