口八丁

ム月 北斗

噂の女

 むかしむかし

 とある町の長屋に、独り身の女が越してきた。

 気立てが良く、働き者の女はすぐに町に馴染んだ。

 そんな女にはもう一つ、特徴的なものがあった。

 長屋の井戸端に集まった主婦達に、女は稼ぎ先の飯屋で聞いた話をよくするのだ。

 同じ長屋に住む主婦達からもっぱらの評判であったそれは、女のする"噂話"だった。

「こんな話を聞いたんですよ」

「何でもあの米問屋の坊ちゃんが――――」

「今年は大根が豊作なようで、近いうちに安く売られるらしいですよ」

 などなどと。

 これが中々に口八丁なもんだから、聞いちまった主婦達はすっかり入れ込んじまった。


 だが・・・噂話にも限りはある。

 ある日から突然、女は飯屋で噂になるような話をはたりと聞かなくなった。

 やって来る客の話声に、盆で顔を隠して聞き耳を立てておっても、これっぽっちも無いのだ。

 女は考えた。

『もし、今後"噂話"が出来なくなっちまったら・・・おらは・・・』

 女のする噂話を、毎日井戸端で聞くのを楽しみに待っているであろう主婦達。

 その信頼を失うことを恐れたのだ。


 翌日の朝・・・長屋の井戸端にはいつものように主婦達が、洗濯をしておった。

 昨晩、寝るまで悩みに悩んだ女は・・・とある行動に出た。

「おはようございますー、ところで・・・ちょっと噂話があるんですけど・・・」

「お!待ってたよー、なんだいなんだい?」

「えぇ、実はですね・・・近いうちに御殿様にお世継ぎが生まれるらしいですよ」

 それを聞いた主婦達は「えぇ!!」と大声を出した。

 しかしこの話・・・女のついた"嘘"なのだ。

 当然、御殿様にお世継ぎの話は無い。

 後ろめたさこそあれど、女は信頼を失わないために、嘘を吐くしかなかったのだ。

 来る日も、来る日も・・・噂が無いので作るしかなかった――――


 そんなある日のことだ。

 女は熱を出して、一日中寝込んじまった。

『あぁ・・・嘘なんて吐いちまったもんだから、お釈迦様がバチを与えたにちげぇねぇ・・・』

 熱に苦しみながら女は、もう二度と嘘を吐かないことをお釈迦様に誓うのだった。


 翌日—―――

 女は目が覚めると、まるで生まれ変わったかのように体が軽くなり、熱が嘘だったかのように調子が良くなっていた。

 跳び起きるように布団を蹴飛ばした女は、いつものように井戸端へ向かうと、主婦達に昨日出来なかった噂話をしようと挨拶をした。

「いやぁ、昨日はおら、熱で寝込んじまって・・・申し訳ねえだ」

 すると・・・主婦達は互いに顔を合わせると、ドッと・・・笑い出した。

「なぁに言ってんだい、おめえさん。昨日もここで、"噂話"を聞かせてくれたじゃないかい!」

「あぁ、そういうことかいね。昨日の話はいつも以上に"熱"がこもってたからねぇ」

「そうそう、目ん玉飛び出るくらいのすごい話だったねぇ」

 女は主婦達が何の話をしているのかさっぱり分からないでいると、別の主婦が通りから慌てた様子で走ってきた。

「た、大変だぁ!昨日の噂は本当だったんだぁ!!」

「なんだって?!やっぱり、あんたの噂は本当なんだねぇ!」

「見に行くべ、見に行くべ!」

 そう言うや否や、主婦達は騒ぎになっている通りの一角へ向かった。

 女も一緒になってついてゆくと、すっかり人だかりが出来ていた。

「いやぁ、信じたくはないけど、そうなんだろうねぇ」

 女はどうしても気になって、主婦に聞いた。

「あの・・・おら、昨日何て言ったんだべが?」

「何って・・・"通りの八百物屋で売ってる野菜は、みんな他所様の畑から盗んだ物だ"って、昨日言ったべ?」

 それを聞いた女は愕然とした。自分は昨日、熱で寝込んでいたってのに、なんでこんなことに・・・と。

 女が頭を抱えていると、主婦達が女の前に集まって、目を輝かせて口々にこう言った。

「で、今日の噂話はなんだい?!」

「聴かせてくれよぉ、とびきりのをよぉ!」

「んだ、んだ!!」

 みなが期待のまなざしで見るもんだから、女はどうすることも出来ず、遂には――――

「じゃ、じゃあ・・・こんな"噂"があるんだけどねぇ・・・」

 お釈迦様に『二度と嘘を吐かない』と誓ったというのに、女は再び、嘘を吐いた――――


 その後も女は、何度も何度も嘘を吐いては、同じように熱を出して寝込むようになった。

 それと同じようにまた、熱のひいた翌日には、やはり何者かが女の代わりに"噂話"をしているようだった・・・

