シーサイド・ブルー
羊
海の日。
夏の由比ヶ浜に寄せて返す波の囁き。
「あぁ、あの時は幸せだったなぁ…」
思わず波の音を聞いてそう呟いてしまった。
去年の七月十八日に僕と比奈は付き合い始めた。
由比ヶ浜のビーチで僕から告白をしたのである。
朧げな記憶だが、綺麗な貝殻が沢山落ちている砂浜だったと思う。
付き合いはその後もうまく行き、このまま幸せがなんとなく続くのだろうと思っていた。
が、それは単なる幻想に過ぎなかった。
以前の彼女はいつも笑顔で、輝いていたが今は違う。
いつも薄暗い顔つきで、悲観的な発言ばかりしている。
そのせいか周りの人にも煙たがられているらしい。
言わずもがな比奈がそうなったのには理由がある。
去年の夏、比奈はテニス部のキャプテンとして部を活発にしようと奮闘していた。
夏に遊ぼうと約束しても部活があるからと断られることもしばしば。
しかし、そのやる気に他の部員がついて行けずにすれ違いが起きていたのだろう。
秋口、大会の直前に比奈は足首の怪我をした。
練習のしすぎによるものだ。
大会に急遽出れなくなることが分かると、他の部員は以前までと顔色を変えてこう言ってきたそうだ。
「練習張り切るのはいいけど大会に出れないんじゃ意味ないね。」
比奈は部員、部活のために頑張っていたはずなのに何故報われないのだと塞ぎ込んでしまいそれから人が変わった。
このことは比奈と同じテニス部の同級生から聞いた。
以前までの笑顔の比奈とは違う。
怪我をしたと報告を受けて急いで彼女に会いに行った時
「結局そんなものなんでしょ、人なんて。」
と、何かを諦めたような顔つきで僕に語りかけてきた。
あの顔が脳裏に焼き付いて離れない。
以前では考えられないが、記念日やら約束やらを少し忘れただけで
「だから朝陽はダメなんだよ、」
と軽蔑するような眼差しで言ってくるようになった。
現在はテニス部を辞め、放課後に街をフラフラしているらしい。
そこで、そんな彼女を救うべく僕が立てた計画が
「シーサイド作戦(仮)」である。
比奈を放課後、海辺に連れ出して去年と同じビーチで
花束を渡す。
花束に特に意味はない。
ロマンチックを演出するのだ。
そして花束を渡した後に彼女を元気にさせるような内容の会話を挟み、彼女を元気付ける。
そういうシナリオだ。
まずこの計画を実行するにあたって、比奈にビーチにいく約束をするためのメールをした。
「明日の放課後空いてない?夏だし海でも行こうよ!」
少し間が空いて返信が来る。
「暇だしいーよ。」
メールも以前と変わってそっけなくなった。
社交辞令的に挟む絵文字や飾りは一切無い。
ともあれ、第一段階はクリアである。
次に第二段階として花束を買いに行く。
調べてみるとどうやら青色には悲しみや憂鬱などの意味があるらしく、青色の花は避けた方がいいらしい。
今回はなんとしてでも成功させたいので、こう言った細かいところにも気を使う。
彼女のために花束を買うなんてという気恥ずかしさは拭えなかったが、笑顔を取り戻すためなら不思議と気にならなかった。
結局花は無難にピンク色のバラを買った。
そうしてやってきた計画実行の日
放課後、彼女と顔を合わせる。
「急になんなの、前もって言ってよね。」
いつもと変わらないような顔つきで僕にそう言い放った。
いつもなら不毛な議論が始まるところだが、今日だけはと開きかけた口を閉じた。
午後三時四十分
江ノ電に少し揺られてついに由比ヶ浜に到着。
着くや否や比奈に、僕についてきてと無理矢理言い聞かせ予定通りの場所に向かう。
比奈は少し不思議そうな顔をしていたが、少し何かを期待しているワクワクした顔つきになっていた。
それでいて何かを察した様な顔をしていた。
緊張を腹の底に感じつつ、砂浜の去年と同じ場所に移動する。
「やっぱり!、朝陽…」
比奈が何か話し出すのを遮る様にピンク色のバラを渡した。
そして、
「最近元気ないから、心配してて…」
とシナリオ通りの文章を読唱かのように語りかけた。
気恥ずかしくて彼女を見ながら話すことができず、自然に俯く。
「手応えアリ。」
そう思い、笑顔になったはずの彼女の顔を見ようと前を向くと
「違うよ…」
そう呟いたのがわかった。
「え、?」
脊髄反射の如き速さでそう言葉が出てしまう。
シーサイド作戦は全て計画通りに進んだはずだ。
どこで何の間違えを犯したのか。
疑問符で頭がいっぱいになり、まともな返答ができないでいると
「今日は7月18日でしょ。朝陽…覚えてないの?」
あぁ、そうだ。
そういえば付き合って一年の話題に触れるのを忘れていたことに気がついた。
慌ててその話題を口にすると、彼女は少し俯いて
「本当に覚えてないんだ…」
彼女の目から皮膚を撫でる様に雫が垂れた。
「去年、朝陽と来年の8月12日はここでこの貝殻を拾いに来ようねって約束したじゃん…」
そう言われたコンマ数秒の間でハッとした。
そうだった…。
去年僕が告白した直後に、来年はここでこの綺麗な貝殻を拾いに来ようねと約束したのだ。
僕は彼女を喜ばす目の前のことに夢中で、二人きりで貝殻を拾うと言う大切な「約束」を忘れていた。
彼女は花束を貰った嬉しさよりも、約束を忘れられた
悲しみの方が大きかったのだ。
恐怖に似た何かで足は震えている。
夏の由比ヶ浜に寄せて返す波の囁き。
頭の中、まるで砂の様に積み重なる思考や記憶は全て綺麗に流れていった。
しばらくの沈黙のあと、ようやく頭の整理がつき比奈に謝ろうとすると
期待を寄せていた顔をからまた前の薄暗い顔に戻り
涙を隠す様な素振りをしながら、
「結局そんなものなんでしょ、人って。」
自分を諦めさせるように、そうはっきり言った。
彼女は体を僕から180度回転させて、海岸沿いに歩きはじめた。
バラの花が一枚、青すぎる海に舞った。
僕は機能が停止した思い頭を支えながら、漠然と彼女の後ろをついて歩いた。
去年の貝殻があった場所を抜けるとその先はペットボトルや缶など捨てられたゴミで散らかっていた。
皮肉にも去年の僕たちの行く末を暗示していたかのように。
ちゃんと謝ろうと少し駆け足で近づき、手を握ると比奈はそれを振り解いて砂浜に座り込んだ。
すかさず僕もその隣に座る。
「本当にごめん。」
と僕が謝ると比奈は
「…」
何かを呟いた。
が、波の囁きで掻き消されて何も聞こえなかった。
Sea side blue.
She said blue.
彼女の憂鬱はこれからも続く。
シーサイド・ブルー 羊 @maton2
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