ヤンデレの良さを理解している僕は、彼女の良さを全て引き出す

九夏なごむ

僕と彼女のあれやこれ

第1話 作法その一

 ヤンデレな彼女と良好な関係を築きたくば、それ相応の作法を身につけるべし。

 作法その一。ヤンデレ娘に見つめられても見つめ返してはならない。



 竜胆りんどうカナデは僕を見つめていた。クラス内でも特別に影の薄い僕のことを、真反対の性質を持つ彼女が、離れた場所から、目を見開いたまま、じっと見つめていた。


「カナデ? 次、移動教室だよ? 早く行かないと」


 クラスメイトの声に竜胆はハッとするも、決して僕から目を離さない。一方、僕は蛇に睨まれた蛙だ。顔を軽く伏せ、視界の端に映る彼女のその視線から解放される時を待つしかなかった。


「ごめん、先に行ってて。ちょっと用事があるから」


 彼女の返事を受け、クラスメイトが去っていく。去り際、僕に一瞥くれるも、さして気にした様子はない。

 そうして、一人二人とクラスメイトたちが教室を去っていく。教室に残ったのは僕と彼女の二人だけだった。


 ――ヒタ……ヒタ……ヒタ。


 床を踏む音が近づいてくる。


浅見あさみくん。次は移動教室だよ? 早く行かないと遅刻しちゃうよ?」


 そんなことは知っている。君が僕を解放してくれれば、すぐにでも僕は音楽室に向かうつもりだ。


「あ~、そうだっけ? じゃあ、早く行かないとね」


 とぼけたような口振りで声を出すと、僕はすっと立ち上がることが出来た。


 蛇の呪いがけたのか?


 いや、少し緊張がほぐれただけで、いまだに彼女は僕を見つめ続けている。


「浅見くんって意外に忘れっぽいんだ。……かわいい」


 男に向かって可愛いだなんて失礼な話だけれど、彼女の声は僕の耳に届くか届かないかくらいの大きさで、つまり、ただの独り言なんだろう。だから、僕は教科書を手に取り、黙って歩き出した。



 音楽室に向かう途中、何度も竜胆の肩と僕の肩がれ合う。距離感がおかしい。遠くから僕を見つめていたかと思えば、二人きりになった途端に密着。


 これは恋人たちの距離だ。


 思えど、離れてくれとは言わなかった。


「竜胆さんってさ。パーソナルスペースって言葉、知ってる?」


 実際のところ、僕の言葉は離れてくれと言っているようなものではあった。オブラートに軽く包んだだけだ。


「パーソナル……何それ?」


 平均よりも少し背の低い彼女が僕を一心に見つめ続ける。ただでさえ大きな瞳を大きく大きく見開いて、決して僕から目を離さない。

 僕は彼女と目が合わぬよう、真っ直ぐ廊下の先を見つめていた。


「人が他人に入られたら嫌だと感じる距離のことだよ。男性の方が縦に長いとか言うけど、まぁ、人それぞれだろうね。因みに、僕は全方向にかなり広いよ」


「へぇ~。浅見くんって物知り博士さんなんだね。……すっごいなぁ」


 感心はしても僕から離れてはくれない。残念ながら、彼女の中に入ってもオブラートは溶けてくれなかったらしい。


「別に感心してもらえるほど物知りじゃないけど……」


「あっ、ところで、そろそろ秋だよね。秋と言えば、やっぱり行楽の秋っ。山に行って紅葉を眺めるとか、近場の公園でお散歩するだけでも楽しいよねっ。いっその事、遊園地っていうのもアリかなぁ。知ってる? 近くに遊園地が出来たらしいよ?」


 唐突に話題が「秋」に替わってしまったけれど、僕としては別に距離感の話を深堀したかったわけでもないので構いはしない。


「へぇ〜、そうなんだ。でも、やっぱり秋は読書に限るよ。雨も多いし、部屋でゆっくりするのが一番でしょ。新しく出来た遊園地なんか行ったって待ち時間が長いだろうしね」


 これだから僕はクラスで影が薄いんだろう。インドア一直線の返答だ。


「……ああ、そう。……そうなんだ。……あ、じゃあ、浅見くんはどんな本読むの?」


 一瞬、彼女が目を見開いて、その笑みを消したけれど、実は彼女が目を見開いているのは教室からずっとだ。

 瞬きをしないで目は乾かないんだろうか? ドライアイの僕には到底不可能な所業だろう。


「ん~、漱石が一番好きかな。高校生読書感想文コンクールってあったでしょ? 昔の作品はあんまり読んだことなかったんだけど、その時に読んでからハマってさ」


「あっ! 漱石、知ってる! あの……、こころ? とかスゴく良い話だよね。あと、坊っちゃま? とかも。やっぱり漱石が一番だよね。浅見くんも、漱石……好き?」


 彼女の口から飛び出してきた「坊っちゃま」という謎の作品の話はともかくとして、好きも何も漱石の話題は僕から振ったはずだし、最初に好きだと言ったはずなんだけど……?


「え? まぁ、他の人よりは……たぶん」


「『他の人よりは』とかじゃなくて。……好き?」


「うん」


「いや、『うん』じゃなくて。好き?」


 なぜ何度も聞いてくるのかと思ったけれど、これだけ聞いてくるということは、きっと彼女は僕に「好きだ」という言葉を言わせたいんだろう。

 だったら、僕はこう答える。


「え~と、イエス」


 これだから僕は日陰者なんだ。素直に「好きだ」と言えば良いものを……。


「ぐぬぬ……。欧米かっ……」


 まさか、このタイミングで彼女の口から往年のツッコみが飛び出してくるとは思わなくて、不意に僕は笑ってしまっていた。

 彼女に目を向ければ、僕に笑われたせいか、顔は真っ赤で、そんな彼女が何だか可愛く思えてしまう。だから、僕は彼女の瞳を直視した。


「好きだよ。すごく好き」


 僕の言葉に彼女の顔が更に赤みを増していく。そして、彼女は目を瞑った。


「私も……好き。……スキ。……ダイスキ」


 目を開いた彼女はヤンデレ独特の暗い笑みを携えていた……。



 作法その一、改正。ヤンデレ娘に見つめられても見つめ返してはならない。彼女の中の恋心が燃え上がってしまうから。、その恋心を受け止める覚悟がある場合においてのみ、その限りではない。


【これからコメディライクな二人の恋物語が始まります。フォロー、星、感想などいただけると嬉しいです。たぶん嬉しすぎて庭駆け回ります】

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