「やべえな……」


 あまりの出来事に驚く余裕すらない。子供……女の子は感情を何処かに置き忘れてきたような目でこちらを見つめている。

 白い肌に白い長い髪と、月のような金色の瞳。場所が違えば美人だと評される程の愛らしい顔。おとぎ話から飛び出してきたような、そんな女の子。なのに、着ているものは殆ど布切れ同然の手術着だけ。

 しかし殺気だけは感じられ、少しでも下手な事をすればすぐにまた襲ってくるはずだ。こちらに戦う意志はないと両手を上げてみたが――

「…………」

 彼女は何処にその力があるのか、とんでもない瞬発力で地面を蹴って、こちらに突っ込んできた!

「くそっ!」

 本気で殺しにかかっていると判断し、とっさに横に転がって攻撃を避ける。そのまま背負っていたナップザックを邪魔だと放り投げれば、すでに女の子は次の行動に移っていた。屈んだ状態の俺の首を絞めようと、小さな手を伸ばしている。それも後ろに下がって避けるが、今度は俺の身体を倒して効率的に殺すためか、足を払ってきた。

「どわ、ちょ、待て!」

 払われて後ろに転びそうになる身体をしならせて、バク転の要領で体勢を立て直してから、再び距離をとる。

『一花、反撃を』

「無理だろ!」

 エイトの怒声が響く。勿論、防戦一方ではいつかやられるのは理解している。

 だが、今戦っている食堂で得られた情報、あれらから察するにここは彼女のテリトリーだったのかもしれない。そうであれば、彼女から見ればこちらは侵略者だ。全力で排除するに決まっている。

 対話をするのは、今の現状を見るに無理だ。選択肢はこちらがやられるか、女の子の無力化しか残っていない。


 腹を括れと、己に言い聞かせる。


 躊躇はある。警備ボットですら壊した時は罪悪感が沸いたのだ。けれど、こちらも生き延びなければならない。

「……」

 黙ったままの女の子が、床を蹴って突っ込んでくる。どこにそんな力があるのか分からないが、単調なその動きに慣れてしまえば、軸をずらして回避ができる。身体を左に捻り、飛んできた女の子の拳を避けて、そのままラリアットよろしく腕を伸ばす。リーチの長さを活かし、彼女を抱き留めてから自分も倒れこむようにして、床に押さえつけた。

「あっ!」

 自分が押さえつけた事が理解できたのだろう。じたじたと暴れ続けているが、動けないように背中を押さえつければ、やがて観念したように鈍くなる。それに大きくため息をついた。

 それに反応したのか、びくりと動く女の子をみて、俺はやっと言いたい事を言う。

「別に君を殺したりしないよ」

「…………」

「俺たちは、ここで休憩がしたかっただけだ」

「…………」

 だから少しだけここにいてもいいか? と言うと、彼女の瞳が揺らいだ気がした。それが拒絶なのか戸惑いなのかわからない。けれど、本当に嫌なら別の場所を探すまでだ。

 何も言う気配のない女の子を見て、少しだけ身体を離す。背中を押さえる手は悪いがそのままなのだが……。


「いやなら別の場所に――」

『緊急警報、緊急警報、下層部M地区の食堂にて戦闘が発生。速やかにこれを鎮圧せよ

 繰り返す――』

「はああっ!?」

『警備システムが今更作動したようですね』

「なんでじゃ!!」

 言いかけたところにやってきた、思わぬ伏兵に声を荒げた。

 部屋の中でアラートが鳴り響き、キッチンのカウンターはシャッターが降りていく。警備ボットが派遣されたのであれば、すぐにこちらに向かってくるだろう。慌てて女の子から離れ、着ていたパーカーを脱いで女の子に被せる。

「それ、耐刃らしいから被ってて」

 無いよりマシなレベルだが、被ってもらった方がいい。

 そのまま迎撃するために腰につけていたナイフを抜く。構え方など知らないので、何処かで見たアクション映画の真似である。

 僅か数十秒後、体感はもっと短い。食堂の入口に警備ボットがすっ飛んできた。数は確認できるだけで二体。先ほどと同じようなつるりとした人形たちは、俺を視認すると照準を合わせてくる。

「隠れて!」

 咄嗟に女の子にそう告げて、床を蹴って警備ボットに向かって飛び込んだ。銃弾が発射される前に動いたからか、再び奴は照準を合わせようとしてきたところで、生えていたコードを斬り、蹴り飛ばす。廊下の壁に叩きつけられて沈黙したのを確認し、もう一体の身体も顔を掴んで、見えたコードにナイフを突き刺す。そのまま床に顔面を叩きつけた。

 二体とも動かなくなったのを見て、溜息を付けば――

『一花、上です

 すみません、スキャンが遅れました』

「なっ……」

 エイトの声に反応し、天井を見る。そこには今までいなかったはずのロボットが天井からぶら下がっていた。

 ずんぐりとした半円の身体に、四つの足が付いている。そして、尻尾のようなものが生えている。四つ足のサソリといったところだ。尻尾には鋭利な刃が生えていた。

 恐らく、あれは制圧ではなく人を殺す事に長けている。エイトの反応が遅れたのであれば、ステルス機能もあるかもしれない。そして俺からの距離は充分にある事を考えると、狙いは女の子だ。実際にサソリは明確に彼女を狙っているような動きを見せている。

「逃げろ!」

 隠れていた少女に向かって声を出す。机の下にいた彼女は、サソリを視認すると、

先ほどの無表情と打って変わって怯えた様子でこちらに走ってくる。

 あとは身体が勝手に動いていた。我ながら馬鹿だと思う。あの女の子は下手をすれば俺よりも強い。けれど、あの僅かに見えた怯えた表情。それだけで充分だった。

 女の子を抱き留めて、身体を捻る。先ほどと同じように床に押し倒す形になり

「ぐっ!」

 ざくり、と何かを斬り付けるような音と共に、背中に熱が走った。心臓がやけに煩く跳ねて、耳鳴りしか聞こえない。あのサソリの尻尾で斬られたのだと気付いた時には、背中にやけに温かく不快な何かが垂れていた。

 痛い。痛いに決まっている。痛くて痛くて仕方がない。なんでこんな目にとか、どうしてここにいるんだとか、そういう悪態をつきたくなるが、それよりも目の前のサソリを殺さねばという考えが頭を支配する。

 手にしていたナイフを投げつければ、強靭なそれはサソリに刺さる。まぐれかもしれないが、当たり所が良かったらしく奴の機能は停止し天井から落下していった。

「あ……」

 もぞもぞと動くものに視線を動かせば、何故か泣きそうな表情を見せる女の子。

 あぁ……

「ぶじ、だったか」


 そこで、俺の意識は途切れた。

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