今日が終わり、今日が始まる ②
「まったく、あいつ何しに来たんだよ……」
佐伯はあまりの恥ずかしさからか、本来の用事を忘れ、ただコーヒを飲んだだけで帰っていった。これでは普段、普通にコーヒーを飲みに来る他の客と変わらない。
というか、赤崎を待っていたほうがずっと良かっただろう。
……佐伯。
お前からの詫びとして、今度会ったとき思い切り巻き込んでやるからな。
「なんだ紗希? そんな悪い顔して。だめだぞぅ、母さん似の美人が台無しだぞ──。……ははーん。さては約束をすっぽかした佐伯君に、厄介ごとを押し付けようとしてるな? ……あ、いや違うな。巻き込もうとしてるのか。
でもな。どっちにしても、今度会ったらちゃんと謝っておけよ? あの子、見栄っ張りだけどいい子なんだから」
友人は得難いとかなんやかや、洗い終わったカップの水気をふき取りながら心を読んで見せる父。人の感情にひどく敏感なのは、抜けきらない昔の癖だ。探偵を引退した後でも、時々こうして過去の影が顔をだす。
だが、父は加減ってものを知らない。……正直引く。
もちろんすごいのは認める。すごいけど、でもさすがにキモイ。こうも思ってることを正確に言い当てられると、そういう称賛の言葉はもう通り越して遥か彼方へ飛んでいき、代わりに不快からくる非難がやってくる。何事も度が過ぎれば、こういう感想が出てくるもんだ。
「相変わらずだけど、そこまで読まれるとさすがに気持ち悪い」
「ひどい!!」
えーんえんと、いい年した、恥も外聞もプライドの欠片もない、おまけに父の威厳をかなぐり捨てたウソ泣きを晒す、不名誉だが確か私の父だったようなこの男をガン無視して。
私はさっさと二階の自分の部屋へと向かった。
──ああ、今が営業時間外でよかったと、心の底からそう思う。この男ならきっと誰の前でも同じようにやって見せただろうし、ましてそんなことになれば、私は
身内故、精神に来るダメージは何千倍・何万倍とかになりそうである。
「紗希」
扉を開けて階段足をかけたところで、不意に呼び止められる。
振り向くと、何時になく真面目な顔つきで父はこちらを見ていた。
「な、なに?」
「……ああいや、なんでもない。お前は母さんに似て賢い子だ、言わなくてもそれくらい自分でわかっているよな」
「??」
「……え。ホントに分かってるよな!?」
「ふ。はいはい、分かってるって。いつも通り危ないことには巻き込まないよ」
時刻は15時45分。
2階につき、すぐさまベッドに寝転がる。
そしてそのまま、ポケットからスマホを取り出し、アラームをセット。
時刻は19時45分。夕飯時、今からちょうど3時間に設定した。
「さて……寝ようかな」
言って、スマホを放り投げる。
天井を見つめたまま、今日の夕飯のことや、明日は赤崎と一緒に帰ろうとか、巴とどう協力していこうか、とか。
そうやって、過去は見ず未来のことを考える。
未来。
それは誰しもが胸に抱く希望に溢れる、罪悪感とは程遠いモノ。
それは誰の手にも責任のない、身勝手に思いを馳せることのできる夢。
それは誰も知らない明日の事。
そんなとりとめのない考えが、私の頭の中を埋め尽くす頃。次第に意識は薄れてゆき、いつの間にか静かに、すやすやと。
深海のように、深く、心地の良い眠りについていた。
これをもって『家入紗希の世界の今日』は、一旦の終わりを迎えた。
──────
目を覚ます。
時刻は7時ちょうど。
鳴り響くアラームをそのままに、下へと降りる。すると、香ばしいコーヒーのにおいが漂ってきた。
「おう、起きたか。おはよう」
「……」
少し遅れて、朝の挨拶をくれた父。だが私はそれを無視し、さっさと学校へと向かった。
自転車に乗り、学校への道のりをかっ飛ばす。
出勤通学にはまだ早いため、人通りはまだ少ない。閑散とするこの時間とこの世界は、いつものことながら寂しいものだと思う。
市立
教職員の出入り口は別で、それに新学期の一日目ということもあって、朝練のある部活動もなく、この光景は別段不思議ということもない。……ので、その場に自転車を止め、構わず門を乗り越えて昇降口へと向かった。
「やっぱ、ないよね……」
下駄箱の中は当然ながら空。
どんなに急いでも、私の下駄箱の中に手紙を入れる人物を特定することは、今までも不可能だった。春休み明け、今日は久しぶりだからと、そう思って期待していたけれど結果は変わらず、だ。
なら、このまま張っていればいい。誰かが手紙を入れるまでここにいれば、おのずと犯人は分かるはず、と。
普通に考えればそうだが──不思議な話、それは違う。
いくら早く来ようと、この結果は今までも変わらなかった。しかしそれでも、と。淡い期待を捨てきれず、ここで待ってみることにした。
──ひとりふたり。さんにん……、飛んでごにん。
8時近くになるとちらほらと人が増えてゆき、新学期特有の「クラス何組だった」話が盛り上がりを見せている。
そうして。
時間も過ぎ、登校にはちょっと遅いくらい。
私の下駄箱が開いた。
開けられた下駄箱はしばらく閉じず、一人の男がやってくるのに合わせ、バタンと音を立てて閉められた。
「おっ、サキちゃんもおんなじクラスか。一年間よろしくねえ!!」
歩いてきたのは巴。
ただし。巴は私を呼んだけれど、その目線は私ではなく私の隣、ただ
「えーちょっと……!!何それ何それ、もしかしてラブレター!? うわ~僕はじめて見たよ、他人のー」
空に向け、話し続ける巴。
しかし。先程とは違って、その目線の先には一通の手紙が浮かんでいる。
それはまるで誰かが手に持っているかのようで、あちらこちらに行ったり来たり。
見えはしないが、そこには私がいた。
ここは今日という映画の世界。
今日起きたことを忠実に再生するだけの、干渉出来ぬ夢の中。
ここでは私は『演者』であり、世界を映す『カメラ』。
すでに撮られた映像を流すこの映画では、『演者』としての私はもはや不要。
だからその世界を、私は自由に歩いて回ることができる。
そして、映画の裏には当然ながら続いている世界がある。カメラに映る世界がすべてではなく、カメラの裏側にも物語は存在するのだ。
『カメラ』としての私は、その世界を映し出し、今日この世界で起こったことを記憶する。たとえ今日、その場所に私がいなかったとしても、こうして歩いて見に行くことができる。
……だが同時に、私は『観客』のひとりでもある。
映画の内容を変える権利はその人になく、起きた過去を変える権利もない。
『観客』の私にできることはただ一つ。
窃盗、詐欺、殺人……。どんな非道、ありとあらゆる罪悪を前にしても、この世界で起きた事象をただ見続けるだけの、そんな無責任な傍観者となることだけ。
「──だから、過去なんて嫌いなんだ」
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