「僕は君を描く」

@youareme

僕は君を描く

例えば、どうだろう。君に愛する人がいたとする。その愛する人を失ったとする。誰も悪くないのに、どうしようもなく君の愛する人の命が奪われつつあるとする。その時、君はなにを思うのだろう。

 絶望、怒り、不安、無力感。君が抱く感情は、たぶんこんなに短い言葉で表されるようなものじゃないし、表されていいものでもないだろう。でも、君が何を思おうと、物書きとしてはそういうふうに形容せざるを得ない、

 言葉が少なすぎるのだ。何一つとして全く同じ感情なんてないのに、大きく分ければ数種類、どんなに細かくわけてもせいぜい数百種類の言葉に分類されてしまう。君が何を思おうと、その気持ちを書くのには原稿用紙1枚で十分だ。

 それは正しいことなのだろうか。許されていいことなのだろうか。君はきっと、こう思う。僕の気持ちは、そんなに軽いものじゃない。言葉で書けるようなものじゃない。この絶望、怒り、不安、無力感、それがたった四百字程度のものであるわけがないだろう、と。でも、少し待ってほしい。少し待って、もう一度一行前を読んでみてほしい。確かに君の気持ちは四百字なんかじゃない。「絶望、怒り、不安、無力感」で十二文字。それが、君が形容した君の気持ちだ。

 言葉は少なすぎるし、おおざっぱすぎるし、そして、あまりに多くを表しすぎるのだ。だから、今の僕自身のことを書くのにも、たった十数字程度で事足りる。「恋人が不治の病に侵された哀れな青年」。これで十七文字。もっと簡潔に、「死にかけの恋人がいる男」なら十一文字。どうにか一桁台を避けられたことだけが救いだ。

 ここまで描いて、六百と数十字。そろそろ指先の動きも鈍ってきた。僕の気持ちがこんなに短いはずはないのに、これ以上筆が進まない。何も残してきていない僕の人生で、たぶんこれだけが、他の誰かに伝わる最後のものなのに。

 今、これを書いている僕は、哀れな青年だ。じゃあ、これを手に取って読んでいる君は誰だ? 名前を聞きたいわけじゃない。経歴を聞きたいわけでもない。君を君たらしめるものを聞きたい。僕にはそれがない。「これがあるから、僕は僕なのだ」と言えるような何かなんて、一つも積み上げてきていない。「恋人が不治の病に侵された哀れな青年」。僕は僕のことをそう書いたけれど、この十七文字は僕のことをなにひとつ表していない。だってそうだろう。この一文を読んで君の頭に思い浮かんでいるのはきっと、白い病室で点滴にでも繋がれて窓の外の景色をひがな一日ながめて過ごす色の白い女性の姿だ。僕はと言えば、その女性の手を握る顔のない青年くらいなものだろう。でも、この十七文字以上に僕を表す言葉を、僕は描き出すことができない。僕にはなにもないから、彼女に頼らないと僕の姿は見えてこない。

 ああ、そうだ。彼女が僕の人生だ。ここまで千百字と少し、今気が付いた。彼女だけが僕の人生なんだ。

 じゃあ、彼女を失ったあとの僕はどうすればいい? 彼女が僕の人生だというのなら、彼女がいなくなった瞬間に僕の人生は空っぽになってしまう。大切な人を失って胸の奥に穴が空く、そういうレベルの話じゃない。僕は彼女と同時に僕の人生を失うんだ。彼女の寿命はあと一年。それより短くなることはあっても、長くなることはまずないだろう。医者はそう言っていた。だとするなら、僕の人生もあと一年。あとたった一年で、僕は空っぽになってしまう。僕は今二十六歳だ。先週が誕生日で、病室で彼女とお祝いをした。来年、二十七歳の誕生日を迎えるころには、もう僕にはなにも残っていないんだ。

 じゃああと一年、僕はどう過ごしたらいい? 彼女と一緒に過ごす、そんな答えが聞きたいんじゃない。彼女と一緒にいない間、僕は残りの時間をどう使ったらいい? 人生の賞味期限が訪れるまでの一年で、僕はなにができる? 

 なにもできない。考えるまでもなかった。さっき自分でこう書いたじゃないか。彼女が僕の人生なんだって。たった一年で何かをできるほどのものを積み上げていたとしたら、そんなセリフは出てこない。何も積み上げていないから、彼女がいなくなったら僕は空っぽになってしまうんだ。

 …なら、今からでも積み上げよう。この一年間で、僕は君を描こう。ノンフィクションなんてつまらないから、物語にでもしてみよう。君と僕がいたってことを、みんなに思い知らせてやろう。文章の才能なんてない。面白いストーリーを組み立てられるような頭もない。ラスト三ページのどんでんがえしができるような発想力もない。でも、僕にだって言葉はつかえる。指を動かせば文字が書ける。僕は空っぽだけど、僕には君がいる。

 だから、僕は君を描こう。君が死んだあと、空っぽになった僕がまた君に会えるように。思い出なんかに残すだけじゃ、絶対、いつかは消えてなくなってしまうから。素敵な君をしっているのがこんな空っぽな僕だけなんて、そんなのあまりにも理不尽だから。僕は君の代わりに死ぬことはできないから、せめて、僕の中の君だけは死なせない。ただのエゴだけど、死にかけの恋人をフィクションの題材にするなんて最低化もしれないけど、僕には君しかいないんだ。

 ここまで二千と数十字。原稿用紙が五枚分。たったこれだけで僕の気持ちを書いてしまうなんて納得がいかないけど、無理に長くしようとしても大事なことが見えなくなるだけだ。

 これからの一年が、僕の人生だ。それを書き表すのには、六文字あればもう十分。

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