誓い①
泣くだけ泣くとジェミニ侯爵の胸の中で抱かれている気恥ずかしさがむくむくと内から込み上がり、ユアは足をそっと後ろに引いてジェミニ侯爵から距離を取った。
「ご、ごめんなさい。服を汚しちゃったね……」
ユアはたははと笑ったのち気まずさから視線を宙に泳がせる。
ジェミニ侯爵は胸元に一瞬視線を落とし、
「可憐な少女の涙で汚れるのならいくら汚れても俺は一向に構わないが」
「なんですかそれ。ジェミニ侯爵って実は結構馬鹿なんですか?」
ユアが一転して白い視線を浴びせながらそう言えば、
「それは弟にもよく言われるな」
殊更に顔を顰めるジェミニ侯爵を見て、ユアは声を立てて笑ってしまった。心の底から笑うのはもしかしたらまだ幼かった子供のとき以来かもしれない。
「そこまで笑わなくてもいいだろう」
ジェミニ侯爵は唇を尖らして文句を言ってくる。目の前の男はブリュンヒルデ王国最強の武人で、前国王を殺めたキングスレイヤー。
なのにその仕草がとても可愛らしくて、ユアはさらに笑みを重ねてしまう。
「ところでジェミニ侯爵、先程の質問の答えを私はまだ聞いていないのですが?」
「そのジェミニ侯爵はやめてくれ。カイルでいい」
「え? ですが……」
「それとかたっ苦しいその喋り方もなしだ」
「でも私は忌み嫌われる灰被りの街の出身でしかも孤児……です」
ジェミニ侯爵はユアの言葉を聞いて深い溜息を落とした。
「今さっき言ったばかりだろう。自ら線引きをするのはやめろ。少なくとも生まれがどうとか身分とか俺には一切関係ない。わかったな?」
個人の能力より家柄や身分が重視されるこの世の中で、十人中十人が今のジェミニ侯爵の言葉を聞けば戯言だと一笑するだろう。
それでもひとりの人間として対等に接しようとするジェミニ侯爵の思いがたとえようもなくユアには嬉しかった。
「……わかった。ありがとうカイル」
ユアが心からのお礼を口にすれば、カイルはどこか居心地が悪そうに後頭部をガリガリと掻きながら間を繋ぐように口を開く。
「で、タイニアに俺が同行する理由だったか?」
ユアはコクリと頷いた。
「これもさっき言ったことにも繋がるが、お前は俺の弟の命を救ってくれた。つまり恩を返せる機会を窺っていたということさ」
「それが今だと?」
「ああ」
「その弟さんの名前は?」
カイルは眉を顰めて、
「ミゼルだが……」
「ミゼルさんはカイルの弟さんなんだ。──ふふっ。なんだか全然似てないね」
面立ちを思い出しながらそう言うも返事がない。見ていると吸い込まれそうなほどの青い瞳がジッとユアを見つめてくる。
「な、なに?」
「覚えているのか?」
「もちろん覚えているけど……」
質問の意図がわからないまでもそう答えれば、続けざまに治療したほかの兵士たちのこともかと尋ねてくる。やはり質問の意図がわからずも肯定すると、ユアを見るカイルの視線はより強いものになった。
「さっきからなんなの?」
「驚きだな……驚嘆と言ってもいい」
何がそれほど驚いたのかと尋ねるより先にカイルの口が動いた。
「話が逸れたがタイニアはここ王都からいくつもの山を越えた先にある。お前が無事にたどり着くにはどうしたって護衛が必要だ」
ユアは即座に反論した。
「護衛を雇うくらいの貯えなら多少なりともある。気持ちは嬉しいけどカイルがわざわざ私の護衛を買って出る必要なんてないよ」
ジェミニ家はブリュンガルデ王国でも屈指の大家。家名は国内にとどまらず各国にまで広く轟いている。そこの当主が一介の少女を護衛するなどありえないと考えるのは決しておかしなことではないだろう。
護衛が王女というのなら華があって物語としても素敵なのだろうが、対象が自分では出来の悪い物語にもなりはしないとユアは内心で自嘲した。
瞼を閉じたカイルは口角を僅かに上げて、
「なるほど。ではお前が雇うその護衛とやらは行き先がタイニアであっても了承してくれるのか?」
「あ……」
指摘を受け、今さらながらに根本的な失念をしていたことに思い至る。
ユア自身は癒しの力の一貫で毒に耐性があるが、普通の人間に毒の耐性があるわけもない。たとえ今持っている貯えを全て護衛費に充てたとしてもあっさり断れるのがおちだろう。死ぬとわかっているところに誰も好き好んで行くはずもない。
「まぁそういうことだ。お前にとって今回のことはまぁ不幸な出来事なんだろうが、俺にとっては恩を返す絶好の機会だった。本当はお前がここまで追いつめられる前に手を差し伸べることもできた。そうすればお前に対する下らない嫌がらせは止んだだろうが、余計な反感を生むことにも繋がっちまう。貴族って奴らは頭のてっぺんから爪先までプライドなんて心底くだらねぇものにどっぷり浸かっている生き物だ。奴らは自分のプライドを守るためなら血を分けた兄弟や親だってその手にかける。まして相手がお前ならなおさらだ。一日中お前に張り付いているわけにもいかねぇしな」
貴族がプライドに重きを置くことはユア自身これまでの経験で骨身に染みて知っている。厄介なのは貴族としての地位が高ければ高いほどプライドも比例して高くなるということだ。
だからこそジェミニ家という家名を背負うカイルが声を大にして同族の批判を口にするのに違和感を覚えてしまうが、今はあえて考えないことにして話を続けた。
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