婚約破棄VS婚約破棄

亜逸

婚約破棄VS婚約破棄

「いきなりで悪いが、エミリア……僕は君との婚約を破棄したいと思っている」


 侯爵家次男、ルーク・ジェレイドは、つい先日婚約を結んだばかりの相手に、出し抜けに宣言する。


「奇遇ですわね。わたくしも貴方との婚約を破棄したいと思っていましたの」


 相手――公爵家令嬢、エミリア・ソムスティは、優雅に紅茶を啜りながらも平然と応じた。


 束の間、二人の視線と視線とぶつかり合い、不可視の火花が散る。

 婚約を破棄する気満々のくせに、相手に破棄されるのは断固として拒否すると言わんばかりに。


「理由を聞かせてもらおうか、エミリア」

「あら? 先に切り出したのは貴方の方なのだから、そちらから話すのが筋ではなくて?」


 一理あると思ったのか、ルークは諦めたようにため息をついてから答えた。


「この婚約は、父上が勝手にお決めになられたこと。そして僕には、他に好きな女性がいる。好きでもなんでもない君とは結婚できない」

「奇遇ですわね。わたくしも同じ理由でしてよ」

「……僕の話を先に聞いて、そのまま返しただけじゃないのか?」

「失礼ですわね。わたくしにはちゃんと心に決めた男性ひとがいるんです。それも、貴方のような無神経な人とは大違いの、とても人間ができている人が」


 サラッと侮辱されたことに、ルークはイラッとしまう。


「ほう。だったら教えてもらおうじゃないか。僕よりも人間ができているという男の名前を」

「……まあ、隠すような話でもありませんし」


 そう前置きしてから、エミリアは答えた。


「エルロス男爵家ご長男の、ラムスですわ」

「ラムス? あんなうだつの上がらない優男の、どこがいいんだ?」

「あら? どうやら貴方は、つい先程のことも覚えていない鳥頭の持ち主のようですわね。ちゃんと教えて差し上げたでしょう。貴方のような無神経な人とは大違いの、とても人間ができている人だと」

「その解釈自体がおかしいと言っているのだ。あれは人間ができているのではなく、弱気すぎて人に文句が言えないだけの、ただの小心者だ」


 エミリアのこめかみに、ビキッと青筋が浮かぶ。


「そこまで仰るならルーク……教えてもらいましょうか。小心者ではない貴方が慕っている女性の名を」

「断る。今の君は、彼女のことをこき下ろす気満々な顔をしているからな」

「そんなことを言って。どうせ、こき下ろせるところが沢山ありすぎるせいで紹介できないような女性なのでしょう?」

「な、何を言うッ!! ナターシャは君とは違ってこき下ろせるところなど何もない、この世で一番素敵な女性だッ!!」


 思わず反論してしまったところで、ルークはハッとする。

 一方のエミリアは、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「ナターシャと言えば、ロブロイ伯爵家の一人娘ですわね。確かに貴方のように、彼女はこき下ろせるところは何もありませんわね。何せ、が絶壁ですもの」


 そう言って、エミリアはこれ見よがしに豊満な胸を強調する。

 エミリアのは山と呼ぶにふさわしい大きさなのに対し、ナターシャは限りなく平野に近い。

 その事実はねじ曲げようがなかったので、ルークは悔しげに「ぐぬぬ」と口ごもるばかりだった。


「……どうやら君は、僕が手ずから婚約を破棄するにふさわしい相手のようだな」

「貴方こそ、わたくし自らが婚約を破棄するにふさわしい相手のようですわね」


 またしても二人の視線と視線がぶつかり合い、不可視の火花が散る。


「明後日行なわれる社交パーティでは、ナターシャも、ラムスも出席する」

「なるほど、そこで婚約破棄けっちゃくをつけるというわけですわね」

「そういうことだ。どちらが先に婚約破棄を発表し、想い人との婚約にこぎつけられるか、勝負といこうじゃないか」

「面白いですわ。乗ってやろうじゃありませんか」




 ◇ ◇ ◇




 社交パーティ当日――


 パーティ会場では、ルークとエミリアが互いの手を取り合って、ダンスをしていた。

 今はまだ婚約者同士ということで、一回くらいは一緒に踊っているところを周りに見せておいた方がいいだろうという考えがあっての行動だが……二人の戦いは、この瞬間からもう始まっていた。


