第十一話: 馬の心、人知らず



 それから……まあ、彼はとにかく同じことを繰り返した。




 錆びた身体を解すために、一歩、また一歩、意識して牧場の中を歩き回るのが風景の一部となり。


 張り付いたシールを剥がすような感覚で、へばり付いたスジを剥がし、ゴムのようにクイッと伸び縮みさせ。


 毎日、キナコより『良くなれ~良くな~れ』と、効いているのか効いていないのか、よく分からないマッサージを受けて。


 そうして、そろそろ気温が上がってきてほしいなと囁かれ始めた2月初めに……ようやく、獣医より『レースに出てもOK』と許可が下りた。



 とはいえ、まだまだ焦りは禁物だ。



 彩音より調教を受けていたとはいえ、それはあくまでもリハビリの一環。トレセンに居た時のような、自らを追い込むようなトレーニングではない。


 言い換えれば、そういったトレーニングをしないと……レースには勝てないというわけだ。


 そして、レースに勝つためには、何時ぞやの……出来るならやりたくない坂道ダッシュと、プール地獄にてアップアップする必要がある。



 ……。



 ……。



 …………うん、非常に……本当に、出来る事なら行きたくはないけれども。



『ボワ~、頑張るんだよ~、応援じでいるがらねぇ~』

『き、キナコちゃん、涙を拭いて……っていうか、鼻水もそうだし、ちょっと女の子がしていい表情じゃないよソレぇ!?』

『げがしないでね~無事にがえっでぐれるだけで、わだじはうれじびば~ああ~ぼわ~ぼわ~』

『……泣くか送るか、どっちかにしようね』



 勝つためには、苦しくともやるしかない。


 あと、百年の恋も冷めてしまいそうな顔で手を振るキナコの事を思えば……泣き言など言えるわけもなかった。


 ……いや、まあ、彼自身も冗談交じりの愚痴みたいなもので、本音では早く練習したい気持ちではあるけれども。



(……うわ、久しぶりに見たけど、この坂道ってこんなに急角度だったか?)



 懐かしきトレセンへと移り、見覚えだらけの部屋へと通され、その日は輸送の反動が出ないかどうかで終始した……翌日。


 彼を待っていたのは、もはや挨拶替わりの……プールであった。



 もちろん、理由は考えるまでもない。



 医者から許可が出ているとはいえ、いきなり坂道ダッシュという強度の高い練習を課す調教師はいない。


 日常的に歩かせ、人が乗ったうえでの緩やかな小走り程度は済ませているが、一度壊れた足だ……慎重に慎重を重ねてしまうのも致し方ない。


 なので、足腰に負担は少なく、なのに心肺に負担を掛けてスタミナアップに持ってこいなプールは……競走馬にとっての強い味方なのである。



(ちょ、あの、前より水が多くないですかね、これ!?)



 とはいえ……それが馬にとって喜ばれるかどうかは、また別の話だ。


 幾つもの激闘を繰り広げたかのアイドルホースはプールを嫌い、かと思えば、練習嫌いなとある名馬はプールは喜び、水遊びに夢中になって中々出てこないなんて話もある。


 なので、コレに関しては、ハッキリ言って馬によるとしか言えない。そして、残念なことに彼にとっては……苦手な部類に入るトレーニングであった。



 ……ちなみに、水が多いというのは彼の気のせいである。



 万が一にも溺れないよう、水の高さはむしろちょっと少なめにしており、前の時よりもはっきりと踏み込みやすくはなっている


 多いと感じてしまうのは、ひとえにプールそのものへの苦手意識が見せた思い込みに過ぎなかった。



『ホワは相変わらずプールを嫌がるな。温水だから、泳いでいて気持ちいだろ?』

(気持ちいいけど、四足ですからね!? 人間の時と違って、足を滑らせたら溺れるの確定ですから!)

『だいたいの馬は喜んでくれるけど、ホワはなあ……調教を嫌がらずこなすホワの、唯一の弱点だな』

(それが分かっているなら、もっと違う俺に優しい訓練方法を見付けてくださいよ!)



