アメリカ・ハワイよもやま話

 このお話は腹の立つような辛い悲しいお話です。日本から留学に来ていた学生さんが同じ大学でアメリカ人の女性と知り合いました。彼女は小さい頃から日本のアニメファンで日本文化に深い興味を抱いていました。二人はすぐに仲良くなり恋人同士の関係になって行ったのですが半年ほどが過ぎた頃、イケメンの白人青年が同じ学校に転校して来ました。すると彼女が彼に興味を持ち始めこの二人もまた恋人関係にと発展していったのです。

 ある日、日本の学生が彼女のアパートに泊まり朝を迎えた時でした。「トントン」誰かがドアーをノックしています。彼女が覗くとそこにはあのイケメン転校生が立っていました。彼が「グットモーニング」と挨拶をすると、彼女は何を思ったのか「レイプ!」と叫んで部屋の外に飛び出しました。きっととっさの事で日本人の彼との関係を隠そうとしたのだと思いますが、転校生はすぐに911警察に 電話をして彼女を守ろうとしたのです。やがて警察官が来ると拳銃を片手に「ユーアンダーアレスト!」と叫び日本の学生に手錠を掛けました。彼は必死に自分は無実で有ると訴えたのですが、不運な事に無実を証明出来るものが何も有りません。反対に彼女には転校生のウイットネスが居ます。裁判の結果日本人の学生は7年の実刑を受けたのです。このように法律とは闇に隠れた事実も同時に裁いてしまいます。本当の事実は単純なものですが一人の証人の間違った証言が真実を捻じ曲げた悲しい事件でした。ただアメリカ人の転校生も決して嘘をついた訳ではなく、その時に見たままを証言しただけです。本当は彼女こそが真実を言うべきなのですが、彼女自身も偽証罪に問われるのを恐れ固く口をつむんでいるのです。たとえ事実と真実を訴えても相手には証人がいますので私のケースのように取り上げて貰える事はないでしょう。そして彼は5年後模範囚として早期出所しますがこの貴重な5年の日々を無駄にしてしまった事は彼の一生の暗い思い出としていつまでも記憶に残ることでしょう。


 長い間海外に居りますと日本ではめったにお会い出来ないような方とお仕事をさせて頂く機会があります。渋沢均さん、学校の教科書にも有ります渋沢栄一さんのお孫さんです。 ある時仕事関係の方から御紹介を受け、均さんの夢を実現する為そのプロジェクトをお手伝いさせて頂きました。『江戸歌舞伎タウンインハワイ』4エーカーの敷地を川で十字に区切り、区切られた4つの場所を橋で繋げテーマパークを作るというお話でした。1つ目の敷地には神社とお寺が並ぶ歴史の建物、2つ目には歌舞伎座のような劇場と日本芸能の街、3番めが町人長屋の並ぶ江戸の街、4番めは日本の食文化を紹介する食べ歩きとお土産の商店街。入場者には紙の着物を配り、このハワイで日本文化と歴史を紹介するのが目的でした。園内では突然ちゃんばらが始まったり忍者が飛び交うアクションも考えていました。年に一度のお祭や灯篭流し、籠人足レース、その構想と夢は限りなく広がって行きました。その時に大変お世話になり色々とお手伝い下さったのが当時副知事でだったワイヘイさんでした。私達は毎日島中を回り候補地を探し回りましたが、交通の便も考慮して最終的にベイビュウの保養地に目をつけました。誠に残念なことに周辺にお住まいの人達からこの辺りを観光施設にはしたくないと反対を受けましてこの計画は破談となりました。 あの時もしこれが現実に出来ていれば、ポリネシア文化センターのようにハワイの重要な観光施設になっていたと思います。大変残念な事でしたが私には州を動かすだけの力はありませんでした。以前パロロ本願寺で寿司講習会を開催した事が有りましたが、ワイヘイさんと日系人の奥様リン・ワイヘイさんが御一緒に参加されお寿司づくりを楽しまれていたのが懐かしく思い出されます。夢の計画は実行には移せませんでしたが親身になってお手伝い頂きました。その説は大変にお世話になりました。後にこの計画は皆様よくご存知の日光に完成されましたが今思いますと誠に残念で有ります。


 パット・モリタさんを覚えていらっしゃいますか?ハワイのアクションムービー『ハワイ ファイブ オー』のレギュラーを努め、後にあの名作『空手キッド』の宮城先生を演じた俳優さんです。私が若い頃アラモアナの先に在ったサージョーンというクラブでよくご一緒させて頂きました。偶然というものは有るものです。彼の以前の奥様と『空手キッド』で共演したタムリン・トミタさんが私どものレストランのお客様でよくお越し頂きます。パットさんはとても気さくで私と一緒で子供がそのまま大人になったような愉快な人です。

