彼女が死ぬ日Ⅱ ②

 誰もいなくなった教室を背に、不気味な程の静けさを演じる廊下を歩く。

 上履きの軽い音。聞こえてくるのは私の足音だけ。

 一歩、また一歩と、すぐそこの大階段は、しかし近づく度に遠ざかるような錯覚に陥っていた。


「……話があるなら私の前に立ってくれないか? 後をつけたって、私が後ろを振り向く理由はないぜ」

 それもそのはず、私の意識は背中へと釘付けになっている。 

 視線は隣の教室の中から、こちらをじっと見つめる影が。そこには無人を装い、息を殺して隠れ潜んだある男の生徒が一人いた。

 

「家入……」

 ──彼の名前は、谷内仁。

 『今日の夢』、朝早く学校にいた者。酷いノイズの走った僅かな視界で、その特徴的な長い前髪と手に持った本の題名が頭に残っている。

 それは朝から私を監視していた人物であった。

「気のせいだ、後なんかつけてない。……お前こそ、こんな時間まで一人で何をしてる? 部活には入ってないだろ」

 いけしゃあしゃあと、図太くそう口にする谷内。

 さて、それは言うなれば狂言。彼の言葉に振り返ることなく私は返す。

「おいおい、話を逸らすなよ。今更ごまかそうったってそうはいかないぜ。それにまさか、探偵が尾行に気が付かないとでも思ったのか?」

「……」

 私の言葉に谷内は黙り、足音が近づいてくる。

 会話の拒否が示すのは明確な敵意だ。

 窓が締め切られそよ風も吹かぬこの空間は、だが静けさの中、徐々に加速する鼓動の音が混じっている。

 耳に聞こえる鼓動と辺りの静寂。そして、場違いに軽い足音。

 ──つう、と。熱くもないのに、背中を水が走るような感覚がした。

「分からないな。どうしてそこまで熱を上げる? お前にとってこの事件は一体何なんだ?」

 なおも彼は歩く。

 距離はもうあと数歩といった所。息も碌に吸えなくなってきて、心臓は暴れまわっている。

 それでも。不安は見せず、ただ気丈にふるまってみせる。彼が犯人であるという確証も証拠もないが、反応はまさしく黒だ。……ならもう一押し。

 私は続けて問う。

「解決した先にお互い何がある? ……いや、何もないさ。ホントに、びっくりするくらい無いんだよ。何故ならこんな事件を一々相手取る程、世間様は暇じゃないからだ。一時の会話のネタがいいとこの、結局はそのくらいでしかない日常の延長さ。そのくらい、お前だって?」

「ああ、。それを承知の上で俺は行動している。家入、そっちこそ今更じゃないのか?」

 足音は止まる。

 私の質問こそが今更だと、彼は私の真横でそう話した。

 ここまで付き合い付き合わせ、その先の無意味さについて何を語るというのだろうか。相手は頭のおかしな狂人、とうに分かっていたことだ。

「質問が無駄だって言いたいわけか。……ふん。それは、赤崎が死ぬからか?」

 彼は私を通り越した。

 斜陽に照らされた顔は影をぬぐい、爛々らんらんきらめく双眸をあらわにした。

 その瞳……、私は知っている。思いを込めるに足るモノを前にした時、熱く燃え盛る人の熱だ。谷内にとってのそれが意味する所を、激しく、怒りに満ちた表情でもって彼は示した。

「──それ以外に、何があるっ!」

「な」

 瞬間。ドスンッ、と鈍い音が静寂を壊した。

 衝撃と音。私の体から聞こえてきたものだと気が付いたのは、視点がすっかり天井に向けられてからだった。

「が、っ……っぅ」

「追い詰められていた癖に、その余裕は一体どこから来ていたんだ?」

 力任せに床に押し倒された体はピクリとも動かすことができない。

 陽の当たらない顔には再び影が落ち、何故か笑った顔はひどく恐ろしい。

「いや、余裕なんて本当は無いんだろう? 喋りすぎだよ。もうお前が質問する番は終わりだ」

「……っ、余裕がないのはお互い様さ。こんな真似をしてきて、焦ってるのはお前も同じだろうに、谷内」

 校内で事を起こす。そうしなくてはいけない理由が彼にはあった。時間という共通した追手は、互いの余裕を等しく削いでいたのだ。

「ああ、時間がないのはそうだな。けど、折角だから今度は俺からも質問させてもらう。もっとも答えるも答えないも、お前が決めてもらってもいいが……、どうか未練は残さないでくれよ。

