第2話 今ならまだ間に合う

「本当に椿ちゃんなの!?」

「私の顔を忘れてしまいましたか?」


 凛とした、けれどどこか眠そうな表情で椿が言う。

 ホームルームが終わった後、風太は椿の手を引いて、屋上に上がる階段下の物陰に来ていた。


 転校初日、ホームルーム中の大胆過ぎる告白である。

 クラスの女子は大騒ぎ。

 とてもではないが教室では落ち着いて話せないので避難したのだ。


「忘れるわけないよ! いや、その、別人みたいに綺麗になったとは思うけど……」

「はい。風太君の隣に並んでもバカにされないように、ずっと女を磨いていましたので」


 真顔で告げる椿は本当に別人みたいだった。元々可愛い子ではあったのだが、数年の間に背はぐんと伸び、顔立ちも大人っぽくなっていた。可愛いというよりも、綺麗という言葉が似合う。平らだった胸も、びっくりするくらい大きく膨らんでいる。


 風太は女の子にちやほやされるのが嫌で、見た目には全く気を使っていなかったから、むしろこちらが見劣りするくらいである。


「それはその、嬉しいんだけど……」

「気にしないで下さい。これも風太君の彼女になる為ですから」


 ニコリともせず椿が言う。

 それで風太はハッとした。


「じゃなくて! だめだよあんな事したら! 僕は今でも無駄にモテてるんだ! 告白なんかしたら、またいじめられちゃうよ!?」

「平気です。もう、あの頃の私じゃありませんので。風太君との仲を引き裂こうとする奴は、全員捻り潰してやります」


 そんな事を言われても、風太の目には椿は虫も殺せそうにないか弱い美少女にしか見えなかった。


「無理だってば! 今ならまだ間に合うから! 教室に戻って、みんなの前で冗談だったって言おう! 僕はもう、椿ちゃんを不幸になんかしたくないんだよ!」

「風太君と結婚出来ない事がなによりの不幸なのですが?」

「け、結婚!?」

「付き合ったら最終的にしますよね、結婚」

「そりゃ、すると思うけど……」

「逆に、付き合わないでいきなり結婚するという事はあまりないのではないでしょうか?」

「まぁ、ないと思うけど……」

「じゃあいいじゃないですか」

「そっか……。いや、だからそういう問題じゃないんだってば! それに、あんな事があって僕は決めたんだ! もう二度と彼女は作らないって!」


 それを聞いて、椿はポッと頬を赤らめた。


「私の為に童貞を守っていてくれたんですね……。嬉しいです」

「違うってば!? そういう意味じゃなくて!」

「……違うんですか?」


 しょんぼりと、哀しそうに椿は言う。


「いや、ある意味では違わないんだけど……」

「……私の事、嫌いになってしまいましたか?」

「なるわけないよ!」

「……じゃあ、私の事、もう好きじゃありませんか?」

「好きだよ! 大好きに決まってるでしょ! 初恋で、今でも時々夢に見るくらいだよ!」

「エッチな夢ですか?」

「エッ!?」


 風太は絶句した。そんな質問、答えられない。


「私は風太君のエッチな夢を見ますし、風太君を想像してエッチな事をしますけど」

「椿ちゃん!? 女の子がそんな事言っちゃだめだってば!?」


 元からちょっとませた所のある子だったが。

 そっちの方まで成長してしまったらしい。


「風太君はどうなんですか?」

「それは、その……」

「私にだけ言わせるなんて、ずるいと思うんですけど」


 そんなの聞いてないし、椿ちゃんが勝手に言ったんでしょ!? と思うのだが、それはそれとして、椿にだけ言わせるのは確かにバツが悪い。


「……そりゃ、僕も男の子だから……」

「イエスですか? ノーですか?」

「……イエスです……」

「両方ですか?」

「……はい」


 詳しい事は言えないが、風太の性の目覚めは椿である。なんならパンツを濡らした事もある。仕方ない。風太にとって椿はそれだけ特別な存在だったのである。


「……うれしいです」

「つ、椿ちゃん!?」


 いきなり抱きつかれて、風太の身体はコチンと固まった。


 小学五年生の時ですら椿の方が背が大きかった。高校生になっても風太の背は伸び悩んでおり、一方の椿はモデルみたいにすらりとしている。

 身長差のせいで、顔の近くに胸があった。


 もにゅっとした温かな感触と、ふんわり優しいミルクのような甘い香りに、風太は頭がくらくらした。身体はコチンである。


「本当は心配だったんです。戻って来ても、風太君は私の事を忘れてしまっているんじゃないかって。もう、好きじゃなくなってるんじゃないかって。それを思うと、怖くて怖くてたまりませんでした……」

「……椿ちゃん」


 椿の身体は僅かに震えていた。それで風太は勘違いに気付いた。

 椿は抱きついたのではない。縋りついたのだ。


 見た目はこんなに綺麗な大人の女の人のようでも、椿は同い年の女の子なのだ。

 そして、自分なんかをまだ好きでいてくれて、数年越しに戻って来てくれたのである。


 不安がないわけはない。怖くないはずがない。

 その気持ちに応えられなければ漢ではない。


「……ありがとう椿ちゃん。こんな僕を好きでいてくれて。だから言わせて。今度こそ君を幸せにするから、また僕の彼女になってくれませんか」


 椿の身体をぎゅっと抱きしめると、風太は言った。


 そうとも。きっとこれは、神様がくれた二度目のチャンスなんだ。

 そう思って覚悟を決めた。


 これだけ想ってくれている相手の告白を断れるわけがない。

 風太だって本当は彼女が欲しいのだ。

 そしてここに、ずっと心残りだった初恋の相手がいる。

 断る理由などどこにある?

 いじめがなんだ! 邪魔する奴がいるのなら、今度こそ僕が守ってあげればいいじゃないか!


「風太君……」

「椿ちゃん……」


 そして二人はうっとり見つめ合い。


「なんだか硬いモノが当たっているのですが」

「ごめんなさい!?」


 慌てて風太は身体をはなした。

 仕方ない。男子高校生が女の子とハグしたら誰だってこうなる。

 生理現象は制御不能だ。


「大きくなったんですね」

「椿ちゃん!?」

「二重の意味で」

「言わなくていいよ!?」


 そんな所でチャイムが鳴り、風太は椿と一緒に教室に戻った。

 道中風太は夢心地だった。

 やったやった! ついに僕にも彼女が出来た!

 それも、大好きだった椿ちゃんだ!

 しかもしかも、こ~んなに可愛くなっちゃうなんて!

 ニコニコのウキウキで教室の扉を開ける。


 その瞬間、風太は突き刺すような殺気を感じた。

 クラス中の女子が、般若のような形相でこちらを睨んでいた。


 これはちょっと、マズいんじゃないだろうか……。

 不安になる風太の耳元で椿が囁いた。


「大丈夫です。今度は絶対に負けませんから」

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