 或る日、私が一人でLAのダウンタウンを歩いていますと二人組の黒人が「ドゥユーハブサムチェンジ?」と聞いて来ました。私が「現金の持ち合わせはない」というと「ATMで下ろせばいい」というのです。私が「NO」と応えると、小さな日本人を威嚇するような態度です。私がその場を離れようとするとしつこくついてきます。私は落ち着いて「私は日本の空手協会からアメリカに武道を教えにやって来た黒帯4段だが何か用事ですか?」といいますと、私の顔を覗き込んで「オーユールックライクミヤギ」と云います。どう考えても似てないと思いますが私達が白人の顔を見ても覚えられないのと同じでしょう。「そうだ、あのミヤギと映画の空手シーンは全て私が教えたのです。と言うと「ユーオーケイメーン」と言ってどこかに消えて行きました。

 勿論これは全て私が身の危険を感じてとっさに言った全て嘘です。パットさんおかげさまで助かりました。きっと天にいる貴方が助けて下さったのと思います。私はまるでミヤギになった気持ちで「ざまーみろ、俺の口から出る嘘は正真正銘の黒帯4段なのだ!」と満足した出来事でした。


 私がロスにいた時によく店に来られて居た女性でした。石田千鶴と言う大阪の方で、いつも現地のアシスタント礼子嬢とお見えになって居ました。彼女はアメリカに大きなビジネスをする為に来られたそうです。是非協力して頂きたいと頼まれ私もよくミーティングに参加させて頂きました。お相手は金融関係の方々、銀行の頭取クラスの人達と一流のメンバーでした。何度かお会いするうちに私達も彼女が大変な資産家で有ると信じきって居ました。「ゲーリーさん、銀行から送金をしたけどお金がスムーズに届かないので大阪にいる娘がここに現金為替で直ぐに持ってくる様にしたけど、支払いの約束が有るので 3 日でいいから 6 万ドルを貸して欲しい。銀行から届くか娘が持って来るかどちらが先についた方で直ぐに返すから。」と言います。私はそんなお金は持っておりませんので、早速ある方に相談しました。「3 日で利子は10%、いい話です。」「3 日ならいいな」その方が用立てました。3日が過ぎ、1週間経ってもお金は返りません。彼女の家で待ち伏せし、やっと彼女を捕まえると「御免なさい。銀行もまだ着いてないし、娘もまだ来ない。取り敢えずこのパスポートを預けますからあと 1 週間だけ待って下さい。」と言います。1 週間後に彼女のマンションに行くともぬけの殻でした。後の祭りでした。彼女はベテランの詐欺師でした。後でわかったのですが. パスポートは領事館で紛失届を出し新しいものを申請して日本に帰国していました。彼女は今日迄未だに行方不明です。もうとっくに時効になって居ますが、海外の日本人が現地の人に騙されたのではなく、現地に長い日本人が日本から来た人に騙されてしまった、誠に稀でお恥ずかしい出来事でした。こんな人もいるんですね〜。この女性の口八丁手八丁にはまんまと騙されてしまいました。3日で10%?旅の詐欺は掻き捨て。せめて契約書を交わしておけば良かったのですが信用してしまい契約書も有りません。親しき中にも契約書、うまい話には気をつけましょう!はい私で御座います。


 日本人同士の会話です。

「奥様はハワイにすみ始めて何年?」「息子が大学を卒業してからだから3年になるかしら」「アラあなたは?」「私は6年よ」「そうなの貴美子さんは?」「12 年になるかしら」「長いんですね」「まあね」このように私の方が長いわよ、これが自慢ではないでしょうが、長い方が短い人よりエキスパートのように思っているようです。丁度あの刑務所のように少しでも長い方が位が上という事なのでしょうか?

 もう一つは「あのお店よく行くの」で有ります。一人がこの間どこどこのイタリアンに行って来たと言うと「あ〜私も行ったわ、でも彼処よりこっちのお店の方がもっと美味しいわ。少し高いけどね」「でもイタリアンならやっぱり此処よ」たわいもない会話ですがこれはどこでも行った事がある婦人会の人の会話です。仕事でもそうですが、こうして俺が私がと一番にしゃしゃり出てくる人達を『俺が村・私が村の出身』と呼んでいます。今は駐在員も一時より減りましたが、昔多い時は同じ会社でも部長クラスと平社員の間では結構気を使うことが多かったようです。そして部長と平の間にいる中間層の人も、大抵は部長の真似をしてばかりで、『俺が村・私が村の出身』と思っています。面白いですね。自由に世界へと飛び立って外国に来た人達の間でも、どっちが古いかどっちが沢山のお店に行った事が有るのかで位の上下が有るのでしょうか。良く考えればこの人達の出身地はきっとどちらも村なのでしょう。