 だが、この日、この時。



 ──ヒヒン、ヒヒン、と。



 以前と同じく情けない悲鳴を上げつつも、恐怖に打ち勝ちながら必死になって前へと進む彼の耳に。



『頑張れよ。折れた足もそうだが、関節への負担が小さいのもプールのメリットだからな』



 ──ヒヒン、ひひ……ヒン? 



『しかし、思っていた以上に足の回復具合は良好だな……これ、もしかすれば重賞レースの勝ち負けまで行けるかもしれんぞ』

『何事もなければ来月には復帰出来そうですね……ステップレースはどれを選ぶんでしょうかね』

『さあ、馬主さんが決めることだろ』



 ──関節への負担が……小さい、だと? 



 職員よりポロリと零れ出た、雑談の中に紛れていた言葉。


 それは、正しく発想の転換。天啓にも似た閃きが、彼の脳裏をズバババーン……と、駆け巡るキッカケとなった。



(そうだ、そうだよ。水の中なんだから、浮力が働いてそうなるのは当たり前じゃん!)



 そう、今まで『足への負担が小さい』というだけで考えが止まっていたが……よくよく考えてみれば、それだけではない。



(なんかさ、あったじゃん。水中トレーニングっていうか、そういうやつ)



 ──思いついたが吉日。



 ほとんど反射的に決断を下した彼は、少しばかりペースを落とし……足を上げる際に、足首(感覚的な話)をクイックイッと動かした。


 それは……傍目にはまず分からない、僅かな動きである。


 例えるなら、アレだ。


 お風呂に入った際に、手首や足首をクイッと動かすようなものだ。思いっきりやるのではなく、ストレッチ感覚でかる~くスジを伸ばしただけである。



(お~、思っていたよりも効くぅ……う~ん、取りきれなかったコリが解れていくような……お~、いいじゃんコレ……!)



 しかし、実際にやってみた彼は……想定していた以上の効きの良さに、思わずブフフンと鼻息が零れた。


 力を入れてやるのではない。感覚的に、プランプランと少しばかり足首を振るだけである。



 けれども、それが良かった。



 これも馬になって……というか、骨折した事で改めて彼が実感したことなのだが、馬の足というのは本当に脆い。


 構造的に仕方がない面もあるのだが、それを差し引いても、サラブレッドの足はガラスに例えられるぐらいに脆い。


 ゆえに、浮力の掛からない地上では、人間と同じ感覚でスジを無理やり伸ばそうとするのは非常に危険である。


 なにせ、一本の足で100kg以上の体重を支えるわけだ。


 単純に人間に置き換えれば、200kg越えの人が立ったまま行うストレットをやろうとするようなものだ。


 加えて、人間と比較すれば足が脆いサラブレッドの彼が、地上で行えるスジの解しなど、高が知れていた。



(うぉ~……ふへぇ……気持ちええ……じんわりとコリが溶けてゆくのが分かるぅ……)



