にいさまは何も心配する必要はありませんよ⑩
「……あ、あれ?」
ふと前を見ると、
そんな馬鹿な。ここまでのどこにも出入り出来るような部屋や空間はなかったはずだ。廊下の真ん中で煙のように消えたとしか思えなかった。
暗い廊下にたった一人取り残され、急に心細さと怖ろしさが襲ってきた。
誰か。誰でもいい。
誰か助けてくれ。
暗闇と静寂に圧し潰されそうになっていたそのとき。
ふいに背後に人が立つ気配があった。
「だ、誰かいるのか⁉」
心なしかさっきよりも闇が深くなったような気がする。
もう入ってきた玄関の光も見えない。
それなのに、なぜか廊下の道筋は薄ぼんやりとほのかに明るさを宿している。
僕はただオロオロとうろたえることしか出来なかった。
どうすればいい。
どうすればここから出られるんだ。
焦燥に駆られていたそのとき、
「お前、どうしてこんなところにいるんだよ」
びくっと自分の肩が震えた。
才吾の声だった。
聞き馴染みのある友人の声が僕に話しかけてきていた。
しかし、声だけだ。
声だけが、どこからか響いてくる。
「なあ、どうしてこんなところにいるんだって聞いてんだよ」
才吾の声は強く問い詰めるような口調で迫ってくる。
声は近くなっているようなのだが、やはり声だけだ。廊下の冷たい暗闇の中に、その姿は見えない。
僕は才吾の声に答えていいのかも分からずに、おどおどと辺りを見回した。
「だってさあ、お前こんなところに来たって……」
声がどんどん近くなる。
まるで耳のすぐ横で話しかけているみたいに、はっきりと聞こえる。その吐息までもが感じ取れるかのようだ。しかし、何度見返しても姿は見えない。
そして、才吾の声の気配が耳元に接近したと思った瞬間、
「俺はもう死んでいるのに」
ぞっとした。
そして、僕の頭の中でいくつもの記憶がフラッシュバックした。
そうだ。
あの夏の日。
みんなで肝試しに行ったあの日。
僕は友人を助けることが出来なかった。
昏い追憶が、頭を直接揺さぶるかのように眼球の奥で反響する。
みんな居なくなってしまった。
みんな。
そして、僕は――。
どうして忘れていたのだろう。
僕がふさぎ込んでいたのは、両親が死んだというだけが理由ではなかった。
大切な友人を失い、その後、家族も失った僕は、よりどころを見失い、自分の居場所も分からなくなって、とうとうあの土地から逃げ出したのだった。
「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ――――っ!」
何もかも思い出した。
僕はこの学校には、つい最近転校してきたばかりだ。
見知らぬ土地の見知らぬ学校で、僕は転校初日から異端視されていたのではなかったか。僕は異様な疎外感の渦中にこそあれ、誰かと打ち解けるような状況にはなかった。易々と怖い話の聞き込みなど出来るわけがなかった。
……いや違う。
それだけじゃない。
分かってる、分かってたんだ。
この町の人は誰でも世間話をするのと同じように怖い話をする。ここはそういう土地だったはずだ。あんなにも四六時中日常的に怖い話をしている連中に対して、わざわざ聞き込みも何もない。
あの異様で排他的で噂好きな空気。あんな空気の中に部外者が溶け込めるものか。だからこそ、僕はあの教室で孤立していたのだ。
それなのに、数年来の友人がクラスにいる。
冷静になってみればおかしい。
辻褄が合わない。
じゃあ、さっきまで一緒にいたあれは誰だ。
教室で交わした会話はなんだったんだ。
どこまでが現実だ。
どこからが現実だ。
僕はいまいったいどこにいるのだ。
暗い。前も後ろも暗がりが果てしないトンネルのように続いている。
――ぞぞぞ、ぞわわ、ぞわぞわわっ。
――――ぞろろろ、ぞぞ――――ぞぞろぞろろろろろっ。
――――――ぞぞぞっぞぞおぞ――ぞぞぞっぞぞぞぞ。
――――――――ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっぞぞぞぞぞぞぞ。
――――――――――ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。
ああ、何かが這いずる音がする。
近づいてくる。
僕の、そう、すぐ後ろに。
そうか。
僕は、ここで――、
そして、暗闇から声がした。
「――待っていましたよ、にいさま」
―― 虚妹怪談 第四夜 ――
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