第8話 出会い

夕暮れ時のケルトの繁華街は、家路を急ぐ人や買い物をする人たちで賑わっていた。


一流ブランドショップや様々な店が立ち並ぶ通りから1本奥に入ったところに、木々が生い茂る噴水公園があって、人々の憩いの場になっている。


リコは噴水の淵に座り、何やら考え事をしていた。金曜日に訓練学校が終わり、ふらっとここに来たのだった。ここはお気に入りの場所で、何かあると一人で来ては考えにふけっていた。


ロキ教官の言っていたとおり、組織の人間には気を付けなければならないが、アルカディアの夜明けは父親の仇でもある。しかるべき時のために準備をしなければならない。


リコは誰にでも優しく、一見穏やかな青年だが、その心の奥底に父親を殺された燃えるような復讐心を隠していた。


リコは大人を心から信用することができない。


父親のレオが倒れた時、母親の知り合いが何人か家に出入りして手伝いなどをしていた時があった。リコは大変に感謝していて、将来は人のためになる仕事をしようと決めたのだった。


看護の甲斐もなく父親は亡くなってしまったが、悪いことはこれだけではなかった。


葬式が終わって家に戻ると金庫の中のお金がすべて無くなっていた。同時に母の知人と連絡がとれなくなった。


父親の死と、信頼していた大人からの裏切りは、17歳のリコの心に大きな傷痕を残した。この世の不条理をまざまざと見せられ、強く生きることが必要だった。


それ以来リコの心は、大人を信用するのを無意識のうちにやめてしまったのだった。


噴水の淵に座りながら、父を失った時の忌まわしい記憶の断片が脳裏に浮かび、日が沈んでいく速さに比例して心はゆっくりと闇を帯びていった。


その時、急にリコは後ろに何か気配を感じた。


振り向くと大きな犬がじっとこちらを見ている。犬は耳をピンと立てて、まるで衛兵のように姿勢よく座り、尻尾を振っている。ハーネスにロープが付いているので、逃げてきてしまったのだろうか。


「お前、どこから来たんだ?ご主人様はどこだい。」


リコが頭をなでると、犬はうれしそうに尻尾を振った。


「すみません!」


遠くのほうから、女性が息を切らせて走ってきた。


歳はリコとそう変わらないだろうか。ちょうど肩に届く髪は、瞳の色と同じ暗い茶色をしていた。色白で清楚な雰囲気を持つ彼女は、きっとすれ違ったら誰もが振り返ってしまう容姿だった。


「すみません。急に犬が走り出してしまって。」


「大丈夫ですよ。かわいいワンちゃんですね。」


女性がリードを持っても、犬はリコの隣から離れようとしない。


「私以外の人に絶対になつかない犬なんですけど、あなたのことが好きみたいですね。」


笑うとハートマークのようになる唇と、上品な雰囲気に育ちの良さが感じられた。


「僕も昔犬を飼っていまして。犬は好きなんです。」


「そうなんですね。」


女性は少し辺りを見回している。


「どうかされましたか。」


「どこかこのあたりでお水を買える場所ご存じないですか。この子に飲ませたいんです。」


「良かったらこれをどうぞ。まだ開けてないので。」

リコは持っていたペットボトルを女性に手渡した。


「いえいえ、そんな。申し訳ないですよ。」


「いいんですよ。」


「ありがとうございます。ポルコ、良かったね。」


犬は水を飲み終わると、嬉しそうにリコの手を舐めた。


「信じられない。ポルコが初めて会う人の手を舐めるなんて。」


「美味しそうなにおいでもするんじゃないですかね。」


リコがそう言って、二人は笑った。


彼女の名前はナターシャ。最近このあたりに引っ越してきたらしく、まだ土地勘がないらしい。毎週金曜日の夕方に噴水公園に散歩に来るらしく、また会いましょうと言って帰っていった。


「さあ俺も帰るか。」


ケルトの町は夕暮れとともに人々で賑わい、飲食店の軒先に明かりが灯り始めていた。


リコの心は、いつの間にかまるで忌まわしい過去の記憶ごとなかったかのように明るく晴れやかになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る