 だが……その問題を、水の中という限定的な空間によって解消された。


 さすがに、水の中でも、人間の時のようにグイーッと伸ばすような事は出来ない。けれども、プランプランと動かすだけでも効いている感じがする。



 それで、十分だ。



 そもそも、目指すのは雑技団のような柔軟性ではなく、怪我を防ぐための柔軟性……そして、速く走る為の柔軟性である。



『……ホワ、何だかゆっくり進むようになったな』

『それに、ウットリとしているような……コイツ、今頃になってプールの気持ち良さに気付いたのか?』

『ははは、有り得るかもな。だって、ホワだし。気付いて、ウットリしているんじゃないのか』

『そうだな、ホワなら有り得そうだ』



 なので、外野で色々言われようが……今の彼には、何の問題もないのであった。






 ……。



 ……。



 …………さて、だ。



 そんな感じで、色々な意味で気持ち良くなっている彼を尻目に、トレセンの客室はその日……何とも形容しがたい空気に満ちていた。


 部屋の中には、調教師である置田とその助手が1人、馬主である遠藤。そして、専属騎手である彩音の、計4名が居た。


 ……で、その4人が集まってのこの空気……そうなった理由は他でもない。


 彼……すなわち、『ホワイトリベンジ』の復帰レースをどうするかと集まった際、所有者である遠藤が……凄い事を言い出したからであった。



「……すみません、遠藤さん。私の聞き間違いもありますので、もう一度確認します」



 そして、その凄い事を言われた置田は、どうか聞き間違いであってほしいと言わんばかりに、居住まいを正し……改めて、尋ねた。



「ホワイトリベンジの復帰レースを……『天皇賞(春)』にする。それで、間違いありませんね?」

「うん、そのつもりだよ」

「……そ、そうですか」



 そして、効き間違いではない事に、置田は思わず肩を落とした。


 どうして、調教師とはいえ馬主である遠藤に向かってそんな態度を示すのか。



 ──それはひとえに、遠藤という男が暴挙に走ろうとしているからである。



 と、いうのも、だ。



 天皇賞(春)はグレードⅠ……つまりはGⅠに区分されるレースではあるのだが、このレースの最大の特徴は、なんといっても距離にある。


 その長さ、3200m。


 強い馬が勝つとされている菊花賞ですら、3000m。それより更に200mも長いとなれば、自ずと勝利を手にする馬は絞られる。



 ──まず、純粋にスタミナに秀でたステイヤーの適性を持つ馬でなければ話にならない。



 どの馬も走るだけなら3200mぐらいワケはない。しかし、勝ち負けを狙おうとするのであれば、ステイヤーへの適性は必須である。


 2000mまで最速だとしても、そこから先、ずっと息切れしながら走るしかない馬では……よほどの理由がない限り、ほぼ敗北必至である。



 ……で、肝心のホワイトリベンジは……はっきり言って、適性があるかは全く分からない状態だ。



 なにせ、ホワイトリベンジの父である『マッスグドンドン』も、それほどの長距離レースを走った事が一度も無い。


 そして、ホワイトリベンジ自体が経験出来た最長距離ですら、2400mの日本ダービーだけ。


 しかも、そのレースでは足を骨折し、年内いっぱいを治療とリハビリに費やす結果と……そうだ、問題なのは距離だけではない。



「その、天皇賞(春)を狙うとして、ステップレースは?」

「必要ありません。そんな事をしなくとも、ホワは走れます」

「で、では、併走へいそう(2頭以上の馬を並んで走らせること)を重点的に──」

「それも、必要ありません。あの子はどうもキナコさんなどから大切に大切に、それはもう大切に育てられた子ですから、逆に気疲れしてしまうらしいので」

「……本気ですか?」



 思わず、置田は信じ難い者を見るような目をしてしまった。


 だが、それも競馬に携わっている者からすれば、致し方ない事であった。



 もちろん、そこにも理由がある。



 それは、競馬の歴史において……理由は何であれ、レースから長期的に離れた馬が、復帰明けのレースで勝利を獲得するのは、相当に稀な事であるからだ。


 どうしてかって、それは馬がレースの事を忘れてしまうからで、言葉を変えれば、馬の頭から走る気持ちが抜けてしまうのだ。



 ……ちょっと、思い返してほしい。



 学生時代の夏休み明け、学校での一日がやけに長く、妙に疲れる……そんな感覚を覚えたことはないだろうか。


 それと同じ事が、馬にも起こる。


 特に、走る為に生まれたサラブレッドとはいえ、定められたコースを如何に速く走る事を求められるという状況は、本来は起こり得ない異常な事態であるからだ。


 何故なら、動物にとって全速力で走るという機会は三つしかない。


