しゅうまつ異世界の歩き方

中華鍋

プロローグ-最下層-

プロローグ

 視界は、緑色に染まっていた。

 メロンソーダよりも蛍光色の強い、まるでエナジードリンクのようなそれに、驚いて声を出したが、何故か気泡に包まれてごぽりと音が鳴り響く。そこでようやくここが水中なのだと理解した。風呂でそのまま眠ってしまったのだろうか、と慌てて手を伸ばす。何故かガラスのようなものに手が触れたが、おぼれ死ぬ瀬戸際でそんなことを気にしていられない。

 ぐっと力を入れれば、ガラスにひびが入り、甲高い音を立てて崩れさる。ざぱりとエナジードリンク色の水が流れ、その勢いに乗って身体が放り出された。


「がはっ、げほっ……!」


 気づかぬうちに水を飲んだらしく、急な外気に晒されて思わずせき込む。水以外にも鼻水やら涙やらが流れているが、さもしい独身男の風呂場など、どうせ誰も見ていないのだから、収まるまで流してもいいだろう。

 そうしているうちに、混乱していた頭が徐々に落ち着いてくる。


 ――なん、だこれ……。


 視界に映るのは黒い金属製の床と、散らばるガラス片。

 そして水にぬれたコードのようなものが撒きついた褐色の手。


 手を動かしてみれば、目の前にある褐色の手は連動するように動く。頭を動かせば、壁も同じように黒い金属製で囲まれていて、その一角にひび割れて機能しなくなったであろう、巨大なモニターのようなものが置いてあった。さらに近くには、衝立すらない、まるで監視されているかのように配置されているトイレと洗面台。牢屋とか、実験施設とか、そんな考えが頭をよぎる。


「夢、にしちゃ悪趣味すぎるだろ……」


 把握したくない現実が「さっさと受け入れろ」と頭の中で鳴り響いて吐き気がする。

 だって、今頃は仕事が終わって帰宅して、風呂に入って夕飯を食べて……お気に入りの動画か何かをみて、就寝して――


 ふらつく手で、足で、どうにか立ち上がって床を歩く。冷たい金属の温度を知覚して、ぎりぎりと米神が痛んだような気がした。


 違う、と否定したかった。

 バカな、と笑い飛ばしたかった。


 けれど、洗面台に設置された鏡に映っていたのは、俺ではない俺だった。


「まじか…………」


 思わず漏れた一言。

 あまりにも現実離れした出来事に、どうやら一周回って冷静になれたらしい。

 目の前の見知らぬ自分を見る。二メートル近くありそうな身長と、鍛え抜かれた身体には、いたるところにコードが貼り付けてあった。自分が元居た場所を見れば、透明な円柱がそびえたっていて、下の方には訳の分からない機械がある。その円柱の一部が割れていていて、恐らく先ほどまであの中で眠りこけていたのが理解できた。

 もう一度鏡を見れば、日に焼けたような褐色の肌と、濡れている白い髪。そして紫色の瞳。精悍だが少し幼い顔つきから、恐らく二十代前半くらいと推測する。随分イケメンだなと心の中で悪態をついた。特徴的なのが左の額……丁度髪の生え際より下あたりから生えた一本の赤い角だ。


「まるで鬼だな」

『肯定……』

「は?」


 独り言のつもりで呟いた言葉に誰かが反応する。声のした方へ振り向いても誰もいない。


『貴方の種族名は【オニ】と呼ばれているものです』


 機械を通したような男性の声が、再び聞こえる。一体どこから話しているのだろうか。

『こちらです。お手数をおかけしますが、こちらまで歩いて来てくれますか?』

 視線を動かすばかりの俺に痺れを切らしたのか、機械の声が鳴り響く。丁寧な物言いではあるが、警戒するに越したことはない。そっと声のしたほうに少しずつ近づけば、そこはよくわからない機械が積まれたジャンク品の山。高さは俺の腰くらいか……。

 その丁度山頂辺りに白くて丸い物体が埋まっていた。直径は三十センチほど。球体にはカメラのレンズのようなものがついていて、そこから淡い光が漏れている。ちかちかと数回点滅したのを見て、直感的にこいつが俺に話しかけていたのだと理解した。


「あんたか?」

『肯定……当個体が貴方に話しかけていました』

 震える声で尋ねれば、温度のない声で、球体が俺に話しかけてくる。

 目の前の機械の正体がわからないまま、俺は口を開いた。

「あんたは、一体……それに、ここは何処だ」

『当個体名、自動追尾型支援ユニット、通称コードエイト

 現在地は移動都市タカマガハラの最下層と思われます』

 どうやらこの機械は聞いたことに対して、回答してくれるようだ。攻撃してくる危険性もないらしい。何しろ球体はカメラ部分が点滅するだけで、動きもしないのだから。

 だが、目の前の球体にも、現在地にも当然覚えがない。都市の名称くらいは知っているが、神の国と思えないほどに周辺は無機質だった。少しだけ考えてから再び口を開く。とにかく嫌な考えを捨てたかったのが一つ。それに今の俺には情報が必要だ。

「……何故俺はここに?」

『不明……貴方は当個体が認知する前からここにいました

 長い間眠りについていたので、記憶にエラーが生じている可能性もあります』

「どのくらい眠っていた……」

『不明……ですが、当個体が記録を初めてから二十年が経過しています

 端末を調べれば正確な休眠期間は把握できるかと』

「二十年もか……」

 随分と長い年月だと思い、更に質問する。

「一年は何日間だ?」

 そこから矢継ぎ早に質問を繰り返す。一年は三六五日であること、一日が二十四時間であることなど、球体と俺の持っている知識に齟齬が無いか、ひたすらすり合わせていく。

 照らし合わせて理解できたのは、俺の知っている時間の概念とほぼ同じという事。だが、一度も誰も起こしに来なかったのだろうか。

 そう思って、考えていたが口に出すのを躊躇していた事を球体にぶつける。

「もしかして、だけどさ……

 周辺で生きている人間は、俺だけか?」

『肯定……現在の感知範囲内で意思疎通可能な生命体は貴方だけです』

「……それは……今は知覚できない範囲だから、でいいんだよな?」

『肯定……ですが、先の大戦で人類やその他に準ずる生命体の大半は、生命活動を停止、もしくは死亡しています。貴方と同様の生命体を発見できる確率は、非常に低いと考えられます』

「……はっ」


 淡々と告げられた言葉に思わず笑いが漏れた。

 それが絶望なのか、諦観なのかわからない。けれど楽しいという感情ではないのは間違いない。


 どうやら、この世界はとっくに滅んだ後らしい。

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