右へ左へと煩雑な移動都市内部を無我夢中で廊下を走り回る。追手が来ることはないが、それでも距離を稼いだ方がいいと判断し、人間離れした脚力で駆け抜ければ、今までとは違う場所にたどり着いた。

「なんだ、ここ……」

 そこは、今までの機械的なスペースではない。木々が茂り、花が咲き乱れている。必要に応じて育てているわけではない。単に、視覚的な癒しを得るためだけにあるような、そんな場所。

 だが、花や木々を見て違和感を感じた。

「……」

 試しに木に触れてみる。硬い樹皮のような触感ではあるが、知識としてあるものと違うのがわかる。すぐそばに生えていた葉にも触れたが――布のような、プラスチックのような手触りだった。

「やっぱり、造花だ」

「ぞうか?」

「作り物の、生きていない植物だよ」

 そうでなければ、つい最近手入れされたような状況を続けられるわけがない。

「ここは、徹底的に死しかないんだな……」

 まるで静謐で巨大な棺桶だ。生を排除して、死を受け入れている。

 俺たち以外命の鼓動が聞こえないのだ。


 そんな考えを無理やり追い出して、腕の中にいるニーナに声をかけた。

「ニーナ、エイトはどうだ?」

「はち、うごかない、です」

「そうか……」

 その言葉を聞いて、エイトを見ると赤い光すらなく、物言わぬ球体になっていた。時折機械音が聞こえるので、修復作業に入っているのだろう。

 エイトがいないせいか、少しだけ神経質になりながらニーナを床に降ろす。

 そのまま球体を回収しようとしたが、ニーナは抱え込んだまま。どうしたのかと聞いてみれば、彼女の金色の瞳が俺をとらえる。

「にじゅうななごう、はちもつ、にんむ」

「……そうか」

 ぐっと細い腕でエイトを抱きしめた彼女を見て、それ以上は何もいえなかった。仕方ないと頭を撫でてから「疲れたらエイトを渡してくれ」と言って、無機物でできた植物園を見る。

「いち?」

「とりあえず、エイトが起きるまでは休憩しようか」

「ん」

 現状、敵もいないようだし、開けた場所を見つけて休憩したほうがいい。

 何よりも、俺の精神的にしんどいというのがある。思っていたよりもあの球体に支えられていたのだと思いなおす。けれど、それを表に出すわけにはいかない。ニーナに勘づかれないように、歩き始めると小さな足音が後ろから聞こえてきた。

 暫く歩いていると、少しだけ開けた場所に出る。

 なだらかな人工の芝でできた丘と、ぽつんと生えている人工の樹木。鳥の囀りも聞こえない空間は、写真で切り取ったようだ。天井を見ると、先ほどの部屋にあった電灯ではない。スクリーンに映し出された空が見える。

 雲も映像によって流れていき、歪さだけが強調されていた。


 人工の芝生に座ると、ニーナも隣に座り込む。暫くしていると、彼女がまたこちらをしっかりと見てきたのだ。

「はち、は……だいじょうぶ、です」

「え……」

「なお、る……です」

 たどたどしく、大丈夫だと告げて物言わぬ球体を抱きしめる。

 そうだ。ニーナにとって、エイトが一番長く過ごした存在だ。俺が気絶している間の会話はわからないが、こうやって大事に抱きしめるくらいには大切に思っているのだろう。そして、隠していたつもりでも、彼女は俺の不安に気づいていた。

「ありがとう」

「ん」

 だから、そっと頭を撫でれば、無表情ながらも嬉しそうな態度を見せる。

「そうだよな、エイトは治るよな」

「なおる、です」

 そう呟く彼女は、未だにだんまりを決める球体を撫で続けていた。


 彼女の声に励まされ、薄く鈍っていた思考回路をどうにか動かした。

 下手に動いて戦闘になっても、エイトやニーナを守り切れるとは限らないし、それであれば安全が確保されているであろうこの場所にいるのが得策だと考え、暫くこの場所に留まる事にする。