 命を脅かす危険を感知した時と、獲物を捕らえる為に狩りに動く時と、番(メス)を得る為に力を示さなければならない時……この三つだけだ。


 なので、そのあり得ない状態を意図的に作り出す為に様々な調教を施し、気持ちを戦闘態勢のまま維持させておく……それが、競走馬というものなのである。



 ……で、だ。



 置田の考えは、現在のホワイトリベンジは調教こそ素直に従うものの、気持ちがまだお休みの状態なのでは……というものだ。


 体力その他諸々を戻せたとしても、頭のスイッチが『お馬さん』から『競走馬』へ完全に切り変えられていない。


 これが、レースにおいては明確な差となってしまう場合が非常に多い。


 そして、そのスイッチを切り替えるには、実際にレースを走り、競馬の空気を思い出してもらうのが一番である。


 色々な事情からそれが出来ない場合は、併走させる。馬同士に競り合いをさせることで競走馬の闘争本能を刺激し、スイッチを切り替えさせる。


 それが、置田だけでなく、様々な者たちがこれまで積み上げ、導き出した方法で……それをしなければ掲示板入りも難しいというのが、置田の本音であった。



「……遠藤さん、貴方が夢を膨らませて言っているわけではないのは存じております。そうして欲しいのであれば、そうしましょう」

「どうか、よろしくお願いします」

「その代わり、差支えがなければ理由を教えてください。リスクを承知で、どうしてソレを選んだのかを」

「ふむ……そうですね」



 それは、調教師として馬を預かる者としては当然の疑問であった。


 そして、遠藤もまた、それを隠すのはスジが通らぬと思ったのか……少しばかり沈黙した後で、ポツリと答えた。



「死んだ妻の、夢なんです」

「……奥様の?」

「僕の夢は、ダービーでした。ですが、まだ妻の夢が残っております。私をこの世界に連れて来てくれた、亡き妻の夢を……叶えさせてやりたい」



 困ったように視線をさ迷わせる者たちを尻目に、遠藤は「唐突な話で、申し訳ありません」頭を下げた。



「元々、ホワに何事もなく、機会に恵まれたならば挑戦するつもりでした。それが出来る能力を持っていると、僕は考えています」

「それは……」

「これが、最初で最後のチャンス。勝ち負けは望みません。ただ、僕の馬が天皇賞を走りきる……それを、妻に見せてやりたいのです」



 ……。



 ……。



 …………誰が言うでもなく、それ以上の事は何も言わなかった。



「……決意が固い事は分かりました。なので、最後にもう一度だけ確認します」



 ただ、代表する形で置田が……遠藤の目を見ながら尋ねた。



「併せ馬をするにも前もって準備が必要ですから、直前になってしてほしいと言われても出来ません。それで、本当によろしいのですね」

「かまいません。それに、これは僕の独断ではありません。ちゃんと、彼を育てたキナコさんや、専属騎手の彩音さんにも相談致しました」



 ──えっ? 



 思わず、置田(助手も)は彩音を見やる。


 見られた彩音は、「あの、私も今の今まで『天皇賞(春)』を狙っているとは知りませんでした」少々気まずそうに視線を逸らした後……一つため息を零した。



「……遠藤さんの言う通り、ホワはその生まれから、他の馬よりも人に懐いております。敵意や警戒心を持っているわけではありませんが……正直、併せ馬をしても効果が薄いと思います」

「どうして、そう思うんだ?」

「ホワは、賢いですから」



 思い出したのか、彩音は困ったように頬を掻いた。



「賢いから、これが練習で、本番ではないと理解しているのだと思います。どれだけ併せ馬でプレッシャーを掛けても、練習だと思われて本気にはならないかと……」

「は? そんなことあるのか?」

「実際、牧場で他の馬たちからちょっかいを掛けられても全く動じませんし……辛い調教も、本番への練習だからと理解しているようにも私には見えます」



 嘘だろ……と、目を瞬かせる置田と助手に、彩音は堪らないと言わんばかりに苦笑を零した。



「私と致しましては、復帰レースが『天皇賞(春)』であっても問題ではありません。どのみち、いつかは何処かのレースに出ないといけませんから」

「まあ、それはそうだが……」

「それに、これは私の私的な感覚なんですけど……ホワはおそらく、GⅠなどの観客が多く入るレースの方が、気合が入ると思います」



 ……彩音のその言葉に、置田は……軽く瞬きをした。



「根拠はあるのか?」

「ホワは、人が大好きですから。観客の歓声を聞くと、それだけ大勢喜んでいると思うみたいで……気合の入り方が違います」

「……ん~、それは……う~ん」

「たぶん、大勢の人が喜ぶと、キナコさんも喜んでくれる……と、思っているのかもしれません。レースに勝って牧場へと短期放牧した時、キナコさんより褒められたのが相当嬉しかったみたいで……だから、全くの無謀とは思いません」