 モロカイ島はハワイ列島の1つでカウナカカイを中心に 7400 人余りの人が暮らす火山島です。標高 1512m のカマコウ山が有りますが大きな街は有りませんので本当のハワイのオハナ(家族)を中心とする生活スタイルが今も残っています。フラの発祥地と言われるこの島は唯一のタロイモの生産地でも有りました。1866〜1969年迄ハンセン病患者が強制隔離されていた所でも有ります。

 いつでしたかこの島に一晩だけのプライベートディスコティックを設置するお仕事でお伺いしました。日本から来られた或る化粧品会社のハワイ旅行でしたがメンバーは 80 名、社長様以外すべて女性でした。連れてきた社長の計いでハワイ滞在中に事故が無いようにとディスコもプライベートにしたのです。島にはホテルも一つだけ、それ以外には何も有りません。ディスコの機材も全てホノルルから持っていきませんと何も有りません。我々は飛行機で行ったのですが、到着後機材を取りに港に行きますとハワイアンのドライバーが「どうした何があるんだ」と聞いてきました。「ディスコを作るのです」というと「本当か?どこだ」「ホテルの離れにあるプライベートルームです」と言うと「俺達も行ってもいいか」と聞いてきます。他に何もすることがない島ですからどうしても来てみたいというのです。「いいけどなかには入れないよ」と言うと「音が聞こえれば外の砂浜で踊るから来させてくれ」と頼むのです。表で良ければきてもいいよと言うと家族と親戚をみんな連れて来て喜んでいました。夕食の時、小さな年配のハワイアンの女性が来られ「ようこそモロカイへ」と言い古いウクレレを片手に 一曲歌をプレゼントしますと言って歌い出しました。彼女はハワイアンミュージックの巨匠あのデューク・カハナモクの家族でした。マイクロフォンも使わずアカペラでしたが私が今までに聞いた中で最高の歌でした。その澄んだ声、歴史を語りかけるようなメロディーに包まれ、 80 人の女性メンバーもうっとり、涙が溢れて来る喜びとはこんな事でしょう。 昼間のドライバーが家族を連れてやって来ました。総勢 14 人のビックファミリーです。「いつも何してるの?遊ぶとこも行くところも無いでしょう」と言いますと「そう此処は夜子供を作る以外にやることないから家族が多いんだよ」と笑っていました。するとホテルの男性が「あいつのようにお奥さんがいる人はいいけど俺たちには子供を作るのは難しい」と言うので「どうして」聞くと「子供を作るのに必要な18歳から30歳のワヒネはこの島には一人も居ない。みんなオアフ島に出稼ぎに行ってしまった。」と言っていました。ハワイにはこんなにゆったりとした島がまだ有るのです。私もお陰様でとてもいい経験をさせて頂きました。ハワイにハネムーンでお来しの方、オアフ島もいいですがモロカイ島でゆっくりと子作りに専念されるのもいいハワイの過ごし方ではないでしょうか?


 ハワイアンの聖地と言われるこの島ですが此処には昔から言い伝えられている伝説が有ります。カハラ地区からハワイカイに向かう途中に以前メネフネヒルという名所が有りました。メネフネとは昔ハワイに住んでいた小人の種族で有ります。人の背丈より高いサトウキビの間の坂を車で上がって行きますと小さな橋が在ります。この橋を渡るとその先はカギ状の形になって下り坂となり、行き止まりになります。そこで車を U ターンさせエンジンを止めギヤーをニュートラルにセットしてブレーキを離すと、「グググググ!」車は今下ってきた緩やかな傾斜を登り始めます。車が動き出しましたら絶対に後ろを振り返ってはいけない!バッドラックが起こると云いますのでじっと橋を超えるまでただ静かに前を見て進みます。言い伝えではその鍵状の場所の下にはメネフネの王様のお墓があるので沢山の小人達が集まり停めた車を動かすのです。耳を澄ましてみるとパタパタと足音が聞こえてきます。ここは観光名所と言っても狭い所なので大きなバスでは入れません。残念な事に何年か前に区画整理でメネフネ坂は姿を消えてしまいました。Hawaii に住んでいる人でもお若い方はきっとご存じないと思います。この他にもパリハイウエイの旧道モーガンスコーナー、ハワイの巫女さんカフナが居るマカハの聖地と時代と共に忘れられて行く歴史も少なく有りません。ハワイにはたくさんの神々が住んでいると言います。木の神様、山の神様、海の神様、そしてマダムペレ。どうぞ皆様このハワイの大切な歴史と文化を末永く大切に保存して頂きたいと思います。


