私の4回の結婚

 長い人生の中私は4回の結婚と離婚を経験しました。このように書きますと多くの方々特に女性の皆様からは非難を受けると思います。常識人から見ますと大変に愚かな事でしょう。大変に無責任に聞こえますが夢中で生きているうちに自然とそうなってしまったというのが正直なところです。しかしこの事実を書きませんと綺麗事だけを書いたようになりますので恥を忍んで書かせていただきます。


 最初の結婚相手は一つ年上の姉さん女房でした。最初にハワイにわたる直前に日本で結婚し、私がどうしてもアメリカを離れたくない、という勝手な理由でたった半年で別れてしまいました。責任は100 %私に有ります。別れてから何年か後に彼女に会いに日本へ行きましたが、もう以前の住まいには彼女は居りませんでした。一度だけでもお会いして手遅れな言い訳と心からお詫びをするつもりでしたが、市役所で移転先を聞いてもすでに別れた夫は戸籍上他人ですし個人情報なので教えて頂けず再び彼女を探し当てることは出来ませんでした。


 2回めの結婚はサンフランシスコで私にビザを取ってくださった日本人とイタリア人のハーフの人です。3 年間の結婚生活の上にお互いの道を歩む事になりました。子供はおりません。憎み合いや、よくアメリカで聞く離婚上の醜い争いは全くありません。私達が別れて一年後彼女から電話を頂きました。この時二人は既に本当の兄妹のような関係になっていました。「ね〜私結婚しようと思ってる人がいるんだけどどうしても自分で最後の決断が出来ないの。だからゲーリー彼と一度会ってみてくれない?会ってみてもしも貴方がいい人だと思うなら、私その人と結婚しようと決心がつくと思うの。」嘘のような話ですが本当です。「なんで僕が?」と聞きますと「私は貴方の眼を信じているの、だからお願い!」私は彼女の元旦那ですから少し妙な気持ちですが彼女のことを本当の妹のように思っていたことは確かです。」「分かった。一度うちに彼を連れておいで。思ったままを言うから、もしも結果が悪くても文句はなしだよ。」或る日彼女は本当に彼を連れて来ました。彼は小柄なアメリカ生まれの中国人でしたが、とても礼儀正しく優しそうな人でした。「いい人じゃないか。俺はいいと思うよ。」というと「これで決心がついたわ。彼と結婚するから結婚式には必ず来てよ。」2 ヶ月後招待状が届きましたがいくらなんでも結婚式に参加するのは遠慮させて頂きました。

 以前彼女と別れるときに彼女のステップファーザーが、「お前はワシの娘と別れてもこれからもワシの息子だ。困ったことがあったらいつでも来い。忘れるな!」それが以前この本でご紹介した私のハワイの道しるべ、ジャック田坂さんです。もう一つ、私とジェーンが別れる時に彼女をつかまえて「お前はどんな事があってもゲーリーがアメリカに居られるようにしてやるんだぞ。イミグレーションが来たらお前たちは愛情で結ばれたと証明してやらんといかんぞ。それがお前の責任だ!」と言って下さいました。現在彼女はお母様の出身地、日本の大阪で彼と仲良く暮らしています。結婚と離婚の責任は感じていましたが彼女と彼の再婚のお手伝いが出来ましたので、少しは罪滅ぼしが出来たのかな?と思っています。