「ん~、しかし、ん~……ん~~~~~!!!!!」



 腕を組んで力いっぱい唸る置田調教師……悩むのは、当たり前である。とはいえ、それは思い留まらせたい……というわけではない。



 むしろ、その逆だ。



 まず、大前提として置田自身の考えというか方針は、極力馬主さんの意向に沿った形で調教を行い、それに合わせて出走レースを提案する……というものだ。


 あまりにも無謀かつ馬に多大なダメージが残りそうなレース(また、条件に満たない場合)を除いて、基本的には馬主さんから『○○のレースに出したい』と要望を出されたら、そのように執り行う方針である。



(……春天(『天皇賞(春)の略語』)か)



 だから、置田としては、馬主である遠藤が『天皇賞(春)』に出したいと言った時点で……既に、どうすれば出走出来るのかどうかを考え始めていた。


 ちなみに、決定打になったのは、死んだ妻が……という話を聞いてからなのだが……話を戻そう。



(問題なのは、賞金が足りるかどうかだな……皐月を取っているとはいえ、その後は一度もレースに出ていないから……最悪、選考漏れの可能性がある)



 ちらり、と。


 客室の壁に取り付けてあるカレンダーを見やった置田は……どうしたものかと頭を掻いた。



(足りるとは思うけど、ほぼ1年近くレースから遠ざかっているからな……万が一を考えよう)



 だが、そこまで悩まなかった。


 悩んだところで賞金が増えるわけでもなく、確実に出られるよにするためには、やはりそれまで一つぐらいは走っておく必要があるからだ。



 ……ゆえに、置田は率直に……『天皇賞(春)』を出る為にも、どこかでレースに出て賞金を積み重ねる必要があると遠藤へ告げた。



 ……ステップレース云々とは別の話であって、それに関しては話を聞いていた彩音も同意見であった。


 さすがに、調教師である置田ほど賞金云々に詳しくはなかったが、皐月以降賞金を重ねていないから選考漏れしてしまう可能性を薄らと危惧していたようで。



「……出た方が良いんですか?」

「万が一はありますし、そうした方が良いかもしれません」

「……柊さんまで言うのなら、そうしましょうか」



 そこは置田に同調して遠藤を説得する側へと回った。


 さすがに、そこらへんは素直に耳を傾けた遠藤は、続いて置田より「スケジュールを考えれば、この二つです」二つのレースを提案された。



 ──3月の第三週『阪神大賞典』。芝3000m。


 ──同じく、第四週『日経賞』。芝2500m。



 タイミング的に、両方とも出走の届け出を出せるギリギリ。


 距離は伸びるけれども、上位に入れば『天皇賞(春)』への優先権を得られる『阪神大賞典』。ステップレースとしては、ある意味では最適である。


 距離が短くなって2500mにはなるが、こちらも上位に入れば優先権を取得できる。ただし、1週分だけ『天皇賞(春)』への猶予が短くなる。



 どちらが悪いというわけではない。


 そして、どちらを選んでも勝てる保証はない。


 むしろ、どちらを選んでもボロ負けになる可能性が高い。



 だって、療養明けの復帰レースである事には変わりないのだから。



 さて、出走に漏れないのを期待してこのまま『天皇賞(春)』へと臨むか。


 さて、リスクはあるけれども優先出走(あと、賞金も)を狙ってレースを挟むか。



 前者を選んで上手く事が運んでくれたら万々歳だが、万が一選考に漏れてしまったら……かといって、後者は後者で無視出来ないリスクを孕んでいる。



 ……置田ですら、どちらが良いかを判断が出来なかった。



 なので、自然と……3人の視線が遠藤へと集まる。


 最終的な判断を下すのは馬主である遠藤なのだから、当然といえば当然だが……最初の時とは違う、何とも言い表し難い沈黙と緊張感の中で、遠藤は。



「……よし、決めました」



 たっぷりと、5分ほど考え込んだ後で。



「『阪神大賞典』……そこに、ホワを走らせます」



 そう、はっきりと決断したのであった。



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