第18話  おかげで


 今日の佳也子は、朝からちょっと嬉しい。

朝、開店前に、何気なしに、棚差しにしていた本を、1冊、面出しして置きなおしてみたら、開店早々に、その本が売れたのだ。

 背表紙とタイトルしか見えていなかったときは、2カ月、全く誰も買う気配もなかったのに、表の面を見せて置いたとたんに、嬉しそうに、手に取って買っていく人がいる。

 

 時々、前に買って行った本の感想を、話してくれるお客さんもいる。

「この前おすすめしてくれた、あの本ね、すっごくよかった!」

「面白かったから、友達にも貸してあげた」などなど。

まあ、貸し借りせずに、ぜひ買いに来てね~と言いたいところではあるが。


 今日も、常連さんの40代くらいの女性が、文庫の棚を見て回っている。彼女は、いつも、佳也子のおすすめに耳を傾けてくれて、さらには、佳也子の書いたPOPがついた本は、必ずと言っていいほど手に取ってくれる。


 佳也子の勤める書店は、個人経営でそれほど規模の大きい書店ではないので、ブックフェアを企画しても、それほどたくさん同じ本を発注することはできない。

 都会の大規模書店ならびっくりするほど大量に平積みになるような有名な作家の最新刊も、それほどたくさん入っては来ない。思ったように本が入荷しないことで、悔しいことも多々ある。

 けれど、ささやかでも、工夫次第で売れていく本たちを見ると、佳也子は嬉しい。


 常連のその女性が、佳也子にきく。

「何か、おすすめ、あるかしら?」

「そうですね。今日は、どんな本が読みたい気分ですか?」

「そうやねえ……ちょっと、静かに背中を押してくれそうな、っていうか、優しい雰囲気の、気持ちのいい文章が読みたいかなあ……」


 佳也子の頭に、1冊の本が浮かぶ。

 まだ、確か1冊棚にあったはず。

「これ、どうでしょう。もしかしたら、ご存知かもしれませんが」

 棚から抜いたその本を、彼女に手渡す。


『萩を揺らす雨」(吉永南央/文春文庫)というのが、それだ。


「この本の主人公は、高齢の女性で、珈琲豆と素敵な食器を扱うお店を経営してるんです。で、そのお店では、コーヒーの試飲もできたりして」

「あら~いいわね。それまだ読んだことないけど、そんなお店がこのへんにあったら行きたいわ」

「でしょう? 私もです~。で、いろんなお客さんが、店にやってきて、その会話の中で出てきたことや、あるいは、彼女自身が出かけたときに見聞きした日常の中の謎や事件を解いていく、というお話で。文章がとても素敵なんです。

 ななめ読みとかとばし読みとか、もったいなくてできないくらい。1行1行大切に読みたいって思える、すごくきれいな文章です。

 歳を取っていく切なさや孤独も描かれているけど、周りの人とのかかわりの中で感じる温かさとか、とてもこまやかに描かれていて、心に沁みます。

 シリーズになっているので、新刊出るたび買ってます」


「きまり! それにするわ」

 彼女は、その本と、他に佳也子がPOPをつけた本、合わせて2冊をもって、カウンターに向かっていく。

「ありがとう!」そう言って。

「ありがとうございます」

 佳也子も笑顔で返す。


 彼女には言わなかったけど、佳也子は、その本の中に出てきた言葉がすごく好きだ。

『弱いと認めちゃった方が楽なの。力を抜いて、少しは人に頼ったり、頼られたり。そうしていると、行き止まりじゃなくなる。自然といろんな道が見えてくるものよ』(『萩を揺らす雨」(吉永南央/文春文庫より)


 人に頼ることは、甘えだ。

 そう思って、肩肘張りそうになっていた自分を、優しく諭してくれた気がしたのだ。

 一方的に頼るだけというのではなく、

『頼ったり頼られたり』

 その言葉が、佳也子の肩の力を抜いてくれた。


 この言葉のおかげで、佳也子は、悠木夫妻を素直に頼りながら、そして時には、ささやかでも、佳也子なりに、彼らの手助けをしたりしながら、やってこれた。


 この言葉のおかげで、佳也子は、いろんな人のやさしさに触れて、いっぱい感謝しながら、日々を過ごせているように思う。



(あ、また発注しとかな。今ので、在庫なくなったし)

 佳也子は、棚を整えながら、補充したほうがいい本を、チェックして回る。


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