おかしくなった世界の話(2)
吾輩は路地という路地を息せき切って猛進していた。というのも、生ける屍と化した高津に猛スピードで追われているからだ。
「こうなる気はしたけどね!」
言ってから、誰に向かってしゃべっているのだと我に返る。吾輩も知らず知らずのうちに改変されているのかもしれない。
高津の腕が吾輩のしっぽをかすめる。さっきまではのろのろと動いていたくせに、得物を狙うときだけ素早くなるのはどういうことか。
塀を跳び越す――高津が塀をなぎ倒して追ってくる。
生け垣をくぐる――高津が生け垣をなぎ倒して追ってくる。
らちが明かない。
猫を捕らえようとするとき、人は無意識に自分の行動を制御している。近所のガキどもに繰り返し追われてきた吾輩には分かる。自分が――あるいは猫が――けがをしないようにという手加減。あるいは、物を壊さないようにという倫理。
いずれも、今の高津には欠如していた。
いつしか追い詰められていたようだ。この小路の先には大通りしかない。そこへ出てしまえば、高津のスピードから逃げる術はないだろう。ちらりと後ろを振り返るが、大小さまざまな障壁をものともせず、高津はしぶとく追ってきている。
――覚悟を決めた。
ままよ、と大通りに躍り出る。吾輩が家の床下にでも逃げ込むのが先か、高津が吾輩を捕らえるのが先か。
吾輩が逃げ場を探して周囲を見渡したそのとき、日が陰った。
またしても「支配者X」の襲来か、と身構えたがそうではないらしい。背後でぷつん、と音がする。
恐る恐る振り返ると、巨大な何かに身体の大部分を潰された高津が目に入った。辛うじて潰されなかった頭がぴくぴくと痙攣しているが、これ以上動くことは無理だろう。
私はその巨大な何かを見上げる。
逆光でよく見えないが、人型をしているらしい。こいつが高津を踏み潰したのだ。
「巨大ロボ、発進!」
拡声器でも使ったようなひび割れた声が辺りに響く。それはどう聞いても大人のものではない。吾輩には聞き覚えがあった。
「この『イワクラマン』にかなう奴はいないぜ! 見ていろよ、『支配者X』!」
ずしん、ずしん、と地響きを立てながら、巨大ロボとやらは大通りを歩き去っていった。岩倉少年はどこに向かおうと言うのか。
ともあれ、窮地を脱したのに違いはない。岩倉少年には感謝せねばなるまい。
さて、有島だ。
吾輩はバーを目指して駆け出した。
【「アイアンハンマーっ!」
バーの主人が最後の椅子を破壊した。私はひらりと跳び避ける。
どうやら物語の改変は私にも及んでいるようだ。主人の暴挙に、身体が勝手に反応してくれる。主人の言葉を借りるなら、私と彼では「れべる」が違うらしい。
「やはり今の僕では無理か。でも覚えていろよ、いつか必ず――」
私は主人の左頬を思い切り殴りつけた。
これまで非暴力を貫いてきたが、これ以上面倒ごとに巻き込まれるのは厄介だ。主人は「あはん」と言って、店の奥まで吹っ飛んでいった。
彼がよくしゃべる奴でよかった。口を開いている間にのしてしまえば、反撃されることもない。
しかしこれで、雀の居所を聞ける相手がいなくなったわけだ――バーの主人にしても知っているわけはなさそうだったが、せめて「雀を見なかったか」くらいは尋ねさせてほしかった。
振り出しに戻る。
私がバーを出ようとすると、店の奥から「有島さん」と呼び止められた。主人の声ではない。よく聞きなじんだ人の声である。
「柳田さん?」
思わず足を止めて振り返る。
「ああ、やっぱり有島さんですね」
そう言って奥から出てきたのは、薄手の作務衣を着たなまめかしい美人であった。
「たまたま麓に来てみたら、爆発が起きるわ、怖い人が多いわ、とにかくここへ逃げ込んだのです。でも、バーのご主人も少しおかしな様子でしたので、店の奥へ勝手に上がり込んで、今まで身を潜めていました」
