素晴らしき日本

 これは 2020 年に日本にお邪魔した時の事です。日本の連絡事務所をお手伝い頂く柴崎正明くんと待ち合わせ一緒に食事をしようと横浜線に乗り込みました。この柴崎くんとの出会いは以前私がカピオラニ通りでゲームショップをやっていた時にゲーム機械の購入の際、彼のお父様には大変お世話になりました。彼とはその時からのお付き合いで、かれこれ 50 年になります。彼はまだその頃大学生でしたが現在はお父様の跡を継いで立派に会社を切り盛りされています。そんなことで私は彼をジュニアと読んでいます。その日は彼がうまい寿司屋が有ると言うのでその店に向かっていました。電車を降り食事を済ませ、お勘定をしようと私の手提げかばんを探すと見当たりません。「あれ俺のカバン見なかった?」と彼に聞くと、「ああ、持ってましたよ」と言います「え~もしかして電車に置き忘れた?」大変です。そのカバンにはパスポート、アメリカの永住権、運転免許証、ソーシャル番号、現金、クレジットカードと全てが入っています。私は慌てて駅の落とし物受付に駆け込みました。もし出て来なければアメリカに帰るどころか明日からのお金も有りません。2020年といえばコロナの真っ只中でアメリカ大使館も機能していませんので永住権の再発行も何時になるか見当も付きません。もし見つからなければ暫くアメリカには帰れないかもしれません。駅に着いて駅員さんに「カバンが!」と説明すると、2つ先の駅に似たカバンが届けられていると言うのです。日本の駅員さんはとても親切で、「この切符でお乗りください」と一枚の切符を差し出してくれました。急いでその駅に向かい係員に尋ねますと「お待ち下さい」と言って奥から「これですか?」とカバンを持ってきました。「それだ!」と私が言うと「念の為中に何が入っているかおっしゃって下さい」というので確認を済ませますと、「はい確かに間違いないですね」とお返し下さいました。

「一体誰が?」と聞きますと、「30代ぐらいの女性の方です」と言うので「礼金はどれぐらいですか?」と伺いますと「だいたい持ち金の10%程度でいいと思います。」と言われました。「届け主はすぐに戻ってこられますので暫くお待ち下さい」と言われ待っていると彼女がやってきました。「ご親切に有り難うございます。」と言ってお礼金の計算を始めると紛失届にある金額にはドルは計算されてなく日本円だけが計算されていました。私が考えていた金額より少ない額です、一万円札を数枚取り出し「これお礼です」と言うと「こんなに頂いていいんですか?」ととても嬉しそうにしていらっしゃいました。嬉しいのは私の方です。ジュニアと私は「お礼にお茶でもいかがですか?」と言うと「はい良いですよ。」と云うので近くにあった喫茶店に入り改めてお礼を伝えました。「あなたのように正直な方に拾って頂いて良かった」と言うと「申し訳なかったんですけど中身を拝見 するときっと旅行中の人でお困りと思い届けました」と言っていました。「本当にあなたで運が良かった。もしあなたが 20 歳ぐらい年取っていたらこのまま米国に連れて帰りたいぐらいです。というと彼女は笑いながら「私の母独身ですよ(笑)」と言うのでした。丁重にお礼を告げ彼女と別れ電車に乗り込むとジュニアが「ゲリーさん普段の行いが良いんですかね???」私の顔を覗きました。いえ行いがいいのは私でなくこのカバンを届けて下さった彼女です。もしこれが外国であったら 100%とは言いませんが 97%この荷物は出て来なかったと思います。

『隣の芝は青い』よく耳にする言葉ですが長い間アメリカで生活していますと多くのアメリカ人が一度でいいから日本に住んでみたいと言います。彼たちもまた隣の芝が青く見えるのでしょう。私がアメリカに住んで感じる事は自由といい加減の違いです。多くの異なる国の人達が共同生活をするこの国では一部の人を除いては結構いい加減な人が多いのです。海外に住む私が言うのも何ですが忘れないで下さい。皆様は世界で一番安全で一番真面目で正直者が住む国、多くの外国人が羨む素晴らしい国にお住まいなのです。