『米問屋の売る新米は、去年取った古米だよ』

『通りの隅っこの医者は、何の変哲もない藪医者だ』

 などなどと、女の知らない噂ばかりだった・・・


 そんなことの続いたある日の晩・・・月が雲に隠れ、薄暗い闇に包まれた外に、女は空気を吸いに出ていた。

 通りに流れる小川の傍まで歩いてくると、薄暗闇の中に人影が見えた。

 よぉく目を凝らして見てみると、そいつは女と同じ着物を着て、女と同じ背格好で、そして・・・顔はまるで、鉄漿おはぐろの様に一面真っ黒に塗りつぶされていた。

 女はゴクリと唾を飲んだ。

 突如目の前に現れたその異形に、勇気を振り絞って問うた。

「お・・・おめえか?おらのフリして、人の悪い"噂話"をでっちあげてるのは・・・?」

 問われたその異形は、ゆっくりと、女の方へ振り返り答えた。

『悪い"噂"だか?それを吹聴してるのは、おめえだべ?』

「お、おらはそんなことしてねえだ!」

『したべ?"嘘"まで吐いて?』

「そ・・・それは・・・」

 嘘を吐いていることを見抜かれた女は、どもってしまった。

 そんな女を見て異形は、女に背を向けてどこかへ行こうとしたので、女は慌てて声を掛けた。

「ど、どこさ行くだか?!」

 女に背中を向けたまま、異形は不気味な声で答えた。

『おら、おめえの代わりにもっと"噂話"をしてやるだ。そんで・・・そんで、

 そう言った時だった。

 徐々に異形の鉄漿のような顔がボロボロと剥がれ落ち、その下からは女と同じ顔が少しづつ覗きだした。

 このままだと、おらに取って代わられる!そう思った女はいてもたってもいられず、足元にあった大きな石を拾い上げ、そして――――

「やあぁ!!」

 えい、と異形の頭目掛けて振り下ろした。

 ぐしゃりと音を鳴らし、そのまま前のめりに異形が倒れたところに、更に女は石を振り下ろした。

 何度も――――何度も――――

 もう見る影もないほどに異形の頭を潰したところで、その不審な音を聞いた町人が、女の蛮行を見てしまった。そして、こう叫んだ・・・

「ぎ・・・ぎゃあああああ!!ひ、人殺しだあああああ!!バケモンが・・・バケモンが人を殺してるううううう!!」

 バケモン呼ばわりされた女を、雲の切れ間から差し込んだ月明かりが照らした。

 女は自分の手を見ると、そこにはまるで・・・恐ろしい異形のように、鱗やらなんやらに覆われた、気色の悪い手があった・・・

 小川を覗き込むと、鏡のように女の身を反射させた。

 そこに映った女の顔は、異形そのものだった。

 顔のどこにも目は無く、代わりに"口"がいくつもあった・・・

『ア・・・アァ・・・ナンダベ、コレ・・・?』

 言葉を喋ると、女の顔中の口が一斉に動いた。

 困惑していると、先ほど悲鳴を上げて逃げて行った町人が、人でも呼んできたのか大勢の足音が聞こえてきた。

 異形となった女は堪らず、どこかへ逃げ隠れてしまった――――


 翌日—―――

 お役人が死んだ異形の亡骸を調べていた。

「おい、誰かこの仏様が誰か知らんか?と言っても、こうも顔が潰れてちゃぁ、分からんな。精々、それほど恨みでも買ってたんだろうがね」

 すると、騒ぎを聞きつけてやって来ていた飯屋の主人が答えた。

「その着物・・・うちで雇ってる娘の物と同じです・・・」

「ほう、するってぇとこいつは、おめえのとこのってことだな?何か、殺されねえとならねえ訳でも知らねえかい?」

「いえ・・・なにぶん、気立ての良い働き者なもんでして・・・」

 ふむ、こりゃ参った。と、お役人さんは頭を抱えてしまった。


 そんな"娘"が死んだという話はすぐに長屋に広まると、こんな"噂"が流れ出した。

「あの娘、今までずっとウソを吐いていたんだと」

「じゃあそのウソのせいで、八百物屋が店畳んじまったり、米問屋も医者も、町からいなくなっちまったってのかい?」

「なんて娘だ!許せないねぇ!死んで当然だよ!!」

「ところでさ・・・こんな"噂"知ってるかい?」


 夜な夜な、娘の殺された小川の傍に、口が八つの顔をしたバケモンが出るんだとよ――――

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口八丁 ム月 北斗 @mutsuki_hokuto

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