「あの、柳田さん、ですよね?」
「はて? おかしなことをおっしゃいますね」
どうやら柳田さん自身は、若返りに気付いていないようだ。私も慣らされ始めていて、もうこの程度のことでは驚きもしない。重要なのは、雀の情報を仕入れることである。
「こんなときに申し訳ないのですが、柳田さん、雀を見ませんでしたか」
「雀ですか?」
「ええ。それを見つけ出せば、この世界を元通りにできるかもしれぬのです」
柳田さんは怪訝な表情を浮かべていたが、それでも協力はしてくれるようだ。
「一匹、大通りの西側にちょこんといたのを覚えています。不思議な雀でした。辺りに爆弾が降っているのに、動じることなく私たちの様子をじっと見ていたのです」
大通りの西側。通りを、このバーとは逆方向に進まなければならない。梅ちゃんと出会った駄菓子屋の近くに、雀はずっといたのだ。もしかしたら、私の様子も見ていたのかもしれない。
「それにしても、なぜ雀がこの事態と関わっているのでしょう?」
柳田さんの疑問に、私は答えることができない。
「私も皆目見当がつかないのです」
「誰かに恨みでもあったのかもしれませんね。雀は復讐の生き物でもありますから」
柳田さんの何気ない言葉が引っかかった。雀と復讐、私はどうしてもその二つを結び付けて考えることができない。
「復讐の生き物とは、どういうことでしょうか?」
「雀の仇討ち、という昔話があります。卵を山姥に食べられた雀が、栗、蜂、蟹、臼に団子を与えて仲間にします。山姥を家で待ち受け、囲炉裏に潜んだ栗が跳ねて火傷させ、水瓶に手を入れたところを蟹がはさみ、蜂が刺し、山姥が逃げ出したところを屋根から臼が跳んで押しつぶす」
よく知った要素がふんだんに込められているが、「雀の仇討ち」とは初めて聞いた。
「それは猿蟹合戦ではないのですか?」
「ええ、よく似ています。それに、団子を与えて仲間を集める部分は『桃太郎』とも共通しますね。昔話ではよくこういうことが起こるのですよ」
「ともかく、だから『雀が復讐の生き物』とおっしゃったのですね?」
私の問い掛けに、柳田さんはうなずいた。
頭の中で、何かがつながりかけている。雀がこの物語を改変し始めた動機。
ずしん、ずしん、と地が揺れ始めた。柳田さんが「きゃっ」とかわいらしい声を上げて私の胸にしがみついてくる。
落ち着け有島、相手は齢八十を超えているのだぞ。
その地響きは通りの西側から聞こえ、やがて東側へと過ぎ去っていった。暖簾の向こうに、一瞬だけ巨大な鋼鉄の塊が見える。
そこへ小さな影が走り込んできた。】
吾輩が「イワクラマン」の助けを借りつつ、必死の思いでバーへ駆け込んだとき、有島は見知らぬ美女を抱きしめているところだった。
吾輩の姿を認めると、ぱっと美女を手放し、「猫よ、無事でしたか」と手を伸ばしてくる。なんと白々しい。吾輩は思わずその手を引っ掻く。
「ええええええっ」
有島は声を上げ――同時に手の甲からも軽い血しぶきが上がる。大げさ過ぎないだろうか? 猫に引っ掻かれただけで、これほど激しく出血するわけがない。これほど大きな声を上げる必要もない。
「な、なにか悪いことでもしたでしょうか?」
手を押さえて有島が効いてくるが、吾輩はそっぽを向く。上目遣いでこちらを見るんじゃない、気色悪い。
「それよりも、雀の居所が分かりました。すぐにでも行かなければ。柳田さんのおかげで、雀が凶行に走った理由も検討が付きそうです」
さすがは主人公といったところか。吾輩が生ける屍と追いかけっこをしている間に、有島は事の真相をつかみつつあったらしい。
美人といちゃついていたわけではなかったようだ。謎の美人、柳田さん。
ちょっと待て、柳田さん?