 ──家入紗希。最後に言い残すことはあるか?」


「……。じゃあ最後に一つ。忘れていたくせに、よくもまあそんなデカい顔ができるな? 恥ずかしくないのかよ、谷内」

 谷内が犯人であるとするのは、『今日の夢』で見たことと、ほんの少しの私の推理だった。

 彼自身も赤い手紙の被害者であるが、何かの拍子で催眠術が自分にかかったのではないかと、私は都合よくそう考えた。無理があるかもしれないが、たった今、現に彼はこうして本性を表した。 

 ……それでも。ここまで過激な手段を使うのは想定外だったが、いや無問題。

 私は探偵なのだから。


「い、言うに事欠いて……。恥ずかしくないのかだと? っ、何もかも全部、お前が始めたことだろうが!!」


『──ああそう、一発くらい殴られるだろうけど、許容範囲だ。でもなるべく早く来てくれよ? 私だって痛いのはイヤだからな』


「お前が、お前がっ、何をふざけたことを……この、人殺しが!!」

 容赦のない猛攻。悲鳴すら上げる暇もなく、挙げたところでこの声が誰に届くというのだろうか。

「……っあ、ぐぅぅ」

 2発、3発。辛うじて防いではいるが、降り注ぐ暴力は止まることは知らず、そのうちに一発が顔に入った。

 じわりと、口の中に鉄の味が広がる。

『出番はここからだ。周りが見えなくなったところがねらい目ってワケさ。頼んだよ、──』

 殴られて血を流すことなど、普通の人には縁のないことだろうなぁと。バカみたいな考えが、虚ろな意識の中に浮かんだ。

 耐えられてあと一発くらいか。

 そして。意識を失う直前……2人が来た。


「サキちゃんっ!!」「紗希!!」

「な、?! っう──」

 ゴッ、と。後ろに気を取られた隙をついて、顎に一発、いいのをくれてやった。

 怒りに任せて何度も殴りつけてやらなかったのは、そうしたかったのは山々だが、2人が先生を連れてきていたからだ。

 最後まで多少理性的だった私。その一発については、正当防衛だとして咎められることはなかった。




「君はアレか、不幸体質か何かなのかい? それとも今日は運に見放されているとかか」

「みずがめ座は一位だったんですけどねぇ、っ……」

「ハイハイ。動かない動かない」

 本日3度目の保健室。

 しこたま殴られた私は、鼻血に頬にあざ、口の中がちょっと切れたくらいで、運がいいのか悪いのかというやつだ。またしても救急車を呼ぶほどの大事にはならなかったこと、それと後の面倒ごとは先生方に任せることができたというのも、ささやかながらよかったと言えることだろう。

「巴と凛もありがとね。おかげで様で無事だよ」

「……無事ね。今日死ぬ人が、私じゃなくて本当に紗希になるところだったわよ?」

「確かにね。まあでも、もうその心配もないさ。事件は終わり。犯人は捕まえたからな」

「僕、なんかどっと疲れてきたよ。先生を呼びに行ったくらいで、今日は特別何かしたわけでもないんだけど」

 はあ、と大きくため息をつく巴。身体ではなく心が疲れ切っているらしい彼は、一日の濃密さが一般生徒が経験する以上のドラマに満ちていた。

「あ、悪いけど巴。凛の監視はやってもらうからね? むしろこれからが巴の出番だからさ」

「わかるっこ。ちゃんと見張ってるよ」

「いつまで言ってんだよ、それ」

 誤字をいつまでもいじり倒す巴。凛も横で笑っていたので、当面この空気は続いていくらしい。犯人という最大の障壁を乗り越えた私たちは、4月4日にこうしてまた、くだらない会話を楽しんでいくだろう。

 終わってみればあっけない、彼女が死ぬ日はこうして幕を下ろすのだった。


 


 



 時刻は19時10分。

 巴がくるまで赤崎の家の監視を私が請け負い、その後に帰ったので、家に着いたのはそんな時間に。

 父は私が顔にあざを作って帰ってきたことに驚き、今日の晩御飯はいつもより数段豪華になった。どうも、友達と喧嘩をしたのかと勘違いをしているらしく、誤解を解くのに苦労した。

 危ない危ない。あのままでは巴がどうなっていたことやら……。


 0時近くを回ると、疲労から目を開けるのもつらくなってしまった。

 凛の死ぬ日はもう終わる。故に気分的には寝ることはできないと思っていたが、睡魔には勝てず、シャワーを浴びて眠気を飛ばしてみても、体はベッドに引き寄せられた。

 巴からの連絡がなかったことが、最後のとどめになり、気が付けば──。

 

 私は深い眠りの中、『今日の夢』に横たわっていた。

 





















────────そしてその日、赤崎凛は死んだ。

 

 

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