ビュレットという師
再び僕は目を覚ました。あれからどの程度時間が経ったのだろう。
僕は先ほどまでと同じ部屋のベッドの上で横になっている。
僕のかたわらにはワシューと呼ばれていた人形師の老人がいた。
その手にはメジャーを持っている。僕の腕周りを計測しているようだった。
当たりを見渡すと、レニエもクレアラは居なかった。
その代わりに、家の中でも仮面を一切取らないルーベスが離れた場所で立っている。
「痛みはどうだ?」
開口一番にルーベスは僕にそう尋ねる。
僕は右腕の違和感のなさに、逆に違和感を覚えた。
痛みが消えている──
僕は右手を上げる。
相変わらずそこには肘から先は右の手はなかったけれど、確かに痛みは消えていた。
「まだ腕は動かすなよ、坊主。採寸は済んでいない」
「ゴメン」
僕は素直にワシューに謝り、肘から先の無い右腕を降ろす。
「無いけど……なにかした?」
ルーベスが袖をまくり、腕に装着した器具と血の入ったシリンダーを見せる。
「血を使って呪っただけだよ」
「これも呪いなの」
「あぁ、呪いだ」
奇跡と呪いの関係性が分からなくなる。
祝福を使った奇跡は人を人外の化け物に変化させる一面を持っている。それに対して、呪いはこうして僕の右腕の痛みを消してくれた。まったく真逆の使われ方をしている。
「親心でも親切心からでもないんだろ?貴重なはずの血を使ってくれた理由を聞きたい」
「心外だな、これでも人の心は残ってる。利用価値があると思ったからだよ。全くもって人間らしい心だろ」
「逆にアンタらしい理由でスッキリするよ」
「悪い話が三つある」
ルーベスが唐突に話題を切り替える。
「普通は二つまでじゃない?」
そもそも良い話しが含まれていると思うけどそれすらないのか……
「ワシューに呪義手の作成を依頼した。暫くすれば、お前専用の呪義手が作られる」
採寸を終えたワシューがメジャーをしまう。
「一から作るには時間が掛かる。ガーデニアの腕を代用するつもりだ。接合部を変えれば一応は使えるだろう」
「だそうだ。お似合いじゃないか」
「その言いかたはイラっとするね」
「これでお前も憎しみを糧に戦うことになるわけだ。似た者同士だろ」
相手にしても疲れるだけだと僕は溜息を吐き、話を切り替える。
「二つ目は?」
「アデラインに逃げられた。大量のダミー人形と同時に転移されたせいで本体を見失った」
「役にたたないね」
「言ってくれるな。が、事実だ──」
「それで三つ目は?」
「ビュレットが姿を消した」
「それがどうして悪い話に繋がる訳?」
「アデラインの人形を作ったのはおそらくビュレットだ」
ワシューが苦々し気な表情で言い放つ。
「ワシューさんは師匠でしょ。ビュレットの怪しい動きに気がつかなかったの?」
「逆だよ。ワシが弟子で、ビュレットの方が師匠だ。ヴィクターの技法をアイツから学んだ身だが、それ以外にワシがアイツのことで知っていることはない。だから何を考えているかも分からんよ」
逆なのか……あの年齢で、ビュレットの方が師匠だとは予想もしていなかった。
「俺が知っていることも少ない。自分のことを話すことはほとんどなかったからな。その技術を買われてアデラインが当主だった時に雇われたことくらいだ。どこで見つけてきた奴なのかは俺も知らん。有用だから今まで手元に置いていただけだ」
「分かるのは名前だけなんだね」
「いや、ビュレットも単にワシがそう呼んでいただけだ。名前も苗字も分からないから・【ビュレット】とな。この国では名前と苗字の間に・を付ける習慣はないがね」
正真正銘、正体不明の人物って訳か……そうなると、本当に動機すら分からないのだろう。
ルーベスにしては珍しく弱弱しげな仕草で溜息を吐く。
「──全て俺のミスだ。バーディクトに逃げられたのも、ビュレットのせいでアデラインが人形として復活したのも。まさか人形になってまで執念深く甦るとは思わなかったがな」
「仕方ないさ。その技法はワシも知らん。その点においてはお前さんに落ち度はない。ワシの方こそ、ビュレットのそばにいながら本心を見抜けなかった責任がある」
「それでワシューはこっちにつくの?」
「裏切る気なら、もうここにはおらんよ」
確かにその通りだ。でも、おかげで僕は助かる。
右腕がなくなってもクレアラと同じように呪義手を用意してくれると言うのは、少し精神的に楽になる。なにせ、自分の意志で動かせるわけなのだから。
「そう言う事だ。ワシューは必要な人材だ。裏切らないというのであれば、現状の待遇を変える気はない」
「僕としては味方でいてくれて助かるよ。呪義手を作ってくれるんならね」
「出来るだけ早く用意しよう。時間は余り無いかもしれん」
ビュレットが裏切ったのなら、この場所がばれているから安全ではないと言うことだ。
早速、僕の呪義手の作成に取り掛かってくれるのか、ワシューが早足で部屋から出ていく。
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