馘物語
濱口 佳和
復仇(一)
あのとき、でございますね。
あのとき、私が何を感じたのかをお知りになりたいと、そう申されるのですね。いいえ、構いません。何でもお聞きください──そう申し上げたのは、私の方でございます。
これでも、かつては武士の端くれ。一片たりとも嘘は申しませぬ。
ただ、すでに幾年も昔のことゆえ、あのとき本当にそう思っていたのか、それとも事済んだのち、そう思い至ったのか──今となっては定かではございません。本当に、それでも宜しいのでございましょうか。
いいえ、話したくないのではございません。寧ろ、聞いて頂きたい。知って頂きたい。過ぎたものは、消えて無くなってしまいます。かたちがあろうとなかろうと、悉く流れてしまいます。残るのは水のような夢ばかり。
それでも、この手指に残る温もりをよく覚えております。この指と掌が、あのときを確かに覚えております。指の先に触れた震えとにおい。声と、私を見る
ただ、それが真実であったのか、何がまことであったのか、それは濃い霧の向こうに見る山の影のようなのです。
六郎殿、貴方様にも覚えはございませぬか。忘れたくとも繰り返し頭に浮かんでくる。声が聞こえる。物陰が蠢いて、そこに確かに何か居るような。暗闇に赤くひかり、おのれを呼ぶ声がするような。
嗚呼、ご無理はいけません。同情は要らぬものにございます。わからぬものは、わからぬときっぱりはっきり仰ってくださいまし。潔う、武士らしゅうお振る舞いください。
御一新ののち、我等士族とは名ばかりで、日銭を稼ぐことで手一杯。忠義だ、意地だのは、もはやただの見栄。生き馬の目を抜く世間に揉まれて、この古めかしい、一文の得にもならない〝尊いもの〟をわかってもらいたいなどと、つい浅はかな一心で申し上げただけでございます。
ああ、そのようなお顔をされまするな。有為変転は世の習い。しかし、しかし、まさかそれが我が身に降りかかるとは、当初の、ええ、あの仇討ちを果たしたあの時でさえ、一寸一厘も思い至りませんでした。それはまことにございます。
はい。あのとき、私が何を思ったのか、でございますね。
ならば、順を追ってお伝えしましょう。さもなくば、六郎殿が知りたいものに至りますまい。辛抱できましょうや。昔から、六郎殿は少しばかり癇性でございたゆえ。
さあ、宜しいか。長い長い話を聞いて頂かねばなりません。
宜しいか。さあ、宜しいか。
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