 ルークは優雅な足運びをそのままに、エミリアの足の小指目がけて優雅に踏み抜きにかかる。


 対するエミリアは、何事もなかったように優雅にルークの足をかわす。


 その流れのままクルリと一回転しながら、優雅にルークの足の小指を踏みにじろうとするも、優雅に床を踏みにじるだけの結果に終わってしまう。


 ここまでくれば、もうおわかりだろう。

 ルークとエミリアは、相手の小指を踏みにじって粉砕することでパーティを途中欠席させ、その間に悠々と婚約破棄を発表しようとしているという魂胆でいるのだ。

 優雅さもへったくれもあってものではない。


 とはいえ、はたから見れば、見事なまでに息の合ったダンスにしか見えず、周囲では拍手が巻き起こっていた。


 ここまで注目を集めてしまっては、互いに足の小指を粉砕するわけにはいかず、二人揃ってあるかなきかの舌打ちを漏らしながらも、現在流れている曲が終わるのに合わせてダンスを終えた。


 そうこうしている内に、出席が予定されていた貴族の多くが、パーティ会場にやってきていた。

 良いタイミングだと思ったルークは、それとなくエミリアから距離をとり、彼女よりも先んじて婚約破棄を発表しようと口を開くも、


「あら、ルーク。貴方が大好きなロブスターがありましてよ」


 離れてたところにいたエミリアが、手が霞んで見えるほどの速さでロブスターをぶん投げてくる。

 飛矢の如く空を斬り裂いたロブスターは、婚約破棄を発表しようとしていたルークの大口にスッポリと嵌まった。


 結果、別の意味で注目を浴びてしまったルークは、


(エミリアめ……!)


 憎々しげに彼女を睨みつけながらも、殻ごとロブスターをバリボリと貪った。


 やはり先にエミリアを排除するしかない――そう思ったルークは、赤ワインの入ったグラスを片手にエミリアに近づき、


「うわッと!? ああ! すまないエミリア!」


 バランスを崩したフリをしながらも、エミリアのドレスに赤ワインをぶっかけた。


「これは……着替えるしかなさそうだな」


 目だけを勝ち誇ったようにニヤつかせながら、ルークはエミリアに言う。


(やってくれましたわね~……!)


 内心ビキビキきているエミリアだったが、顔には笑顔を貼り付けながら応じる。


「そのようですわね。……すみません、ルーク。少し席を外しますわ」

「いや、謝る必要はない。むしろ謝るべきは僕の方だから。本当に済まなかった」


 周囲の目はちゃっかりと気にしていた二人が、内心をおくびにも出すことなく謝り合う。

 エミリアが会場の出口に向かって歩き出すと、ルークの目はますます勝ち誇ったようにニヤついた。


 だがこの時、ルークは失念していた。

 今回の社交パーティは、ルークの想い人であるナターシャも、エミリアの想い人であるラムスも出席している。


 だからこそ婚約破棄けっちゃくの場に選んだことは、さておき。

 その失念は、エミリアという公爵令嬢つわものの前では致命的だと言わざるを得なかった。。


 エミリアが、ナターシャの背後を通りかかったその時、



 およそ常人には視認できない神速の手刀が、ナターシャの延髄を強打した。



「あらあら? どうしましたの?」


 驚いている風を装いながらも、エミリアは自分が気絶させたナターシャを抱き止める。


 この場において唯一手刀が見えていたルークは、戦慄を禁じ得なかった。


(あの女、ここまでするか!?)


