赤竜伯爵は魔物を狩る

とうもろこし@灰色のアッシュ書籍化

第1話 魔物を狩る男 1


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 俺は森の中を全力疾走している最中だ。とにかく早く、とにかく追いつかれる前に目的地まで到達せよと自分を鼓舞して走り続ける。


「おっと!」


 地面から飛び出していた木の根を飛び越え、バランスを崩しそうになるが片手で地面を叩いて体勢を整えた。勢いを殺さないよう走り続けて――


「はぁ、はぁ、はぁ!」


 ようやく見えて来た。木につけておいた赤い印。あれが俺の目指すゴール地点。残り百メートルくらいか。


 ――ブビィィ"ン


 ゴールを目視した瞬間、背後から馬の嘶きが聞こえてきた。その嘶きは普通の馬のものと少し違う。


 掠れて、邪悪だった。


 走る速度を緩めず、俺は後ろを振り返る。背後からは馬が追って来ている。背に誰も乗せていない、青白い馬だ。


 徐々に距離を詰めて来る馬の顔は爛れており、半開きになって閉じない口からは大量の唾液が滴っている。極めつけに腹の肉は腐っている。


 どう考えても普通じゃないが、俺にとっては見慣れた光景でもある。


「さぁ、はっ、はっ、来いッ!」


 俺は追いつかれないよう懸命に走った。あと六十、いや、五十メートルくらいか。


 背後から追って来る腐れ馬のプレッシャーを感じながら、俺は遂にゴール地点として設定した場所まで到達――する瞬間、大きく飛んだ。


「ぐおっ!」


 恐らく人生最大のジャンプだ。思いっきり地面を蹴って、木に付着させた赤い染料を跨ぐように飛び越える。


 飛び越えることには成功したが、着地が問題だった。俺の体は空中で前のめりになって、顔面から地面に激突しそうになる。咄嗟に手をついて受け身を取りつつ、ゴロゴロと数回転んで勢いを殺した。


 勢いが弱まった瞬間、俺は背後に向けて振り返った。後方から追って来ていた腐れ馬の運命を見届けるために。


 疲れ知らずの馬は俺を轢き殺そうとでも思ったのだろう。走る速度も勢いも変えず、真っ直ぐ俺に向かって突っ込んで来る。


 だが、所詮はだ。いや、グールホースか。


 低級アンデットと化した馬は己の食欲に負けて――


「ブビィ"ィ"ン!?」 


 予め偽装しておいた落とし穴に落ちていく。


「よしッ!」


 視界から消えたグールホースに安堵しつつ、俺は立ち上がって落とし穴に駆け寄った。


 落とし穴を覗き込むと、穴の中で前足を懸命にバタつかせるグールホースがいた。落ちた衝撃で後ろ足が折れたのか、上手く動けずにいる様子が目に映る。


 しかし、残った足を使って穴から脱出しようとしているようだ。邪悪に歪んだ頭を伸ばし、俺に喰らいつこうとガチンガチンと歯を鳴らす。


「この穴を掘るのに二日も掛かったんだ。そう容易く脱出されては困る」


 息を整えながらそう言い放ち、腰から魔銀の剣を抜いた。剣を逆手に持ち替え、グールホースの頭に狙いをつける。そして、一気に剣を突き刺した。


「ブィビィン!」


 一突きすると、頭部を破壊されたグールホースは悲鳴を上げた。それでも尚、口を動かして俺を喰らおうとするのはグール化した際に起きる強烈な飢餓感が原因だろう。


 もはやこうなったら馬としては生きていけない。馬の形をした死肉漁り、遭遇した人間を襲う化け物である。


 元は普通の馬だったことを考えると、憐れで悲しい運命とも言えるが。


 それを理解しているからこそ、俺は頭部から剣を抜いてもう一突き食らわせる。頭部の大半を破壊した後、今度は木の傍に隠しておいたリュックからマッチを取り出した。


 そして、可哀想な馬に向かって火の点いたマッチを落とす。


「……よき来世を」


 グールってやつはよく燃える。魔術を使うまでもない。


 穴の中で横たわっていたグールホースは火達磨になり、青白く変色した肉が焼けていく。


 パチパチと燃え、次第に溶けていくグールホースの死体を見つめたあと、俺は腰に差してあった剣の位置を直した。オリーブ色のコートについた汚れを手で払い落し、木の傍に置いておいた茶のリュックを担ぐ。


 穴と溶けたグールホースの死体はそのままに、俺は静かにその場から離れて行く。


 目指す先は、森の南にあるはずの小さな村だ。



-----



 穏やかな森の中を歩くこと数時間、俺は次の目的地として設定していた小さな村に到達する。


 村の中には小さな木造家屋が二十軒ほどあって、村の中心には大きな木造の建物があった。少し離れた場所には小さな厩舎がある。俺は村の外から見て周ろうと、村を囲む背の低い囲いに沿って歩き出す。


