第30話 かわいいは正義

 土曜日。

 萌音と一緒に地下鉄の出入り口前で待機すること数分。

 待ち合わせ相手は、階段を上がってきた。やや顔色が青白い。


「近藤さん、体調悪いの?」

「ひ、ひえ。おふたりとご一緒できるのが光栄しゅぎて、4時間しか眠れましぇんでした」

「ふーん、それは大変だったね」

「あらあら」


 萌音が近藤さんに微笑む。


「なら、お姉ちゃんが魔法をかけるわね。1分で1時間の睡眠にも匹敵するのよ」


 そう言うと、萌音は近藤さんの手を取って。


「うぉっ⁉︎」


 近藤さんが叫んだのも無理はない。

 だって、萌音は自分の左胸を触らせたのだから。


「お姉さんの心臓の音が魔法なのよ」

「こ、これは元気になってきました!」


 近藤さんは息を荒くする。

 百合の花の香りがどこかからした。


「なあ、周りの人が見てるから」


 僕は自分の体とリュックを使って、主に男性の視線から彼女たちを守った。

 きっちり4分後。僕たちは目的地に向かって、歩き出す。


 しばらくして到着する。

 目的地とは、僕にとっては2回目の場所だった。このまえ来たというのに、オシャレすぎる建物でアウェイ感がハンパない。


 萌音がドアを開ける。


「いらっしゃいませ」

愛羅あいらさん、こんにちは」

「萌音ちゃん、また胸が大きくなったのね」


 愛羅さんは萌音の担当美容師。3週間ほど前には、僕も切ってもらった。

 というか、萌音の胸ネタは前回もした気がする。


「弟くん、えらいぞ〜」

「えっ?」


 陽キャ力の塊の愛羅さんに褒められて、びっくりした。


「ちゃんと愛羅さまの言いつけを守ってるじゃん。髪を丁寧に扱ってくれて、愛羅さまもうれしいぞ〜」

「そりゃ、あたしのつらたんだもん。真面目に髪の手入れをしてるんだよ」

「つらたんもすっかりイケメンだし〜それで、この子が?」


 愛羅さんは僕にお世辞を言った後、近藤さんを一瞥する。

 萌音がコクリとうなずいた。


「うーん、きみぃ、顔はかわいいねぇ」

「ビクッ」


 愛羅さんに話しかけられ、近藤さんは飛び跳ねた。なお、「ビクッ」を声に出している。


「なのに、前髪がもっさりしている。胸元まで伸びた黒髪も上手くすれば、清楚系になれるんだけど、きみの場合は重そうに見えるね」


 褒めた後に、ダメ出しを始めた。


「もったいない。もったいなさすぎる。もっと顔を出そう。せっかく、かわいいんだし〜。素材の良さを活かしきれてないなぁ〜」

「わ、わたしごときの粗顔を露出させるなんて、『結月わいせつ罪』になってしまうでしゅ」


 早口で、めちゃくちゃな自己否定をした。

 近藤さん、直したい癖だと言っているが、なかなか難しいようだ。


「そんなかわいい顔して、わいせつ罪とかウケるんですけど〜」

「はわぁ」

「きみぃ、反応が面白いねえ」


 愛羅さん、近藤さんで遊んでいるように見える。

 と思いきや。


「結月ちゃん、かわいいのにめっちゃ自己肯定感が低いじゃん。それで、愛羅さまを頼ってきたのかな?」


 僕と萌音の目的を見抜いていた。たんに、カウンセリングサービス付きで予約をしただけなのに。


「ときどき、自信がない子が一念発起して、お店にやってくるの。必死に頭を使って、似合うヘアスタイルを提案して。がんばって、施術をするんだよね。お客さまは平等だけど、個人的にはめっちゃ応援したくなるというか〜」


 愛羅さんはただのパリピのようでいて、仕事に真摯だった。さすが、萌音が認めている人だ。


「お店を出ていくとき、みんなイキイキしていて、女としての自分に自信をつけて、帰っていくの〜」


 近藤さんは真剣な目を愛羅さんに向けている。


「女子にとって、美しくなることは憧れであり、自信の源でもあるんだよね」


 プロらしい良い言葉を言った後。


「今のルッキズムとは関係ないからね。炎上させないでよ」


 ペコリと舌を出す。

 近藤さんが髪を切っている間、僕は本を読んでいたのだが。


「貫之くん、お姉ちゃんの膝が恋しくない?」


 膝枕をしたくてたまらないようだ。


「萌音、人前なんだし」

「お姉ちゃんなら問題ないわ。弟を甘やかすのは、仕事だもん」


 萌音はおおらかなようでいて、自分の欲望に忠実だ。

 間違っても近藤さんに聞かれないよう、声を落として、言う。


「過度なスキンシップは近藤さんに誤解されるぞ」

「……うっ、そうだったわ。結月さん、遠慮しちゃうね」


 萌音は悲しそうな声を出す。

 仕方ない。家に帰ったら、好きにさせよう。


 それから、しばらくして。


「ほら、愛羅さまの見立てどおりだったよ〜」

「こっ、これが、わたし?」


 愛羅さんと近藤さんの声がして。

 近藤さんが待合スペースに戻ってきた。


「結月さん、かわいい!」


 萌音は立ち上がると、その場でぴょんぴょん飛び跳ねる。

 バインバイン。大きな果実が縦に揺れて、激しく自己主張した。


(まあ、萌音の気持ちもわかるんだが)


 僕も近藤さんの変化には目を見張っていた。

 まず、もっさりしていた髪はスッキリしている。後ろ髪は肩口まで切られている。フワフワしていて、軽そうな感じだ。


「近藤さん、よく似合っているね」

「あうぅっ」


 せいいっぱい褒めたつもりだったのに、女子は難しい。


「近藤さんは、どう思った?」

「……しゅごいでしゅ。しゅごしゅぎ」


「すごすぎ」と言いたいのだろう。


「わたし、別人になったみたいです」


 顔色が悪いどころか、アイドルばりの輝きを放っている。


「子供の頃、アイドルアニメの衣装を買ってもらったんです。わたし、アイドルの衣装を着ているときだけは、嫌な自分を忘れられて、楽しかったんです」

「うんうん」

「あらあら」


 僕と萌音は相づちを打つ。


「いま、当時の気持ちを思い出して……」


 近藤さんは胸に手を添えて、遠くを見るような目で。


「少しだけ自分が好きになりました」


 浮かべた微笑は、本物のアイドルに負けていなかった。


「いやぁ、愛羅さまのおかげだね。さすが、愛羅さま、天才ってか〜」


 良い雰囲気を台無しにする大人がいる。


「さすが、愛羅さまですね。近藤さんを連れてきて、よかったです」


 僕が愛羅さんに乗っかると。


「もっと褒めてもいいんだからね〜」


 僕の方に頭を差し出してくる。

 すると。


「よしよし、良い子でしゅね」


 萌音が頭を撫でた。

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