 エイトを抱きかかえたニーナの手を引いて植物園の中を歩く。


 だが、人工的に作られたそれらは、俺にとってはやはり違和感でしかない。水のせせらぎすらもないただの人工物だけの羅列。地面に設置してある花を一つとると、やはりというか……プラスチックのような素材が手に伝わって来た。

「いち?」

「ん?」

「おかお、かなし、まま」

「あぁ」

 眉間に皺が寄っていたらしい。軽く揉みこんで大丈夫だと告げた。少し過ごしてわかったのは、彼女は人の機微に敏いということ。戦況を見るように作られたせいなのか、はたまた性質なのか理解していないが、俺の感情が伝達するかのように不安になると握る手に力が入る。

 目線を合わせるために屈みこみ、彼女の顔を見る。顔立ちは美しいが、無表情で、精巧に作られた人形のようだ。だけど、金色の瞳は揺らいでいるし、不安げに口を動かそうとしている。確かに彼女は生きている。

「ごめんな。もう大丈夫」

「ん……」

 そっと頬を撫でてそう告げるが、ニーナは相変わらずもじもじとしているばかりだ。どうしたのかと聞いてみると、たどたどしく口を開く。

「いち、かなしい……やだ」

「……あ」

 ずっと隠し通してきた真実を突き付けられたようで、反応が遅れた。

 それは蓋をして、隠して、大丈夫だとずっと言い聞かせていた、俺の負の感情そのものだったからだ。それをニーナはあっさりと言い当てた。

「……俺が悲しいのはいや?」

「ん……」


 大丈夫。

 違う。

 大丈夫だから。

 違うだろう。

 大丈夫だって言ってんだろ……。


 大丈夫な訳――ない。


 どうしてこんな場所にいるのか、何故こんな目に合わなければならないのか、俺には関係ないと叫びたい、八つ当たりしたい気持ちはたくさんあった。今だって、怖くてたまらない。

「そうか……うん。でも大丈夫だから」

 けれどそれを告げる訳にはいかない。だから、情けない事にそう告げるしかない。小さな女の子に心配されるのは、流石にかっこ悪いというものもあるしそれに――

「あぁ……うん。そう、か」

 もしかしたら、どうせ話しても無意味だと思っていたのかもしれない。ニーナにもエイトにも……。

 俺はただの一般人で、つい先日まで普通に暮らしていたはずの社会人で、けれど自分の事をほとんど思い出せない。そんなあやふやで荒唐無稽な話を話したって無意味なのだと。

 だから飲み込むしかない。飲み込んで、飲み込んで、前に進むしかない。そんな諦観がどこかにあったのだろう。

 大丈夫を繰り返す俺に、ニーナは俺の頭を撫でてきた。自分がしてもらったから覚えたのか、小さな手が髪や角を撫でまわす。


 それがなんとなく恥ずかしくて、ごまかすために手持ち無沙汰になっていた人工物で作られた黄色の花をニーナにつけた。白い彼女に、その花はよく似合っている。

「似合うな」

「にあう?」

「うん、よく似合ってる」

「ん」

 こくりと頷く彼女に笑いかけてから立ち上がった。

 再び大丈夫だと自分に言い聞かせて、ニーナに悟られないようにと思っていたところで、彼女は俺のパーカーの裾を引っ張ってくる。

「どうした?」

「……いち」

「うん」

「にじゅうななごう、いっしょ……いるです」

 はっきりと、強い瞳でもって彼女はそう告げた。

 まるで自分がそうしてもらったから、その分を返したいのだとでも言うように。

「あ……」

 そこまできて、やっと俺は彼女を見くびっていたのだと思い知る。

 ただの感情のない人形なのだと、勝手に決めつけていたのだ。ニーナは人であると、そう思って接していたのに。


「ニーナ、ありがとう」

「ん」


 いつか、自分の考えがまとまって、大丈夫だと思えたのなら、その時は二人に俺の事を伝えよう。

 だからこの言葉だけは、今伝えねばならないのだ。

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