第25話

* 田鹿浦邸


 25日土曜日、田鹿浦宝蔵は午前10時に家を出て事務所に向かった。車が車道へ出ると、すぐ近くのマンホールで工事をしていた。片側一車線の通りが片側交互通行になっている。交通誘導員に停止を求められ、しばし待ってから車は走り出した。誘導員は若い女性のようだった。時代も変わったもんだと思う。

事務所までは20分くらいだ。



 子供たちが姿を消してからもうじき2ヶ月になろうとしている。外出を極端に怖がる議員の妻の朝子夫人は、心配でろくな食事をとっていない。秘書の大塚家人(おおつか・いえひと)と井田恵子(いだ・けいこ)が常時そばにいて世話をしている。

 今、夫人は食べない、寝ないで体力を相当消耗している。それで医師の指示で、薬を飲んで無理にでも寝てもらっている。

 二人は冷蔵庫から適当に食べ物を出して食べている。毎日12時前に家政婦がきて、買い物から掃除や洗濯、食事の支度までをしてくれる。気を利かせて二人分の食事も用意してくれるのでありがたい。60代の主婦のようだ。

 玄関前の工事は二日前に案内文が入っていて、今日の夕方5時までとなっていた。多少、機械音が五月蝿いかもしれないと予め断りの連絡を寄越していた。

 

 午後4時頃、議員秘書の帰山(かえりやま)から議員の帰りが午後10時を過ぎると言ってきた。

自分らはそれまでは起きていなければならない。そこで夜番と交代になる。

 5時に工事が終わり、自分らの夕食も済ませて、戸締まりを確認したら、あとは議員の帰りまで、夫人から呼ばれない限りする事は何もない。テレビを見ていた。


 午後8時に夫人が部屋から出てきて、何か食べたいと言う。冷蔵庫から家政婦の作った煮魚と味噌汁を温めて、ご飯を少しだけ茶碗にもって食卓に並べた。夫人はご飯が多いと言って、少し釜に戻す。

三人でテレビを見ながら、世間話をしていた。


 突然、ドーンと物凄い爆発音が床下から聞こえ、同時にリビングの床が天井まで吹き飛ばされた。爆弾だと思った。リビングの窓ガラスが粉々に飛び散り、ソフアは窓から外へ飛んでいった。きゃーと夫人が悲鳴をあげ倒れる。三人でダイニングにいて良かったと思った、さらにリビングの真ん中に空いた大きな穴から、水道管が破裂したのか水が噴水のように噴き上げ天井を濡らしている。それが隣のダイニングにまで降り注ぎ、夫人も自分らもずぶ濡れになった。井田が夫人の全身を点検し、怪我をしていないことを確認した上で救急車を呼んだ。リビングにいたら吹き飛ばされていた。

 大塚は警察と、水道局に電話をいれた。それから議員事務所に一報を入れた。水の勢いはなかなか治らなかった。すでに一階は水浸し、廊下をザーザーと流れている。居場所がなくなった。大塚は夫人を抱き上げて2階に避難させ、井田を付けた。井田が一度降りてきて、タオルと夫人の衣類を持って上がっていった。

幸い火は出なかった。

 夫人を狙った犯行なのだろうか?時間的には議員が帰っていたかもしれない。いよいよ、直接狙ってきたかと大塚は震えた。


 最初に救急車のサイレンが聞こえてきたので、玄関ドアを開放して待つ。

まだ噴水は治まっていない。

救急隊員を2階に案内して夫人の様子を見てもらう。

「自発呼吸しているが、脈が乱れている。それでも外傷は無いようですね」そう言って隊員は夫人を担架に乗せ階段を降りた。

 ずぶ濡れのままタオルを首に巻いた井田が付き添って救急車に乗り込む。玄関を出るところで手に持っていたタオルを一枚大塚に投げてよこして、にやりと口の端を上げた。夫人のバッグだけを取り敢えず持って出たようだ。