柳田さんと言えば、齢八十を超えた、隣の家のお婆――。
「こうしてはいられません。では、柳田さん、これにて失礼」
有島が駆け出して行ってしまう。
「ああん、お待ちになって」
柳田さんがこれまた芝居がかった様子で、有島の去った方向へ手を伸ばしている。
なんだこれは。
吾輩も追いかけねばなるまい。
大通りに出て、有島の背中を追いかける。一日にどれだけ走らされるのだろう。今更ながら、椅子に座ってモニターを見るだけだった話者とモデル読者が憎い。
有島が不意に足を止めた。吾輩は、その横に並び立つ格好になる。
正面に、雀がちょこんと鎮座していた。有島が、落ち着いた様子で口を開く。
「また会いましたね。私たちがここへ来るだろうことは分かっていたのですか?」
【「また会いましたね。私たちがここへ来るだろうことは分かっていたのですか?」
雀は首をかしげてこちらを見ている。その目は黒々として、何を考えているのか推し量ることができない。
私はよっこいしょ、と言って大きなつづらを降ろした。その上に腰掛ける。
「あなたがなぜこんなことをしているのか考えてみました。もしこれが何かの復讐ならば、あなたが背負っている事情は何なのかと」
復讐。柳田さんからその言葉を聞いたとき、何かが私の脳裏をよぎった。
――「それにしても先生、なんだって岩倉の坊ちゃんにたかられているんですか?」「たかられてはいないがね。この前、例の事件を解決するために、ちょっとばかり力を借りたものだから」「例の事件って、あの尋常小学校の?」
――「先生、先日はありがとうございました」「先日?」「管領の件です」
――「以前出版された『浪漫ひとかけら』が好きですね。書生と村娘のやり取りがいじらしくて。眠ろうとすると、二人のその後がとたんに気になり始めてしまいます。続編の構想は?」
梅ちゃんとの会話。高津さんとの会話。そして、高津さんの何気ない一言である。
ヒントはずっとあったのだ。
「さすがに私でも気づきました。この物語は、続編なのでしょう?」
私がそう言っても、雀はぴくりとも反応しない。
「私にはおぼろげな記憶しかないのですが、高津さんから依頼を受け、周りの助力を得ながら事件を解決したことが何度もあるはずです」
私は「続編」と言ったが、それは第二巻という意味ではない。「有島」の登場する小説は、もっと長く続いている。事件の数からして、きっと五巻は下らないだろう。
この物語は、その最新作になるはずだったのである。
では、雀は何に怒っているのか。この物語は続編だった。そして雀は、そこへ何らかの形でかかわっていた。
それに、繰り返し表現される、「舌切り雀」のモチーフ。
「そして雀さん。あなたは、前作までの『語り手』だったのではありませんか?」
雀がわずかに、背を伸ばした。図星だったのかもしれない。
「何巻分にもわたって、あなたは物語を語ってきた。しかし、今作からは『語り手』の任を解かれ、文字通り『舌を切られ』た。あなたはそれが許せなかったのではないですか? だから物語をこんなふうにめちゃくちゃにしてしまった」
雀がゆっくり近づいてくる。その嘴が少し開くのが見えた。
これで犯人である雀が自供し、問題は一件落着となる。この小説は、「有島」の物語としては破綻しているが、それまでの流れを破壊する怪作として話題にはなるだろう。
そんなことを私は思った。
鋭い衝撃が、私を襲った。】
雀の嘴が目にもとまらぬ速さで伸び、有島の腹部を貫いた。
有島の身体がつづらの上から崩れ落ち、弾みでつづらの蓋が開いた。
雀は倒れた有島をじっと見て、首を傾げ、「ちゅん」と短く鳴いてからどこかへ飛び去って行った。有島の推理が正しかったのかどうか、それすら置き去りのままだ。
「うう」
有島がうめく。吾輩は駆けよるが、傷を一目見て手遅れだと悟った。おびただしい鮮血が流れ出ている。
有島の目の前に吾輩はかがみこんだ。苦悶に顔をゆがめながら、有島は唇を開く。
「もうこれ以上は無理のようです。この物語を終わらせてください。私は結局、この小説をまとめきれなかった。ただの失敗作です……」
がくり、と有島の首が垂れる。
物語の主人公を失ってしまった。
頭上を円盤が飛んでいく。
そこかしこで、爆発が起こり始める。
巨大ロボットが地面を揺らす。
生ける屍たちのうめき声が響く。
どこかで銃撃の音がする。
もう終わりである。ここまで無茶苦茶になった上に、主人公が不在となり、どう収拾をつけようと言うのか。雀さえどこかに行ってしまった。真相すら明らかにはされなかった。
吾輩の尾の近くを、焦げた瓦礫がかすめる。これ以上ここにいては危険だ。
――この物語を終わらせてください。
吾輩には、その責任があるだろう。迫り来る破滅の音を聞きながら、吾輩はつづらの中へと飛び込んだ。
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