015 方言

 自分のルーツとなるものに方言というものがある。完全な標準語を話す人はおそらくいないだろうから、きっと誰もが自分の住んでいる、または住んでいた場所の方言というものがあるだろう。そしてそれは懐かしいものであることが多い。啄木の歌にもあるように、自分の慣れ親しんだ方言を聞けば落ち着くこともあるだろう。

 実はというと、私はかなりの田舎の村の出身で、出身地の周囲で私を知らない人はいないし、私が知らない人もいないというような環境だった。そんな中で育った私は、どうも外の世界のことが気になってしまい、いつごろからかは忘れたが、この村を出て都会で暮らしたい、そう思っていた。

 自分で言うのもなんだが、私は村で一番頭がよかった。両親をはじめ大人たちの期待を受けてさらに勉強し、村から離れた場所の高校に通うことになった。実家と高校の距離の関係から、私は村を出て下宿することになったのだが、その出発の際には村の文字通り全員から盛大に送り出してもらった。それなのに生活費などの関係から盆と正月くらいしか帰らなかったことは親不孝、村不孝だったと思ってはいる。

 村を飛び出して知ったのは、世界が自分の想定よりもよほど広いことだった。食べ物も飲み物も、服や街並みやそのほかのいろいろなものが私には目新しく、知らない文化だとも感じた。標準語に慣れるのも苦労したが、それでも楽しかった。

 高校、大学と卒業し、私は村に帰らずに都会で就職することにした。いつでも帰ってきていいからね、という連絡を受けてはいた。しかし卒業研究や就職活動、バイトやサークル活動に明け暮れて大学を卒業し、入社してから最初の数か月はドタバタしていたので実家に帰るどころか連絡さえ取れていない状態だった。

 そんな日々のある日、私が出社するために電車を待っていると、聞き覚えのあるイントネーションが聞こえた。聞き間違えることはない、私が生まれ育った村で聞いていた方言だった。両親か村での幼馴染らがお忍びで遊びに来ているのかと思い、周囲を見渡すも見知った顔はいない。ただ、その方言を話す人物を見つけることはできた。その中年の男性はどうやら私に向かって方言で話しかけているようなのだが、私はこの人を知らない。最後に帰ったのは二年前とはいえ、私は村の大人の人の顔は今でも全員わかるし、知らない人が越してきたのであれば母が電話で話さないわけがない。

 その人が誰なのかわからずにどうするべきか思案している間に、その人は私を一瞬にらんで、立ち去ってしまった。こう言ったことは今回だけだったので、私の勘違いかもしれないと思い、村や両親にはまだ話せていない。

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