 3人目のワイフは私の事件の時に自ら法廷に出向き私をかばい証言をしてくださったキャーレンです。彼女の強い責任感と勇気そして深い思いやりは今でも忘れてはおりません。彼女と私の間には3人の子供がいますが、全員男の子です。4人目のワイフとの間にも2人の男の子がいますのでアメリカで私の残した子供は5人になります。不思議ですが私の家族には男の子しかできません。考えますと私も男3人兄弟の次男で私の弟の子供もまた男の子です。彼女は以前ハワイ桜まつりの女王コンテストに参加した程でしたから自慢でなくとても綺麗な人です。彼女との出会いは私の取引先の会社でした。ひと目見たとき「なんて綺麗な人だろう」と目を奪われたのを思い出します。何度かお会いした後「今度お食事でも如何ですか?」と尋ねますと「私彼氏がいますから夕食は行けませんが、ランチならご一緒します。」最初に出かけたところは今でもアラモアナの近くで営業を続けていますパゴダテラスです。2度めか3度めのランチの時だったと思います。「私彼と別れたので今度夕食にも行けます。」その時から2人は本格的にお付き合いをするようになりました。暫くしますと、「私子供が出来たみたい」と彼女が言います。当初私が彼女から聞かされていたのでは彼女は子どもの頃卵巣の半分以上を摘出する手術を受けていましたので医者からもまず子どもは出来ないでしょうと言われていたそうです。「私はこれ迄子供を授かることはないと思ってたので、きっとこれは神からのギフトだと思うの。出来るならこの子どもをどうしても生みたい。」既に2度の離婚を経験していましたのでハードルも高いのと同時に、自分が子供を持つなんて正直考えてもいませんでした。キャーレンは私が迷っている事を察知したのでしょう。「あなたに迷惑をかけたくないし結婚出来なくてもいいの。私が自分で育てるし、もし貴方の迷惑になるならサンフランシスコの伯母の所で育てるわ。どうしてもこの子供を産みたいから分かって欲しいの。」そう言われると男としては辛いところです。悩み考えた結果私はある勝手な結論に達しました。私がもう少し歳をとり落ち着いて結婚生活を望むなら良かったですが、その時はまだ夢の途中、まだしばらく自由でいたいと思っていました。「どうだろう、自分のライフスタイルは勝手で自由気ままですし、まだやりたいことも沢山あります。普通世間で言う良い夫になるのは難しいけど、でももしかあなたがそんな私を理解してくれるのであれば、結婚して法的に子供を認知します。経済的にも責任は取ります。もしそれで良ければ結婚しましょう。」いい加減な私が自分をよく見せるために綺麗事を書いているようですが、そうではありません。嘘は付きません。「わかった、それでもいいわ。それなら私も子供を育てていけるし、私も賛成するわ。」そんな勝手気ままな結婚生活が一年を過ぎたとき、「ねえ、私また子供ができたみたい。」「えっ?子供は出来ないのではないの?」「私にも良くわからないけど出来たのよ。この子も神の恵みだと思うから絶対に産みたい。」此処まで来ると一人も二人も大した違いはないと思い、「よし、私も出来る限りの事はするから産んだらいい。」旦那とすれば当然の事ですが、私にはまだ親としての認識と責任感が薄かった。時が経って行くと私の思っていた通りやはり彼女はアメリカ人でした。最初の約束はさておいて女性は子供が出来るとその責任感から1周りも2周りも強く大きくなって行きます。会話も薄れ家の中の空気が冷え込んで行くのが分ります。

 3年目に入った時、「不思議だけどまた子供ができたの」子供が出来るのはその行為がなければ出来ない訳ですからそれはよく理解しています。「子供が出来ないと言うのに年子で三人とは私は騙されたのか?」と醜く卑しいことを考えてしまいます。一人と三人の子育ては経済的にも大きく違ってきます。彼女はもともとメイクアップアーティストの仕事をしていましたが、収入を増やすために日本の会社からランコム、イブサンローランと転職をして行きます。アメリカの会社の方が子供のいる場合は待遇もいいのです。思ってもいない方向に進む私達は互いの事を考える前に自分のことで頭が一杯になって行きます。今になって思えば2人は互いのプレッシャーから苦しい時間を共用したのでしょう。冷めきった家に帰り冷蔵庫を開け何か食べるものを探していると「そこにあるのは子供の物だから貴方が食べる物は無いわよ。」いつ帰るか分からない夫にご飯を作る余裕もないのだと思う。「なあ、こんな生活をこれからも続けるのか?どうするんだ。別れるか?」「別れたほうがいいわ。」