 東側に移動している最中、村の中を見るが……。外には誰もいなかった。大人の姿もなければ元気に遊び回る子供の姿もない。小さな厩舎内の馬房にも馬はいないようで、村はシンと静かだった。


 当然、村の外にある畑にも誰もいない。クワが畑に突き刺さった状態のまま放置されていたり、ボロボロになった籠が転がっているような状態だ。


「………」


 しかし、家の中からは気配を感じる。俺がすぐ横にあった家に顔を向けると、僅かに家の中で人が動く音が聞こえた。


「……くさっ」


 同時に異臭を感じ、ポケットからハンカチを取り出す。花の匂いが付着したハンカチを鼻に当てても異臭を感じられたが、無いよりはマシだろう。


「………」


 村の東側に到達すると、俺はベルトのポーチから赤い丸石を取り出した。小石サイズの丸い石を赤い染料で染めたような物だ。


 それを地面に置き、親指でぐっと押し込む。地面にめり込んだあと、俺は足で土をかけて覆い隠す。また歩き始めて、北側に到達したら同じことをした。西側でも、南側でも。


「お兄さん、何しとるんだい?」


 南側で赤い丸石を地面にめり込ませていると、村の住人らしき老人に声を掛けられた。


 老人からは花の香りが漂う。匂いを感じた瞬間、俺は顔を再び地面に向けた。


「珍しい石が落ちててね」


 俺はすぐ近くに落ちてた小石を拾いあげ、老人に小石を見せながら埋め込んだ赤い石に足で土をかける。老人の視線は俺が見せた「ただの小石」に向けられたままだ。


「珍しい石? ただの小石じゃないのか?」


「馬鹿言わないでくれ。こう見えて俺は石の鑑定士だ。こいつは珍しいタイプの石で、この辺りの土地がどうやって誕生したのかを知る切っ掛けになる」


 俺は学者なんだぞ、と老人にアピールした。


「ほう。で、どうなんだい?」


 老人は「そんな小石で?」と言わんばかりに問うてくる。


「……この村は土の精霊ノームが作り出した土地だろう。見ろ、この小石は少しだけ光沢があるだろう? こいつはノームが自ら石を作り出した時に出る証拠だ」


 俺がそう告げると、老人は「はっはっはっ!」と笑いだした。


「よくわかったね! さすがは鑑定士殿だ!」


「だろう?」


 老人はすっかり俺の身分を信じたらしい。この土地についての情報を事前に受け取っておいて助かった。


 なにが「精霊ノーム」だ。所詮は昔から住んでいる老いぼれ共が信じる伝承じゃないか。


「あんた、ここいらの石を調べて回っているのか?」


「ああ。休憩しようと寄ったんだ。休憩できる場所はあるかい?」


「酒場があるよ。村の真ん中だ」


 老人は村の中心に向けて指差した。井戸の近くにあった大きな建物は酒場だったらしい。入り口にはジョッキのマークを描いた看板があるのも見えた。


 小さな村に酒場があるってのも珍しい話だ。内心、よく考えたものだと頷いてしまった。


「美味い酒はあるかな」


 しかし、俺はその事について敢えて問わない。


「酒よりもウサギ肉がおすすめだね。ここらのウサギは美味いって有名なんだ」


「そりゃいいね」


 老人が背を向けた瞬間、俺は手の中にあった小石を背後に投げ捨てた。


 ノームが作った石? あるわけない。


「あんた、石を調べに来たにしちゃおかしな恰好だね。その赤い髪もここらじゃ見ない色だ」


 酒場に向かいつつ、老人は俺の恰好を見て告げる。彼の視線は腰にある剣に向けられ、その次に俺の髪へと向けられた。


 ……髪の色はともかく、腰に差した剣は石を調べに来た学者様にしては不自然だ。老人が疑問に思うのもよくわかる。


「そりゃ、物騒な世の中だからね。山賊と遭遇したら身を守らないと」


「ああ、もしかして西から?」


「そう。アーバン帝国を通って来た」


 アーバン帝国とは最近になって滅んだ国だ。周辺国に喧嘩を吹っ掛けまくって、侵略を続けた果てに滅ぼされた。


 国が滅んだことで元国民が山賊やら盗賊になって商会の馬車を襲っている、という噂はこの村まで届いているらしい。今の俺にとっては非常に都合が良い情報だ。


 俺はここまで来るのにどれだけ大変だったかを説くと、老人は「そりゃ大変な旅だったね」と納得してくれた。


「嫌な世の中になったもんだ。爺さんも気を付けなよ」


「おお。まぁ、この村は大丈夫だろう。辺鄙な場所にあるからね」