 モーガンスコーナーの家

 昔カイルアにノッポと言う名前の焼肉屋が有りました。日本から来られたカップルと料理長は山口さんだったと思います。お店で使用する鉄板は富士山の溶岩を切った石で肉を焼くとこの溶岩が適当に油を吸うので美味く肉が焼けると評判でした。私も何度か行きましたがその時に聞いたお話です。彼らが借りた家はヌウアヌのモーガンスコーナーの白い 2 階建ての古い家でした。ここら辺は多くのハワイアンの植物が茂り、昼でも薄暗い所で夜は街灯もないので真っ暗で少し薄気味悪い様な所です。このモーガンスコーナーには、豚肉を持って車で通りかかると車のエンジンが止まる、豚肉を投げ捨てるとまたエンジンがかかる、という古くからの奇妙な言い伝えがあります。

 事の始まりは毎日仕事が終わり3人で家に帰る時です。いつもこのモーガンスコーナーを通ってその家に帰るのですが必ず道に迷うのです。行きすぎたり道を間違えたり不思議です。2 週間ぐらい経った時です。家が大きいのでご夫婦と料理長の部屋の他にもいくつかの部屋が空いて居ますが、 2 階の角部屋には誰も住んでいません。何か音が聞こえるので行ってみますとそれこそ何千匹もノミが飛び跳ねて居ます。休日に夕食を頂くため皆で大きなテーブルの横にある椅子に腰掛けようと椅子を引くと椅子が勝手に後ろに下がります。また椅子の両端を持って前に引くのですがまた戻ってしまいます。その時です。テーブルの頭上にあるシャンデリアが小さな音を立て横揺れし始めたのです。「カシャカシャ、カシャ」3 人はその場で硬直しました。それから2~3日が過ぎますと今度は料理長の山口さんが体調を崩して食欲が無くなり始めます。日に日に症状が悪くなって行きますので病院に行きますが原因が分かりません。3 人はこの家が何かおかしいと思い、知人の紹介でハワイアンの巫女カフナを呼びました。カフナは恐山の巫女の様な者です。カフナが到着すると中で誰かの話し声が聞こえると言い出しました。玄関から家に入り丁度あのノミがいる角部屋の真下一階の所に来た時「う〜う〜」と声を絞り出しその場に伏せました。ハワイ語で目に見えぬ誰かと話して居ます。ものの 10 分ぐらいでしたか、話が終わりますとカフナの巫女が話し始めました。「この家を建築して居た時に事故で足場から滑り落ち、一人の職人が頭と首を強く打ち亡くなったそうです。その場所があのノミのいる部屋と同じ場所です。そしてその場所の下には古いハワイアンのお墓が隠されて居たのです。またあのノミのいる部屋で以前この家を借りて居た女性が首吊り自殺をした。」と。そこには 3 人の亡くなった方の霊が潜んでいたのです。この様にハワイの土地、家が立つ場所によって色々な霊が人間に悪さをするのです。この家に出た霊は長い間空き家になって居たこの家で静かに眠りたいのに、ここに人が住み始めるとうるさくてゆっくり眠れないと言って居たそうです。彼達は直ぐにレストランを閉店し逃げるように日本に帰って行きました。

 ところで皆さんはハワイにある中国人の墓地に行ったことがありますか?見た目は日本の墓地と変わりはないのですが、各家の名前が書かれている墓石の中央てっぺんに小さな 写真が埋め込まれて居ます。夕方暗くなりますとその亡くなった人の写真が一斉に私を見つめている様に見えるのです。とても怖かったのを覚えて居ます。さてハワイで不動産を購入される方アパートを借りられる方、日本でも同じ様なお話を聞きますが以前にそこに何があったかをよく調べた方が安心出来ますね。

 モーガンスコーナーのもう一つの話です。ある子供連れのカップルがモーガンスコーナーに差し掛かった時、豚肉は持って居ませんでしたが車が故障で動かなくなりました。ご主人が直そうと試みますが車はうんともすんとも言いません。「どこかの家に行って工具を借りてくる」と彼は車を降りて行きました。ワイフと子供は車をロックして彼の帰りを待ちました。かなりの時間が過ぎて行きましたが彼は戻って来ません。あたりは真っ暗です。ワイフと子供は眠くなり寝てしまいました。 うっすらと夜が開けてきた時「ポツンポツン」と言う音で目を覚ますと窓が薄赤く汚れて居ます。急いで車を居りますとご主人が車の真上で首を吊って既に死んで居ました。ポトポトと言う音は彼の血が垂れて車の屋根にあたる音でした。貴方も肝試しに行かれてみますか?私はお断り致します。そんな訳でヌウアヌの旧道モーガンスコーナーは心霊スポットです。

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