 救急車がでるタイミングで警察と水道局のサイレンが聞こえてきた。大塚は歩道に立って迎える。

 近づくパトカーに手を上げて位置を教える。後ろに水道局の車がついてきている。

 警官らを家の中に案内する。水道局の作業員はリビングの床の大きな穴を覗き込んで

「ガス屋は呼んだ?」と訊く。

「呼んでない」と答えた。

作業員は黙ってどこかに電話を入れてから「念のためガス屋を呼びましたから」と告げた。

 噴水は続いている。水は一階の夫人の寝室や議員の書斎と寝室、キッチン、トイレ、バスを流れ、余った水が玄関から外へ流れ出している。

 大塚は呆然といているだけだった。

警官に「水の後始末、応援よんだ方が良いですよ」そう言われてから、自分のすべき事に気が付いた。

「事務所から議員の自宅に応援に来てくれ!一階が洪水だ。一人じゃどうしようもない。手の空いてる人間全員だ。至急な、頼む」

大塚はそう言ってから、モップや雑巾やバケツを探して、水を取り除く作業に入る準備だけをして、2階に上げれる物を運んだ。

まだ噴水は止まらない。


 30分程して続々と応援が来た。そこで警官が話しかけてきた。

「ちょっと、お話し良いですか?」

「おい、ちょっと頼むな、事情聴取だ」

警官は大塚に二階へ上がるよう促して、そして廊下で質問を始めた。

「では、先ず発生の状況をお願いします」

「えっと・・・・」

それから1時間ばかり2階の廊下で爆発した時の状況などを説明した。

 階下から警官を呼ぶ声がした。どうやら鑑識が爆発の現場検証を始めるようだ。

「大塚さん、一緒に一階へお願いします」

そう言われて降りる。

まだ噴水は続いている。

爆発から2時間近い。

 水が止まらないと鑑識も穴の中へ入っていけないみたいだ。それほどの勢いで噴き出している。


 それから30分ほどしてようやく噴水は治まった。家の中の片付けが始まる。鑑識も三人穴の中に入る。

「今日、水道工事有りましたか?」と訊かれて思い出した。

「はい、朝から夕方5時までマンホールでやってました」

「それだ!」と叫んで、鑑識と水道工事業者が外へ飛び出してゆく。


 程なく議員が帰ってきた。もう11時だ。靴のままリビングまで入って「酷いな、あれは無事か?」と議員が夫人を心配する言葉を吐いた。珍しいことだ。

「はい、井田が付き添ってます。外傷はありませんでした。驚いたせいで、脈が乱れたので救急搬送して頂きました」大塚がそう説明すると「そうか、世話になった」議員が珍しく殊勝なことを言う。

「皆んな、申し訳ない。今日は遅いからもう良い。悪いが明日、用事が無かったら後片づけにきてくれるかな?俺も今日は病院へ寄って、ホテルに泊まることにする」普段の議員には考えられない気遣いを我々に向けてくれた。

「はい、わかりました。そしたら皆んな、明日9時に集合しよう。バケツとか雑巾とか持ってるやついたら持ってきてくれ」大塚はそう指示して帰す。そして議員に「議員、貴重品など家に有りますか?」と声を掛けた。

「お〜そうだな。忘れとった」

そう言って大きなバッグがパンパンになる程の何物かを入れて、病院へ向かって出て行った。

交代要員の滋賀(しが)が「大塚さんもう良いですよ。帰って着替えてください。自分が朝まで残りますから」と言ってくれたが

「もう一人は?」と訊くと「時屋(ときや)ですが、この状態では一人で良いかと」そう答える。

「いや、二人で残れ、一人はきついし、警察や水道局がいつ帰るか、何言われるかわかんないからさ。無理すんな」そう言って滋賀の肩を叩く。

「はい、じゃ、そうします」

そう言ってくれるのを待ってましたと言わんばかりに、携帯をいじる。

「じゃ警官に許可もらえたら帰るわ。必要ならいつでも電話鳴らしてくれ」大塚はそう言って帰る準備を始めた。


 タクシーが大塚の家に着いたのは午前3時だった。


 朝9時に滋賀から電話が入った。

「どした?」

「起こしてすみません。報告です。」

「何のだ?」

「爆発のです。マンホールから下水道管に爆弾を約20メートル押し込んだようです。それがリビングの真下だったようです。そして、上水道管を一度切って高圧ポンプを挟んで繋いだようです。それで異常に水道水が噴水のように噴き出したと言う事らしいです。そう説明がありました。ただ、工事はたまたまうまくいったようで、作業員は一見で素人のやったことだとわかったみたいです。爆弾は時間設定があったようだと鑑識さんが言ってました」

「あっ、そう言えば病院の井田はどうした?」大塚は完璧に忘れていた。

「ははは、やっぱり忘れてましたね。彼女怒ってましたよ。忘れてるって。でも、大丈夫です。夜中0時頃に交代で金保智子(かなやす・ともこ)が行ってます。今日あったら、ひと言謝った方が良いかもですよ。ふふ」

「いやあ、参ったなあ。で、皆んなは?」

「はい、もう掃除してて大分綺麗になりました」

「早いな」

「日頃の先輩の指導のお陰です」

「はは、分かったよ。差し入れ持ってこれから行くって」

「へーどうして分かりました?」

「ふふ、日頃の後輩の指導のお陰ですってな」

「ははは」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る