 周囲は森に囲まれて、北側には大きな山が見える。自然に囲まれた静かな村だ。


 村の住人は畑を耕し、採れた作物と狩りで得た肉を食料にして。たまに馬で街まで行って、生活に必要な物を買って帰ってくるといった感じか。


「ゆっくりしていきな」


「ああ」


 老人に酒場のドアを開けられ、俺は短く返事を返しながら酒場の中に入った。


 酒場の中を見渡すと、小さな村にしては席の数が多い。


「いらっしゃい。見ない顔だね」


 奥にあったバーカウンターの中でグラスを磨いていた男が俺を見つめていた。


「ああ。ちょっと調査をしてたんだが、休憩に立ち寄ってね」


 カウンターに近付くと、グラスを磨いていた店主からも花の匂いがした。過剰なほど強い匂いを感じた瞬間、店主は「なんの調査?」と聞いてくる。


 俺は老人に語った嘘を利用して「精霊ノームについて調べてる」「石や土を調べているんだ」と語った。


「へぇ、珍しい仕事だね」


「歴史学者みたいなもんさ」


 カウンター席に座り、足元にリュックを下ろした。そのまま店主に「水をくれ」と頼む。


「水? 酒場なのに?」


「喉が渇いてね」


 怪訝な様子を見せる店主に言うと、彼は「だったら酒で潤せばいいじゃないか」と言いながらも水を出してくれた。


 木のコップに注がれた水は――透明だ。口をつける一瞬で匂いを嗅ぐも、特に異常なところはない。


 なるほど、と内心頷きながら水を口に含む。


「何か食うかい?」


「ああ。ウサギ肉が美味いって爺さんから聞いたんだが」


「おお、あるよ。ソテーなら出せる」


 俺は店主に「それで頼む」と言って料理を待った。ガランとした店内を改めて見渡し、コートの内ポケットから懐中時計を取り出す。


 現在の時刻は夕方の五時。窓の外を見ると茜色の光が店内に差し込んでいた。


「そろそろか……」


 予想が正しければ、奴等が動くのは陽の光が消えてからだ。


 俺がそう呟くと、店主は「なにが?」と問うてくる。


「いや。そういえば、村の人が外にいなかったが出払っているのか?」


「ああ、今日はみんな家で香水作りをしてるんだろう。この村の特産なんだ。近くに大きな花畑があるからね」


 なるほど、と俺は思った。


 口では「ふーん」と声を返しながらウサギ肉のソテーを待っていると――外から差し込んでいた茜色の光が消えた。外は急に暗くなるが、大きな雲でもかかったのだろうか。


 夕日の光が消えると、今度は外からガヤガヤと人の喧騒が聞こえてくる。その喧騒は酒場に近付いて来て、酒場のドア開かれた。


 酒場にやって来たのは村に住んでいると思われる男衆だ。中年から老人まで入り混じった集団が続々と酒場の中に入って来る。彼等は思い思いの席に座ると、ソテーを作っていたマスターに「いつもの!」と注文を叫ぶ。


 随分と急に賑わったな、と思いながら彼等を見ていると――


「お兄さん、見ない顔だね。どこから来たんだい? この国の人?」


 俺が座る席の隣に腰掛けたのは、中年の男性だった。茶の短髪と髭を生やした顔には笑顔があって、服装は茶のズボンと薄汚れた白いシャツに毛皮のベスト。


 声音は明るく、よそ者にも気軽に声を掛ける態度に好感を抱く者は多いだろう。


 そして、店主同様この男からも花の匂いがする。


「いいや、俺はレスティアン王国から来たんだよ」


「レスティアン王国って西にある大国?」


「そうだ」


 随分と遠くから来たね、と言う男性。彼はマスターから酒の入ったコップを受け取り、ありがとうと返しながら一気に呷った。


「トマソン爺さんから聞いたけど、石を鑑定する学者さんなんだって?」


 俺は彼の言った言葉を心の中で反芻しながら「そうだ」と返した。


「はい。ウサギ肉のソテー」


「どうも」


 店主が置いた皿の上にはウサギ肉のソテーがしっかり乗っていた。


 ナイフで肉を切ってみると、断面は確かにウサギ肉に見える。小さくカットしてフォークで口に運ぶ。口の中で咀嚼すると……。ウサギ肉だな。


「美味いか? この村唯一の自慢だよ」


 隣に座った男は俺が肉を食らう様を見ながら、ニコリと笑った。

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