第25話 『す・・・』

(会いに来て)

 心でつぶやいて、膝を抱える。

 一度湧き上がった想いは、心の中にあふれて、抑え込もうとしても、なかなか静まってはくれない。


 深夜、ひとりきりで、圭の出ている番組を見てしまったのが、いけなかったかもしれない。いつもなら、すぐに気持ちを切り替えて、前を向けるのに、今夜は、なんだかうまくいかない。


 着信音が鳴って、圭から、メールが届く。


『元気ですか。今日、仕事終わりに散歩していて、すごくきれいな虹を見たよ』

 鮮やかに、空にかかる虹の写真が、添えられている。


『きれいですね。下の方までくっきりしていて、なんだか、虹の足元まで、歩いて行けそう』

 佳也子は、メッセージを返す。


 そして、今日撮ったばかりで、まだ送っていなかった、想太のピカピカ泥団子の写真を送る。

『想太作です。すごいでしょ?泥のお団子も、がんばって磨くと、こんなにピカピカになるようです』


『すごいね。めっちゃピカピカ。実物が見たいな』

『想ちゃんに、すごいね! びっくりした! グッジョブ! 今度、俺にも作ってねって 伝えてね』

 たて続けに、メッセージが届く。


『了解です』

 敬礼をした子犬のスタンプを送る。


 メッセージを打ちながら、佳也子の胸の中から、熱い塊がのど元まで湧き上がってきて、あふれそうになる。


(会いたいよ。今、会いたい)

 声に出さない想いは、かわりに、小さな水滴に変わり、佳也子の頬をすべり落ちる。


 圭からの返信を知らせる音は、まだない。

 かわりに、電話が鳴った。


 圭の名前が表示されている。

 佳也子は、迷いながら、大急ぎで、涙をぬぐう。

 向こうからは、見えないのはわかっているけど。


「もしもし、佳也ちゃん。ごめんね、こんな遅くに」

 圭は、なぜかあわてたように早口だ。

「ううん。大丈夫ですよ~」

 できるだけゆっくりと話す。のんびり聞こえるようにと、祈りながら。

 なのに、大丈夫、という言葉を言いかけたときに、声が、のどにひっかかって裏返ってしまった。


「どうした? 佳也ちゃん。泣いてるの? 何かあった?」

 電話の向こうで、圭が慌てている。

「だ、大丈夫です。ちょ、ちょっと、泣ける映画見てて、それで」

「……佳也ちゃん、テレビ電話に切り替えて」

「……いやや。すっぴんやし」

「お願い。頼む!」


 そう言って一度切れた電話は、テレビ電話になって、再び、かかってきた。

 大急ぎで、涙をぬぐって、髪を整える。


「もしもし」

 心配そうな顔の圭が、こちらを見ている。

「佳也ちゃん、どうした? 目が赤い。何かあった?」

「なにも、ない、です」

 言葉がなめらかに出てこない。

 とぎれ途切れに、佳也子がやっと声を出すと、画面に映る圭は、切羽詰まったような顔で、こちらを見つめている。


「佳也ちゃん。どうした? ん?」

「俺に話して。お願い」

 何も言えずにいる佳也子に、圭が、言葉を重ねる。

「どうした? 佳也ちゃん」

 沁み込んでくるような、優しい声。

 少し、茶色がかった大きな瞳が、佳也子をのぞき込むように見つめてくる。

「佳也ちゃん。……ごめんな。こんなときに、すぐに、そばに行ってあげられなくて。ごめん」


 圭に、ごめん、と言わせたくなかった。

 今までも、これからも、佳也子は、穏やかに笑って、いつでも笑ってここにいる人でありたいと思ってきた。


 だから、佳也子は、ほほ笑んで、必死で涙を抑え込む。

 それに、圭の声を聞いているうちに、少しずつ落ち着いてきたのも確かだ。

 だから、一生懸命、話す。

「圭くん、ごめんなんて言わなくていいよ。ほんとに、たまたま、泣ける映画見てて、ちょっと繊細な気分になってた。それだけやから。大丈夫。ほんとに、何かあったわけじゃないよ。

 英子さんも想太も、無事に元気に過ごしてるし。心配しないで」

「今、俺が、心配してるのは、佳也ちゃんだよ」

「うん」

「佳也ちゃん、俺のことも、支えにしてよ。俺にしてほしいこと、『無理かも』とか思わずに、まず、相談してよ」

「うん」

「俺は、いつも、佳也ちゃんの笑顔思い浮かべて、頑張る力にしてる。心の支えだって言ったでしょ。おおげさじゃなく、本音なんだ。だから、俺にも佳也ちゃんの力にならせてよ」

「うん」

「だから、ひとりで泣いたりしないで、俺にも話して」

「うん」

 圭の目が、まっすぐに、佳也子を見ている。


「じゃあ、なんで、泣いてたのか、ちゃんと話してくれる?」

「う……」一瞬、言葉に詰まる。

「う?」圭がうながす。

「……ちゃう、あ、あい……」

「あい?」

「……会いたかったの! 夜中に、テレビで、圭くんがインタビュ―に答えてるの見てたら、なんか急にものすごく会いたくて」

「うん」

 圭が、ほほ笑みながら聞いている。


「会いたいなあって思ったら、気持ちが止まらなくなって。会いたくて、それで」

「……そんなに会いたいって思ってくれたんだ」

 圭が、ささやくような低い声で言った。

「なんか、嬉しいよ。俺だけじゃなかったんだね。佳也ちゃん、いつも、おだやかで冷静で、あまり感情的になるところとか見たことなかったから。だから、いつも、こんなに胸が熱くなったり、会いたいって、思って、電話したくなったりするのは、俺だけなのかなって。正直、思ってた」

「そんな……」

「だから、あの日、ほんとは、久しぶりに会えて、嬉しくてぎゅうって、思いきり抱きしめたかったけど。……なんだかびっくりさせちゃいそうで、できなかった」


「佳也ちゃん、これからは、会いたくなったら、こうやって、顔を見て、電話で話そうよ。むりなときはしかたないけど、でも。ひとりで泣くのはなしにしような」

「うん」

 佳也子がうなずくと、圭が、いたずらっぽく笑って言った。

「俺、今夜眠れないかも。嬉し過ぎて」

「嬉しいって……私は、泣いてたんですよ~」

 佳也子が、少し恨めしそうに言うと、

「だから、そんなに、思ってくれてたっていうのが、嬉しい。……ありがとう」


「明日も、お仕事、忙しいんでしょう? ちゃんと寝てくださいね。じゃあ、おやすみなさい。」

 いつものペースを取り戻した佳也子に、

「うん。佳也ちゃん、す・・・、いや、これは、また今度、直接言いたいな。……とにかく、おやすみなさい」

 そわそわした空気のまま、圭の電話は切れた。


 今度直接、言いたい、『す・・・』って?

 佳也子は、思わず、笑顔になる。


 着信音が鳴った。

 見ると、スマホの画面には、小さな白いお団子のような顔のキャラクターが、胸のところに、大きなハートを一個抱えて、立っている。

 指先で、タップすると、そのハートは、数が増え、どんどんあふれて、こちらに向かって飛んでくる。

 佳也子も、笑いながら、同じものを返す。

『す・・・』の続きは、また今度会う日の、おみやげかな。

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