 おまけに、ナターシャを抱き止めた際に、赤ワインが付着した自身のドレスを彼女のドレスに押しつけているものだから、抜け目がないにも程がある。


(これは、厳しい婚約破棄たたかいになるな……)


 その確信どおり、ルークとエミリアの婚約破棄たたかいは熾烈を極めた。


 エミリアがドレスを着替えて戻ってきたところを見計らい、ルークは事故を装って、ラムスの股間に白ワインをぶっかけた。


 目を覚ましたナターシャが戻ってきたところで、ルークは再び婚約破棄を試みるも、実は歌の上手さに定評があったエミリアの独唱リサイタルにより、そのタイミングを逸してしまった。


 そうこうしている内に着替え終えたラムスが戻ってきたので、エミリアは独唱リサイタルが終わると同時に婚約破棄を発表しようとするも、ルークが「おぉ、エミリアよ。すまない。先程こぼした赤ワインが、君の髪に染み込んでいるようだ」とほざきながら、二人揃って強制退場するという荒技で強引に阻止した。


 会場外の廊下まで連れ込まれたエミリアは、忌々しげに吐き捨てる。


「やってくれますわね……!」

「それはこちらの台詞だ……!」


 視線と視線をぶつけ合い、不可視の火花が散らしていた最中さなかのことだった。


 不意に、パーティ会場から大歓声が聞こえてくる。

 いったい何があったのかと思ったルークとエミリアは、


「今は一時休戦だ。会場なかで何があったのか確かめるぞ!」

「異議なしですわ!」


 二人揃って、パーティ会場に舞い戻ったその時だった。


 会場のド真ん中で、ルークの想い人であるナターシャと、エミリアの想い人であるラムスが熱い口づけを交わしていたのは。


「「…………………………は?」」


 二人揃って、間の抜けた声を漏らす。


「パーティの真っ最中に婚約発表なんてやるじゃないか!」


「良かったですわね! ナターシャ!」


「お似合いだぞ! ラムス!」


 会場にいる皆が皆、二人を祝福する。

 それだけでルークとエミリアは、自分たちが廊下に出ていた間に起きた惨劇できごとを理解してしまった。

 理解してしまったから、二人揃ってその場で項垂れた。




 ◇ ◇ ◇




 宴もたけなわなパーティ会場の一角で、ルークとエミリアはどんよりとしながらもヤケ酒に走っていた。


「どうして……こんなことになってしまいましたの……」


 手にしていた赤ワインを一気飲みし、近くを通りかかったウェイターから新たなグラスをふんだくりながら、エミリアは言う。


「それは……こちらの台詞だ……」


 手にしていた白ワインをちびちび飲みながら、ルークは応じる。

 二人とも、失恋のショックで悄然しょうぜんとしきっていた。


 だが……


 そんな相手が見ていられなかったのか、二人してこんなことを言い始める。


「しかし……まあ……元気を出したまえ、エミリア。沈んだ顔は君には似合わない」

「ルーク……貴方こそ。つらい時は、はっきりとつらいと口に出した方が、少しは楽になれますわよ」


 などと、二人して慰めの言葉を交わしたところで、二人してハッとする。


「い、今のは別に、君のことを心配したわけじゃないからなッ!」

「わ、わたくしこそ、つらそうな顔をしている貴方を見ていると鬱陶しいと思っただけで……勘違いしないでくださいまし!」

「「ふん!」」


 二人揃って、そっぽを向く。


 その様子を、遠くから見ていたナターシャとラムスは、揃って笑顔を浮かべた。


「ルーク様とエミリア様、本当に仲がよろしいですね」

「うん。ぼくたちも、お二人のようになれるかな?」

「なれますわ、きっと。私とあなたなら」

「そうだね。ぼくと君なら」


 などと言われていることなど露ほども知らないルークとエミリアは、その日はでろんでろんになるまで酔ってしまい――


 翌朝、二人して同じベッドで目を覚ましたという事実に、二人して頭を抱えた。

 なお、でろんでろんになってからの記憶は、二人して欠片ほども残っていなかった……。

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