第42話  この笑顔と

 

 水原氏は、帰り際、想太をもう一度優しく抱きしめて、

「元気でね。とうちゃんかあちゃんと、仲良くね」

 そう言った。

「うん。かなちゃんのぱぱも、げんきでね」

 想太も、にこにこと人懐こい笑顔で答えた。

「うん。こんどは、うちにも遊びに来てね」

 水原氏が答え、京子も想太に笑いかける。

「想ちゃんの好きなプリンつくるからね」

「うん! ありがとう」

 元気よく言って、想太は、香奈の小さな手を握る。

「また、あそぼうね」

 少しお兄ちゃんらしく、香奈の顔をのぞきこんで言う。香奈の小さなほっぺたに、可愛いえくぼがうかんだ。

 水原夫妻と香奈は車に乗り込むと、何度も会釈をして帰って行き、佳也子たちは、遠くなるまで、ずっと手を振って見送った。


 英子の家の居間に戻ると、

「くたびれたでしょう?」英子が言って、お茶をいれてくれた。

「はい」「ちょっとくたびれました」

 圭と佳也子の声がそろい、2人は目を見合わせてほほ笑む。

「かあちゃん、くたびれたの?いっぱいごはんつくったから?」

 想太が、佳也子の肩をとんとんする。

「うん。ありがと。でも、かやちゃんより、英子さんの方が、もっとごちそうつくり、大変だったからね。とんとんしてあげて」

「ん。おばちゃん、とんとんするね」

 想太は、英子の後ろに回って、肩をせっせとたたき始める。

「あらまあ、すごく気持ちいいわ~。想ちゃん、力強くなったね。とんとん、上手……」

 英子の顔がほころぶ。嬉しくなって想太は、一生懸命、とんとんしている。

 しばらくして、英子が言う。

「ああ、気持ちよかったわぁ。最高! 想ちゃん、ありがとう」

 圭が、想太に声をかける。

「想ちゃん、とんとん、お疲れさま。こっちおいで。休憩」

 極上の笑顔で、圭が両手を広げる。

「とうちゃん!」

 圭の腕に飛び込んだ想太が、圭の膝の上にのり、胸にもたれる。

「とうちゃんとうちゃん」

 圭の胸に、顔をこするつける。

「想ちゃん想ちゃん」

 圭は、想太を抱いて、ふわふわの想太の髪に顔をうずめる。


 想太を抱きしめている圭の目が少し赤くなっている。目の光が、かすかに揺らめいて、小さなしずくが浮かぶ。

「圭くん」

 英子の目も、優しく潤む。


 小さな想太の背中を、圭の手が、穏やかなリズムで、とんとんする。

 想太も、彼なりに気を遣っていたにちがいない。圭にもたれて、想太はじっとしている。

 誰かは知らなくても、大事なお客さんの前で、精一杯いい子でいなくてはと思って、気が張っていたのかもしれない。

 それに、香奈の前では、もう自分は赤ちゃんじゃない、しっかりしなくては、という思いもあっただろう。


 でも、おそらく、何よりも、想太の心に大きく響いたのは、きっと圭の言葉だ。そして、想太自身が発した言葉だ。


「とうちゃん」


 寝言のようにつぶやくと、想太は、そのまま静かな寝息を立て始めた。安心しきって、圭の胸にもたれかかっている。


「……寝ちゃった」

 圭が、顔をあげてほほ笑んだ。


「もしかしたら、想ちゃんが一番くたびれてるかも……。激動の一日よね」

 英子が、つぶやく。

「かも。でも、とっても嬉しい一日になったと思います」

 佳也子は言う。

「俺にとっても……」

 圭が、想太の髪をなでながら、言う。

「これで、佳也ちゃんにも、想ちゃんにもOKもらえて、おれもホッとした……」

 そう言った圭が、次の瞬間、

「あ~、だめだ……なんか、涙が出てくる。ホッとして。嬉しくて」

 そう言いながら、泣き笑いの表情を浮かべた。

「圭くんの家族ができたね」

 英子が、圭に温かな眼差しを向けた。

「はい」

 答えた圭は、佳也子にほほ笑んだ。そして、彼女に向かって、左手を差しだす。

 佳也子が圭の近くにすわると、彼は、佳也子をそっと抱き寄せた。右腕で、抱きしめている想太と、左腕の中にいる佳也子の2人を、圭が交互に見つめながら、言う。

「俺の、大事な家族です」

 圭の目は、もう潤んではいない。

 そのかわりに、力強い笑顔が、彼の頬に浮かんでいる。

 佳也子は、この笑顔と一緒にいれば、自分もがんばれる。

 そう心から思う。


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