 ある日私が渋谷の街を歩いていると何かのサインを持った男性が駅前に立っています。 サインを読んでみますと『お嫁さんを探しています興味のある方は是非お申し出ください』と書いてます。そろそろ私も茶飲み友達がほしい頃、私もやってみようと思ったのですがもしかしてまた誘拐犯と間違われるといけないのでやめる事にしました、、、


 私には兄のように慕い尊敬している弟がいます。父と母はすでに他界しておりますので血の繋がっている家族はこの弟だけです。自分の身内を褒めるのも変ですが弟は本当にいい奴で私はいつもこの弟に感謝していま。あの事件に遭った時もお金を送ってくれたり色々と助けて下さいました。弟とは5歳違いですが私が弟を兄と慕うのにはいくつかの理由があります。その一つは彼が自分の夢を有言実行して達成した事、私より数倍も頭がいい事、常識にたけていていつも冷静である事、何事にも熱心で前向きで有る、そしてこんな兄でも兄貴兄貴と呼んでくれる事と沢山有ります。遠い昔幼い弟と頑固な父を残し家を出た私をいつでもそして今も見捨てずにいてくれる事です。父の葬儀の際にも墓を建てる時も気を使い私の負担にならない様掛かる費用は黙って彼が負担して下さいさいました。彼は現在ある日本の一流の病院で医院長を務めています。小さい頃から優秀で小学校の時にはあの広辞苑を嬉しそうに読んでいました。一度学んだことは忘れない彼は小学校の授業中に先生のミスをよく指摘していましたので、先生にとっては苦手な生徒だったと思います。彼が 9歳の時に母が病気になり、大小 11 回の手術の後、 46 歳の若さでこの世を去りました。 彼はその時12歳、私は16でした。その時から「僕は医者になる」と言って有言実行を成し遂げました。アメリカで最も権威あるカレッジオブサージョンズの仲間入りを果たし、大きな学会の会長も務めました。病院では歩くコンピューターと呼ばれています。偉ぶるでなく何事にも慎重丁寧で腰が低く、この 70 年の間、彼の怒こった顔を一度も見た事が有りません。患者そしてその家族にも分り易く説明をするドクターとして好評が有り、現在もその職務にあたっています。私にはこれと言って自分に誇れる事は有りませんが、この弟だけが唯一私の誇りで有ります。そのような理由から私は自分の弟を兄のように慕い尊敬しているのです。昔小学校の担任の先生が母の代わりに出席した参観日に「君たち兄弟は何でこんなに違うんだ!」とつくづく言ったのを覚えています。たった一つだけ私にできる自慢があります。それは子供の頃にたまたま受けた知能テストの総合点が運良く私の方が良かった事です。これだけが私の誇れる小さな勘違いですが、先日彼の奥様に「使い方を間違ったんですね」と言われました、、、。

 先日私は彼にあるお願いをしました。いつの日か私の人生が終わった時、「父母と同じお墓に入りたいけどこんな兄でも一緒に入れてもらえるかな?」と聞いたところ、「大丈夫だよ。兄貴の席はリザーブして有るから。」と言います。「それ後でオーバーブッキングしないよね」と聞くと「大丈夫だよ、コンファームだから」と言ってくれました。これが私の最後のわがままですが長い間家族と別々に過ごし親孝行の真似事も出来なかった私にとっては、積もる話が沢山有ります。ですから予約取り消しだけは絶対にしないようにお願い致します。

 私はどこでリタイヤして老後の生活を送ろうかと色々考えた末にハワイを選ぶ事にしました。私のようなボケ老人にはこの風土が良く合っているのかもしれません。数々の失敗、つらい過去も時が過ぎた今振り返れば皆いい思い出と経験になりました。男の人生には三度の可能性とめぐるチャンスが有ると聞きます。私の場合一度目は己の未熟さからその景色がよく見えませんでした。二度目は途中まで行って足を滑らせ階段を踏み外しました。三度目に来た時にはもうエネルギーもなくなり登る力が有りません。その全てを逃した私にとって何故かこのハワイが疲れを癒やす故郷に思えるのです。住めば都、きっとその言葉の本当の意味が何と無く分かる歳になったのでしょう。

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