彼の唄とサイダーと。

彼の歌とサイダーと。

薄汚れたアコースティックギター。

三弦から一弦までがやるせなくブチ切れている。

彼はヘンテコな鼻歌を歌いながら手際悪く弦交換をしている。

側のテーブルで私はコーヒーを啜りつつそれを下目遣いで見ていた。

同い年くらいの彼がこの家に住み始めたのは三ヶ月前くらいだった。

路上ライブで歌を聞いてその上手でも下手でもなく

美しくも下劣でもない何かに魅了されてしまった。

話を聴くと音楽で稼ぐつもりで上京するため家を探しているそうだった。

それなら、と冗談混じりで私の家に来るかと言ってみると、案外なんの躊躇いもなくのっそりと住みつき始めたのである。

と言っても二人で同じ生活をすると言うよりは別々の時間軸を同じ場所で過ごすような、そんな感覚だ。

彼は昼になるとバイトに出て夕方に歌を歌い夜が落ち着いた頃に貧相な格好でギターを背負って帰ってくる。

その格好はもはやギターに背負われているようだった。

髪の毛も切れていないのかその一本一本が意思を持つかの如く不規則に炸裂していた。

彼の鼻歌の曲目で頻繁に聞こえてくる歌にこんな歌詞がある

「侘しい夕日が暮れる時、愛してる。いつもそうだよ♩」

歌詞こそオリジナリティに欠けるがこの曲最大の魅力がメロディだ。群を抜いてヘンテコ。この世にあるどの曲よりも変なのだ。

しかしなんだか耳につく。

カッコいいとかそんな次元の話ではない。

こんな歌、世間の誰が好き好んで聴くのだろうなんて内心思いつつ私はその歌を聴いていた。

私は多分、そんな歌を歌う彼を見て安心していたかったのだろう。


ある日私が定時で帰宅し、コーヒーを淹れていると

彼はいつもより少し早く帰ってきた。

「どうした、今日はもうライブ終わったのか?」

そう尋ねると

「他のバンドの連中が酒盛りするって言うんで、俺酒飲めないから。」

諦観に似た笑みを浮かべそういった。

どうやらバンド仲間の酒盛りに参加できないのが辛いそうだった。

他のバンドマンはお酒を飲んで音楽にまつわる話も他愛もない話も腹を割ってするらしいのだが、彼にはそれができなかった。

恐らく他のバンドマンと打ち解けるスピードも遅いのであろう。

私にはお酒が飲めないというのを口実に、ただその場から逃げているようにも思えた。

彼はスーパーでよく見る瓶に入った安いサイダーを飲みながら今日も鼻歌を歌っていた。

あいも変わらずヘンテコだ。

しかし、今日は声が渇いて鼻歌が悲壮感を纏っている。

やるせない雰囲気が形になって彼に取り憑ていた。


その数ヶ月後の秋口、私は私の時間軸で恋をしていた。

学生時代の友達、夏子に久しぶりに再会しメッセージでやり取りをしている。

彼女は学生時代他の誰よりも穏やかでお淑やかで、私みたいな人間が近づいていけないと思っていた。

しかし現在、私は打って変わって夏子と所謂「いい感じ」なのである。

仕事の都合でなかなか会うことはできないが漠然と彼女を浮かべては少し切なくなる日々の繰り返しだった。

定時を少しすぎたあたりで会社を出て、開けた街に出るための踏切を待っている時だった。


「侘しい夕日が暮れる時、愛してる。いつもそうだよ♩」


あんな変な歌が頭の中で流れた。流れてしまった。

そして私は初めて気がついた。彼の歌が心の底から好きなのだと。いままで心のどこかで彼の歌を、そして彼自身を軽んじて安心を得ていたが今ようやくわかった。

「侘しい夕日が暮れる時、愛してる。いつもそうだよ。」

そうだよ。 そうなんだよ。

歌が頭の中で流れた瞬間、

誰かに抱きしめられるような、

口づけを交わすような、

頭を撫でられるような

そういった類の今までとは違う安心感を得た。

小っ恥ずかしいので歌のタイトルなどは聞いていなかったが勇気を出して聞いてみよう。そんなことを思いながらまた歩き始めた。


少し遠回りをしたせいもあり、かなり暗い時間内に家に着いた。

部屋の中、人は誰もいない。

今日は帰りが遅いなと思ってテーブルに荷物を置こうとすると一枚の手紙が置いてあった


「今までありがとうございました。こんな粗末な挨拶のみですみません。これから新しい生活を始めようと思います。どうかお元気で。」


アーティスト気質の彼らしい置き手紙だった。

彼は去った。多分地元かどこかで仕事でも始めるのだろう。

彼がいたスペースにはサイダーの空き瓶がそのままに

伸び切った抜け毛がちらほら。


そして薄汚れたアコースティックギター。

四弦から一弦までがやるせなくブチ切れている。

私は手紙を手にしたまま、それらを真っ直ぐに見つめていた。


またそれから二ヶ月後。

テーブルでコーヒーを飲んでいた。

かつて彼がいたリビングで恋人となった夏子が寝転んでいる。

私はと言うと幸福で心が満たされているが、隅の方で小さい穴がぷつりと空いたようなそんな感じだ。

彼が音楽を辞めたのか、どこでなにをしているのか

私が知ったことではない。

彼女の顔を見つめながら癖で鼻歌を歌う


「侘しい夕日が暮れる時、愛してる。いつもそうだよ♩」


「なにそれ、変な歌ー。」

彼女はそう言って笑った。

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彼の唄とサイダーと。 @maton2

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