第43話 せめて今日は
佳也子は、来月、新しい仕事の面接の予定が2つある。
東京まで行かないといけないので、英子に想太を預けて出かけることになっている。
新しい仕事、想太の保育所、住む場所、そして、圭がファンに向けての報告をどうするか。不安も、考えないといけないことも、山ほどあるけれど。でも。
(せめて今日は、今は、圭くんのそばで、おだやかな時間を一緒に過ごせたらいいな……)
佳也子は心の中で思う。
そんな佳也子の心の声が聞こえたのか、圭が言った。
「今日は、佳也ちゃんちで、想ちゃんと3人で眠りたいな。だめかな? 今日は、なんか、このままそばにいたいな」
「え、え……。あの、い、いいです、けど。でも」
佳也子の胸が、どきどきし始める。きっと、顔も赤くなっているにちがいない。
「今日は、とうちゃんになった記念すべき日ですもんね。一緒にいたいよね。あとで、うちからお布団運んでいったらいいよ」
英子が、笑って言う。
「は~い。じゃあ、そうと決まれば、想ちゃん、起きて起きて」
圭が、いたずらっぽく笑って、想太を優しくゆすって起こす。
「う? ……なに?」
目をこすりながら言う想太に、圭が笑いかける。
「想ちゃん、今日はね、想ちゃんとこにお泊りするよ。一緒にお風呂入って、一緒に寝よう」
「え? ほんまほんま? やったああ~」
想太が、圭の膝から滑り降りて、跳びはねる。
そんな想太を、圭がとろけるような笑顔で見ている。
「その前に、晩ご飯、食べましょうよ」
英子が言って、佳也子も圭も想太も、いつのまにか、そんな時間になっていることに驚く。
「じゃあ、お昼の残りで、軽く、ね」
4人の夕食は、いつも以上ににぎやかだ。
でも、佳也子は、なんだか、ご飯がのどを通らないような、というか、のどを通っていても、どこを通ったのか、まるで気づかないような、そんな気さえしている。
夕食の間中、落ち着かない、不思議な気持ちで過ごした。
圭が、佳也子たちの部屋で泊まるのは初めてだ。
彼が泊まる。
そう思うと、佳也子の心臓がすごいスピードでドクドクいう。そのスピードが速くなるにつれ、頬がどんどん熱くなる。
でもそこでハッとする。
ちょっと待て。部屋の中の掃除は、大丈夫か?
少し血の気が引く。
むむ。どうやったっけ?
頭の中で、目まぐるしく考える。
いろいろ散らかってたりしないか?
お風呂は、もう洗ってあったっけ。
洗濯物! 洗濯物、ベランダに干したままかも。いや、部屋干ししてたかも?
台所は? きれいになってたっけ?
あ、トイレ掃除は?
ああ。あせると、思考がぐるぐるしてしまう。
(落ち着け。落ち着け、わたし)
「佳也ちゃん」
笑いを含んだ圭の声がした。
「さっきから、何、1人で赤くなったり青くなったりしてるの?」
「え? え? そ、そんなことないですよ」
「きっと、佳也ちゃん、部屋片付いてたっけ? とか思って焦ってたんじゃないの?」
からかうように圭が言う。
「え? な、なんでわかったん?」
「なんとなく」
圭がくすくす笑いながら言う。
「佳也ちゃん。今日、水原さんたちと話をしたのは、誰の部屋? あのとき、部屋はとってもきれいに片付いてたし、佳也ちゃん、昨日朝から部屋中掃除したって、自分で言ってたよ。だから、大丈夫だよ。安心しな」
「そっか……! そうでした。すっかり忘れてました!……そうだった~よかった~ホッとした……」
圭と英子が吹き出して、想太も、笑いだす。
「とうちゃん、お風呂のあとで、絵本読んでくれる?」
「いいよ」
想太はご機嫌だ。
佳也子は、どうも自分はロマンチックとは程遠いなぁと、ちょっぴりため息をつく。
その一方で、佳也子の顔は、ついつい笑いで緩んでしまう。
(……嬉しい。あかん。嬉し過ぎて、一晩中眠られへんわ。きっと。ずっと、朝まで圭くんの顔見てしまいそう……)
「佳也ちゃん?」
圭が笑う。
「嬉しい?」
「うん」思わず素直に答えてしまう。
「たぶん、俺の方が嬉しいよ」
「ぼくのほうがうれしいで!」
想太が力いっぱい断言して、4人で、思わず声をあげて、笑う。
温かな空気に包まれて、佳也子はちょっぴり泣きそうになる。
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