4月3日の水曜日Ⅰ ③
授業も終わり、放課後。毎週水曜日は赤崎の所属するテニス部は定休らしく、念願叶って一緒に下校することができた。
いつか父から聞いた「友人は得難いものである」という言葉。探偵という目線から放たれたその言葉は、情報網とかそういう方向性のはずなのに、知らず知らずのうちに自分の中で受け入れられている。
かつてとは違う。むしろ一人でいることに孤独を感じ始めている自らの心境の変化に、少々戸惑ってるのが正直なところだ。
──さびしい。……それはとても、不思議な感覚だった。
「ぼーとして、どうしたの?」
優しい声が耳に届く。
信号がもう青になっていたのに気が付かず、見ればちかちかと点滅を始めていた。
「あ、ご、ごめんっ! ちゃっちゃと渡っちゃおう」
「いいわ、ゆっくり帰りましょう。おしゃべりしながら、ね」
赤に変わった信号。
友達と、赤崎と一緒に帰ることを楽しみにしていたのに、危うくそれを全部台無しにするところだった。
「こうして二人で帰れる時を、実は私、すごく楽しみにしてたのよ、家入さん」
「そうなの?」
「ええ、そう」
話す顔には、愛おしくものを見るような笑みが浮かんでいる。
友人関係の広い赤崎は、私と同じ理由でそう思っているわけではないだろう。孤独は彼女からそれなりに離れた位置にあるものだろうし。
はて一体、どのような理由があったのか。
「昔……そう、今から10年前。貴方のお父さん、家入達志さんに、命を助けてもらったことがあるの」
10年前、その言葉を聞いた時、柄にもなくピンときたと思ってしまった。
それは探偵しぐさ。──そう、探偵。まさしく探偵だ。
「その時貴方にも、同じ時期に少しだけ会ったことがあると思うわ。ちらりと見たくらいの、本当にほんのすこしだけれどね。でも、私は忘れてないわ」
「……まさか」
「想像の通り。探偵、家入達志の引退のきっかけになった、あの事件よ」
『あの事件』
歴史の教科書には残らない事件。けれど誰かの大きな転換期となった、忌まわしき、痛ましき、悲しき、凶悪事件。
デカい事件と私が称した父の引退原因にして、殺人放火誘拐の揃った凶悪事件の被害者は、赤崎一家であったという。
犯人諸共すべてが燃やし尽くされたという絶望の中、奇跡的に生存者が一人だけ。
赤崎凛こそ、その時の生き残り。
小さなころの出来事で、記憶がそれほど鮮明になかった事。そして、幼い子供の名前までは公表されなかったために、ついぞ知る機会のなかった事。
「そうか。だから、か」
やっと分かった。こうも彼女に何かを感じていた理由、赤崎が私に興味を持っていた理由は、徹頭徹尾、やはり探偵という職業が絡んでいたということだ。
「探偵、いや、推理小説好きはそこからってことか。……うん」
私の口に出るのは、締まりのない、素直な喜びのない濁った返事。
父が繋いでくれたということに不満はないのだ。父の影響の大きさは学校の中で話題になるくらいのモノなので、私の認識に「家入(達志の娘)紗希」と、そうなるのは理解できるから。(あるいはそれを許容するくらいの器のデカさは持っている、月くらいに心の広い、聡明で天才(超能力)で、かつ美少女であるのを分かっていただけると幸いだ)
──ただ、拗ねるのもしょうがないと、わがままながらそう思っては欲しい。他人とかかわりを多く持たない癖に、自分の事をよく知りやがれ、なんてのはめんどくさい奴だと自覚があるために、それを口に出しはしない。
それでも傷つかないよう、私は警戒だけはしておくのだ。
「ああでも、どうか勘違いはしないでね。この事は、貴方に興味がないとか、そういうわけではないわよ? 達志さんの娘だっていうのに親近感を覚えたのは事実だけれど、友達になったのはもっと別の、あなた自身の魅力よ」
信号はもう青に変わっていた。
しかし私と赤崎は、そのことを気にすることはない。
点滅を始める信号を無視して、流れる車を見送っていく。
彼女の言葉、裏腹に返ってきたのは直球の肯定だった。それも後ろに父の姿を見せない、私個人への言葉。
「……み、魅力……、魅力ね……」
予想だにしない誉め言葉に、どう反応したらいいかがもう真っ白だ。そうとは知らず、続ける赤崎を前に、にやけそうになるのを必死で抑えるので私は精一杯だった。
「──えと。ちょっとその、こう、改まって言うのは気恥ずかしいけれど……、優しいところとかね。……うーん、いや。やっぱり魅力というのは少し表現が違ったかもだわ。
つまりね。言いたいのは、話すようになったきっかけは、私の大事なペン、祖父の形見を見捨てないでいてくれたからでしょう?」
赤崎はそう言って、胸元のポケットから真っ黒で綺麗なペンを見せる。
「祖父との思い出を一瞬でも忘れてしまった私から、貴方は記憶も形見も取り戻してくれたの。それはね紗希さん。私にとって、とっっても大きなことなんだから」
私の行いが、私に報いたと。
赤崎の言葉は紛れもなく、背後に父の影を思わせない私に向けた私だけのモノ。何の見返りもないと思っていた目の前の出来事は、目を逸らさなかった私に思わぬ返礼をくれた。私の行いは、決して徒労などではなかったのだ。
「……嬉しいよ。ありがとう、赤さ──ぇ」
「凛」
「?」
ぴ、と。人差し指口を押える赤崎。
「私は紗希さんって、あなたを今そう呼んだでしょう。だから、ね?」
わかるでしょう、と。彼女はそう話す。
下の名前で呼び合うのは長い付き合いの巴くらいだったが、彼女もまた、そう呼んでほしいと言う。
たかが呼び方一つと、人は言うのかもしれない。でもこの時は私は本当の意味で、彼女の友達となれた瞬間だと──そうとも……、たかが呼び方一つでそう感じたのだ。
「うん。ありがとう、凛さん」
ちょうど、信号は青に変わった。
「──じゃ、ここでお別れかな」
「ええ、紗希は右。私は左。何だかきれいな分かれ道ね」
信号を渡ってしばらくすると、住宅街の中で二つに分かれる道に出た。
名残惜しくもここでお別れ。凛の家の方向は私とすっぱりと別れてしまっていた。
「また明日。凛」
「あら、それは無理かもよ」
「……なんで?」
言いたいことの予想はつくが、あえて凛の口からそう聞いてみる。
すると、凛は大げさな身振りと手ぶりしながら、さながら俳優のように、大げさに言って見せた。
「ふふ。それはほら、今日は私が死んじゃう日なんだから。こんな風に、」
ぐえーと、自分の喉を締めて見せた赤崎。
「なんだよ、もしかして本気にしてたり?」
「冗談。仮にホントでも、あっさり誰かに殺されちゃうほど、か弱い女の子じゃないわよ、私。──それじゃあ。また明日ね、紗希」
くるりと振り返った凛に、同じように私も背を向け、家への道を歩いて行った。
「また明日、凛」
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