第28話  どうしたん?!

 金曜日の午後。

 佳也子の働く希望ブックスの店内には、客の姿は、まばらだ。

 今日は、大学生バイトの、福本浩太と佳也子の二人が、夕方までのシフトに入っている。


 佳也子は、朝から夕方までで、午前中は麻友と2人で、麻友と入れ替わりに午後からは福本と2人という体制だ。

 いつもは、たいてい、店長がいて3人体制なのだが、店長の父親の法事があり、今日明日の2日間は、店長夫妻は休みを取っている。


「今日は、お客さん、少ないっすね」

 福本が、店内を見渡しながら言った。

「そうやね。まあ、もう少ししたら、バスが着くころやから、そしたら、ちょっと人の出入りがあるかな?」

「そうっすね」


 希望ブックスがあるのは、急行停車駅の駅前ロータリーに面したスーパーの4階だ。駅前ロータリーには、バス停がいくつかと、タクシー乗り場がある。

 バスや電車に乗る前に、本を買って行こうとするお客さんも、けっこう多い。なので、レジに人が並ぶときは、一気にくる。

 すいているときには、誰もレジに来ないのに、人が並び始めると、いきなり、みんなレジに向かってくるのはなぜ?

 あっという間に長蛇の列になって、めちゃくちゃ焦った経験が何度もある。


 この頃は、カバーをかけないことを選ぶお客さんも多いので、以前より助かるのだけれど、中には、コミックスを10冊以上、大人買いして、『全部カバーかけてください』なんてことを言う常連のお客さんもいる。

 それだけならまだしも、『あ、バスくるんで、急いでください』なんて付け加えられることもある。


(これは、もしや私に勝負を挑んでいるのか?)

(よし。うけてたつ!)

 必死で、素早く、レジを打ち、カバーをかけまくる。もし、カバーかけ選手権があったら、入賞できるかもしれない。

 はじめは、どうしてももたついて、時間がかかって、応援ボタン、と呼んでいる、ベルを鳴らしたこともあった。これが鳴ると、店内にいる他のスタッフが、レジ応援に駆け付けることになっている。

 でも、今は、10冊程度は、あっという間だ。計ったことはないので、正確なタイムはわからないけど。

 そのお客さんは、はじめの頃、佳也子がレジにいると、時間がかかることを予測してか、チッと舌打ちして、露骨に不機嫌な顔をした。

 ところが、いつからか、佳也子が、すずしい顔で作業を終えて、本を手渡すようになったので、舌打ちする代わりに、むむむという表情に変わった。

 お主やるな、とでも思ってくれたのか。

 そればかりか、佳也子が「ありがとうございます」と言って本を手渡すと、「あ、ありがとうございます」と、小さい声で、ボソボソと返事をしてくれるようにもなった。


 そうなのだ。

 佳也子が、気持ちいいなあ、と思うことの一つには、店を訪れるお客さんたちの多くが、本を買って帰るときに、『ありがとう』と笑顔で言ってくれることだ。

 佳也子たちも、もちろん、『ありがとうございました』と言う。

 この店で働くようになってから、今まで以上に、佳也子は、ありがとう、という言葉が好きになった。

 そして、自分が、別の場所で、客の立場でいるときも、前以上に、ありがとう、という言葉を言うようにもなった。


 昔はやった歌の中に、『お客様は神様です』なんてセリフがあったとかで、今も、たまに、それをふりかざして、居丈高に振る舞う人もいる。

 お客様をもてなす心自体を否定する気はないけれど、客であることに胡坐をかいて、人に迷惑をかける、あるいは、害を加えるようなマネをするなら、話は別だと思う。


 前に、テレビ番組の、実話を再現したミニドラマのなかで、コンビニの店員さんが、傍若無人なふるまいをする客に注意をして、

「お客様は神様だろう」と逆切れされ、

「はい。でも、他の神様のご迷惑になるので、おやめください」

 と返したシーンがあって、その切り返しに、胸のすく思いがした。

 佳也子には、そんな風に気の利いたことは、到底言えない。



 バスが着いたのか、急に店内に人が増えてくる。

 カウンターに来た女性が、言う。

「息子に頼まれてね。なんか、森に捨てられたピアノを弾いて育った少年の話とかで、アニメにもなってるとか。そんなマンガ、あるかしら?」

「はい。ピアノの森、じゃないですか?」

「あ、そうそう、そんな題名だったわ」

「こちらにございます。ちょうど入荷して、今なら全巻そろってます。何巻をお求めですか」

 福本が、コミックの売り場に客を案内していく。

 彼は、マンガにもゲームにも詳しい。

 だから、その分野のことで、お客さんに質問されたら、佳也子の知る限り、ほぼなんでも、すいすいと答えている。


 店内の客の数も増え、レジ前に並ぶ人も増える。

 先ほどのお客さんの対応を終え、福本がレジに戻ってくる。

 佳也子は彼と2人、レジにやってくるお客さんの対応を次々こなしていく。レジ応対の合間に、問い合わせの電話が鳴る。

 この本を探しているんですけど、と声をかけられ、パソコンで検索して発注をかけたりもする。


 文字通り息をつく暇もないほどのあわただしい時間を過ごして、やっと、客の波が落ち着く。

 ホッとして見渡すと、店内の客は、雑誌をパラパラめくる、数人の客だけになった。……やれやれ。


「福本くん、コミックの分野、いつでも、何きかれても、すぐに答えられるよね。すごいねえ」

「そんなことないっすよ。めっちゃ有名なやつか、たまたま、自分の知ってるやつなだけですよ。僕、好きな分野、偏ってるんで、それほど読んでへんから、知らんやつの方が多いっす。」

「そうなん。でも、いつ何きかれても、サッと反応してるやん。ほんとすごいね」

 佳也子がしみじみ言うと、福本が、照れくさそうに笑って、まばたきをした。


 麻友は、芸能・サブカルチャーに詳しい。

 店長の奥さんのエミは、児童書・絵本の分野に詳しい。

 店長は、ほぼすべてのジャンルに関して、売れ筋の本に詳しい。

 他のバイトの子たちも、それぞれに、得意分野を持っている。

 自分は、一体、何が得意と言えるのか。


 語学は好きだ。英語は、英検準1級まではもっている。でも、英語を使って問い合わせに答えられるかというと、自信はない。たぶん、無理だと思う。

 韓国語や中国語も、独学で楽しんで、ドラマや映画をある程度日本語字幕なしで聞き取れるときもある。あくまでも、『ときもある』というレベルでしかないから、目の前のお客さんに、韓国語や中国語で質問されたら、たぶん困る、と思う。

 小説は好きだし、いろいろ読んではいるが、もちろん、全部の作家を読んでいるわけじゃない。

 ただ、毎日眺めているから、棚にある本は、だいたい、どこに何があるか、なんとなく覚えている。背表紙を見慣れていて、読んでいないけど、タイトルと作者名をセットで、覚えていることもある。

 でも、それが、そんなに役立っているとは言えない。


 なんだか、自分は、ものすごく中途半端だ。

 ため息が出る。

 私の売りって、なんなのだろう。

 誰に向けても、自信をもって、これが、得意です!

 そう言えることって、何にもない気がする。

 好きなものは、たくさんあるけれど、

 それが得意と言えるほど、知識があるわけではない。


(なんだかなあ……)

 そう思ったとき、店のスペースの表側付近、エスカレーターに近いところから、

「きゃあーっ」

 女性の悲鳴が上がった。


「何? どうしたん?!」

 佳也子は、福本と顔を見合わせた。

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