第39話  わかりあうこと


 佳也子が、思わず圭に電話をしてしまってから、2日後。

 夜遅く、圭が、佳也子たちの部屋にやって来た。仕事の予定を、何とかやりくりして、来てくれたのだ。


 想太は、すっかり眠っているので、圭は、残念がる。

「でも、明日の朝は、会えるからな。……がまんがまん」

 そう言いながら、想太の横に寝そべって、髪をなでたり、背中を優しくさすったりしている。

 寝つきのいい想太は、ぐっすり眠っている。けれど、圭の手が触れるたび、ふっくらしたほっぺたに笑顔が浮かぶ。ふにゃん、と寝ぼけた可愛い声を出す。

「可愛すぎ……いくら見てても飽きないな……」

 圭の顔まで、つられてとろけそうな笑顔になっている。


 数分後、やっと思い切るように、体を起こした圭が、リビングに戻ってきた。


 佳也子は、温かいお茶をいれる。

 今は、こたつに替わっているリビングのローテーブルに脚を入れて、圭は、ちょっと嬉しそうだ。

「こたつ、いいね」


 そして、圭は、佳也子の目をまっすぐ見て言った。

「佳也ちゃん。……一緒に水原さんに会おう」

 水原、とは、想太の父親の苗字だ。

「俺さ、佳也ちゃんに電話もらってから、自分なりに、いろいろ調べたり考えたりしたんだ。水原さんが、急に引き取りたいと言い出した理由はわからないけど、彼が、簡単に今すぐどうにかできるものじゃない。

 もし、彼が家裁に申し立てをしたとしても、彼には、これまで育ててきた実績が皆無だから。たぶん、彼の思う通りには行かないと思う。

『引き取る用意はいつでもできている』というのも、もしかしたら、今の奥さんの気持ちを無視して、ひとりで突っ走っているのかもしれないしね。そんな状態で、水原さんのところに行って、想ちゃんが幸せになれるとは思えない」

「そう、そうなんです。私は、想太が幸せに過ごせるのが一番だと思うんです。もちろん、私で十分なのか? て言われたら、正直、自信はないけど。でも、これまでずっと、2人でがんばってきたし、これからも一緒に、て思ってる。でも……」

 佳也子の言葉が詰まる。

「想太も、血のつながったお父さんがほしいと思うかもしれない。私が、育てたいって主張することで、想太から、お父さんを奪ってしまうことになるのかな、て。

そう思うと……気持ちが揺れて……」

 佳也子は続ける。

「想太が、気持ちよく、しあわせに毎日を過ごすこと。私が一番に願うのは、それ。でもね。正直なところを言うと、私が、想太と一緒におりたいの。離れるとか考えられへん。ずっと、こんなちっちゃいちっちゃいときから、毎日、一緒にいてたんやもん。でも、それは私の我儘かもしれへん。私のせいで、想太から、実のお父さんを奪ってしまうことになってしまったら……て」

 佳也子は、涙声になる。

 そんな佳也子を包み込むようにほほ笑んで、圭が言った。

「佳也ちゃん。俺らは、想ちゃんのために、足し算をしよう」

「?」

「想ちゃんから、お父さんを奪うんじゃないよ。お父さんを増やすんだ」


「佳也ちゃんと想ちゃんと俺とで、これから、家族になる。つまり、想ちゃんには、お母さんとお父さんができる。

 まあ、今現在すでに、実質、佳也ちゃんがお母さんだよね。そして、血のつながったお父さんも、想ちゃんのお父さんだ。一緒に暮らしていなくても、ね。

 俺らが争うことになったら、どちらが勝っても、負けたどちらかを、想ちゃんは失ってしまうかもしれない。そんなことにはしたくないよね。想ちゃんの味方を、増やしてあげよう。何があっても、いつだって、愛して、受け止めてくれる味方を、ね。

 そのために、なんとしても、水原さんにわかってもらおう。必死で、引き取りたいって頼んでくるくらいだから、きっと、想ちゃんのこと、真剣に考えてくれるはずだ」

「そうかな。そうだといいけど……」

「何より、これまで佳也ちゃんが、どれだけ一生懸命、想ちゃんを育ててきたか、そのことをちゃんと、知ってもらおう。そして、佳也ちゃんも俺も、一番に願っているのは、想ちゃんが幸せに暮らすことだって。その上で、俺たちに任せてほしいって、伝えよう」


「圭くん」

 佳也子の心に力が湧いてくる。

 ちゃんと話し合って、わかりあうこと。そして、一番に大事にするのは、想太が安心して過ごせること。

 差し出された手を、払いのけるのではなく、上手く握り返して、相手を味方にすること。

(やってみよう)


 圭と話し合ううちに、佳也子の心は、次第に落ち着きを取り戻してきた。

 遅い時間ではあったけれど、水原にメールを送る。すぐに返信が届いて、次の日曜朝10時に、水原夫妻に、佳也子たちの部屋に来てもらうことになった。

 圭も、明日一旦、東京に戻って、土曜の夜遅くに、また、こちらに戻ってくることになった。


「佳也ちゃん。ありがとう」

「どうして? こちらこそ、圭くんに、ありがとう、なのに」

「ちゃんと、相談してくれただろう。それが、嬉しかった。ありがとう」


 圭が、そっと腕を伸ばして、佳也子の肩を包み込む。

「一歩ずつ、前進しよう。一緒に」

 柔らかで、優しい圭の声。

 その声は、今、甘さだけではなく、心強く響く。

 佳也子の心に、静かに勇気が湧いてくるのは、彼がいるからだ。


 佳也子を包む圭の腕にそっと力がこもった。

 大丈夫大丈夫、そう励ますように、圭の手が、佳也子の背中を優しくとんとんしてくれる。


(会えてよかった)

 佳也子も、思いを込めて、圭の背中を優しく、とんとんする。

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