 彼女とも今は姉弟づきあいをしていますが先日久しぶりに会った時に「お前は冷たい」と言うと「あんたが家に帰って来ないからでしょう!」逆に反論して来ました。手遅れで有ります。子供を一人でも育てると言ったあの純粋だった彼女は一体どこに行ったのでしょう?有り難い事に今も家族づきあいが出来るのはやはり3人の子供のおかげだと思います。日本では子供の親権問題を含め離婚後には合わせないとか近寄るなということをよく耳にしますが、さすがアメリカは離婚大国、双方の権利は法律だけでなく考え方にも守られていますので双方がフェアーに接する機会が普通に守られています。離婚についても、ベストを尽くしてだめで有れば互いの幸せのためにそれぞれの道に進む方が最良であると考えます。ですから我々には憎しみも争いもありません。この点ではアメリカの考えは素晴らしいと思います。今でも彼女の母は私を息子のようにかわいがってくれます。バケージョンには家族が揃っていい時間を過ごしています。これも不思議な事ですがキャーレンもまた私に彼氏をあわせてから再婚に踏み切りました。私は皆の父親みたいな気持ちです。しかし彼女の再婚は残念ながら失敗に終わりました。原因は彼の再婚相手は彼女を一人の女性として愛したのですが、彼女にとっては子供優先ですから母親と女性の愛情に誤差が生じ、離婚となりました。最近は日本人も変わりましたが平均的に辛抱という意味にも誤解が生じているようです。トランプさんを見れば分かるようにアメリカ人は自分ファーストです。日本人は理性の人、アメリカ人は利己的な理想を貫く人たちです。これは善悪ではなく全てはその国の歴史文化思想の違いからくるものですから双方がいい結論を探す事はとても難しいかもしれません。子供が出来た事も、彼女はクリスチャンですし人を騙すような人間では有りません。彼女の言う通り神からのギフトかもしれません。それに別れた後もああしてコートに来てくださり私を助けて下さった事は紛れもない彼女の真実です。過ぎた事に後悔は無いですが感謝の気持だけは決して忘れてはいません。


 最後のワイフは私を最悪の状態から救って下さった美香さんです。優秀な人です。大学を主席で卒業し、教職員の資格を取りましたが最終的にある放送会社に就職しました。神を学び人を敬い、誰にでも手を差し述べる強い人です。また、もし道でお金を拾えば困っている人に寄付するかホームレスなどに施し自分で作り上げたもの以外は自分の得にはしないという正直で真っ直ぐな信念の持ち主です。それでは何故これだけ素晴らしい人と離婚したかといいますと、その彼女の綺麗で純粋な信念が私にはとても重く感じるのであります。お前は何と贅沢だと皆様に叱られると思います。しかしながら私のような凡人には到底抱えきれない大きすぎる人なのです。そして私が長い間沢山の苦労を掛けた彼女をここらで自由に楽にして上げたいと思う気持ちも有ります。もう一つはまるで学校の教職員と生活するような、自分も絶えず彼女に気を使っていたと思います。長い間働きずくめで生きて来た自分にも人生の終盤に小さなご褒美をあげようと思ったのです。離婚の時、家、店、全てを売り折半にしようと思っていましたら「あなたはどこに行っても暮らしていけるけど、私にはこの店と住む所がないとアメリカでは暮らして行けないない」と言うので、家と店は彼女に捧げ、私が死ぬまでささやかに生きれるものを分け合いこうして第2の故郷ハワイに戻ったのです。皆様が聞くと何てやつだと思われるでしょうが、決してそうでは有りません。勝手気ままに生きてきた自分ですが人として恥じるような事はしていません。


 今日こうしてゆったりとした日々を送る事が出来たのは、全て美香さんのおかげと思います。今後も子供の事やお店の相談も家族のように助け合い私がこの世にいる限り協力を惜しまず前向きにやって行くつもりでいます。私はまた美香さんから多くを教えられ助けられ今日まで生き延びることが出来ました。いつの日か本当の意味で彼女が良いパートナーに巡り合い幸せに暮らして行く事を心から願っています。人は皆私を愚かな離婚貧乏と呼んでいます。私自身のアメリカンドリームも達成出来ず、多くの失敗と挫折を味わい多くの皆様に御迷惑おかけしました。私はこんなふうに考えます。自分は億万長者になる夢は実現出来ませんでした。負け惜しみですけど長い時間を掛けて一度地獄も覗いて来ました。天国では入り口で門番に追い返され、入る事は出来ませんでしたがまあこれでいいのではないかと考える事にしました。

 ところで「結婚とは何ですか?」と聞かれますと、勿論ハピネスです。では離婚とは? それは永遠に続くフリーダムと思います。自分でもつくづく思います。愚かで馬鹿な戦後一世です。

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