第4話 学校で

 大学の昼休み、圭吾が中庭で横になっていた。四年生の単位は、ほぼ取り切っていたため、週に一、二度しか学校に行かなかった。今日はゼミが昼からあるため、昼食後長椅子に寝転びながら暇を潰していたのだった。


「涼介、別れましょう」

 耳の近くで声がした。

 圭吾は横になりながら、声の主をチラッと見る。三日前に喫茶店で別れた琴音だった。


「お前言っている意味わかってんのか」

「分かってるよ」

 事情を知らなければ痴情のもつれに見えるかもしれない。そうか、琴音は別れ話をする決断をしたのか。悪いと思うけど自分もこの件には片足を突っ込んでいる。もう少しハッキリと内容を聞こうと耳をそば立てた。

 

「いや、お前は分かってない、医者の後継者として、父親に俺を紹介したよな。編入までさせて」

 鈴木の声に怒りが含まれているのがはっきりと分かった。


「それを理由もなしに別れろとか。俺の人生無茶苦茶にする気か」

「理由ならある!!」

「なら、言えよ」

「でも、言えない!!」

「なんでだよ」

「理由は言えないけれど、別れてください」


 話だけ聞いてると理由もなくて、無茶苦茶だった。あのかわいくあどけない顔で涙を見せながら別れを告げているのだ。核心に迫ると由美の名前を口に出さなくてはならない。勘違いなのだが、琴音は俺がまだ由美を好きだと思っている。俺の想いを壊したくないのだ。

 そんなこと気にしなくていいのに。


「俺は、別れないからな」

 圭吾が顔を上げると、鈴木と目があった。いつも冷静さが取り柄の横顔に酷く狼狽した表情が見てとれた。目の前で泣き腫らしている琴音を介抱することもなく。手を差し伸べることもなく、中庭から出ていく。


 やっと立っていた琴音は、鈴木が去ると地面に足をついて泣き崩れる。遠まきに見ていた数人の大学生は、少し距離を置いた。

 

「やっぱり許せねえわ」

 女子の平均身長くらいの琴音の姿が小さく見えた。目を手の甲で拭い、圭吾の方に向き直る。泣き腫らした瞳が、浮気を糾弾したい気持ちと圭吾のために隠したいという気持ちで揺れていた。


「はい、それで拭きな」

「圭吾くん、いつから見てたの?」

 琴音は、圭吾からハンカチを受け取る。今まで泣いていたのを見られたからなのか、耳まで赤くなっていた。ハンカチで涙を拭いながら平静を装い笑顔。下手くそな笑顔が年齢以上にあどけなさを際立たせた。


「見るつもりはなかったんだけどな」

 恥ずかそうな琴音に悪いと思いながらも、ちょっと意地悪な気持ちにもなる。好きな子の秘密を知ってしまったような。小さい時に感じたちょっとした悪戯のような。


「泣いてる姿もすごくかわいいな」

「ハンカチ返しませんよ」

 琴音は、上目遣いに見てくる。目を離さないので、圭吾の方が照れてくる。


「ウソ、洗って返すよ」

 琴音はぎこちなく笑った。白いハンカチで左右の涙を拭う。少し剥がれた化粧から化粧前の素肌が見える。化粧をしなくても充分可愛い。コンテストで一位に輝いた素顔は涙目でも心を鷲づかみにする。恥ずかしそうにハンカチを四つ折りにして、自分のバッグに入れた。その奥には黄色いハンカチが見えた。


「お前、ハンカチ持ってんじゃん」

 自分のハンカチを見た琴音は、圭吾とハンカチを交互に見る。ちょっとだけ唇をとがらせた。

「圭吾くんの優しさだから、気持ち受け取っておくね」

 琴音は目を明らかに泳がせた。自分のハンカチを使わずに圭吾に借りたような。意識したわけではないが、次に繋ぎたいような感覚。そんな初恋にも似た表情がそこにあった。さすがに学園一の美少女が復讐以外の純粋な理由で惚れることはないと思うが。


 そこで、ふと先程の疑問に気づく。


「お前、なぜ浮気のことを黙っていたんだ」

 うまく隠したつもりだった本心を悟られ目を逸らす。表情から意味があることは明らかだった。圭吾と由美を守るため浮気だけは言いたくないように見える。

 

 そして、それは圭吾の気持ちを守るために他ならなかった。なぜ、琴音は明らかに不利になるにも関わらず隠すのか。彼女からすれば同じゼミの大学生。偶然、浮気のため連絡を取りあった仲に過ぎない。

 言わないで欲しいと言ったこともないのに。同情だけなのだろうか。


 追求しようとした圭吾に琴音の髪の匂いが広がった。小さな振動。ついで腕の感触、胸の感触、身体の感触がした。気づけば圭吾のすぐそばに琴音の身体があった。心臓の鼓動が早鐘のように打ち付けている。これは圭吾のものなのか、琴音のものなのかは、分からないけれど……。

 圭吾は琴音の身体に手を回した。


 欲望からではなかった。涙を見せてなお、隠そうとしてくれた琴音の気持ち。その想いに応えたいと思った。


「今は、このままでいて欲しい」

 琴音の身体からはシャンプーのいい匂いがした。男がしてもこんな匂いにはならない。少女独特の匂いが琴音からはした。由美の身体であれば抱きあうことも珍しいことでもなかった。ただ、目の前の女性ほど緊張したことはなかった。

 俺は琴音に本当のことを言おうと頭を下げた。目の前には琴音の小さな微笑みがあった。


「ウソ、圭吾あなた……」

 抱き合っている後ろで声がした。一番今見られたくない相手だった。四年間ずっと聴き続けた声を間違うわけがなかった。


「由美、これは……」

「由美さん、これは違うの」

 言う内容次第では、追いつめられる可能性がある。由美は自分のことはさておき、圭吾の浮気は絶対許さない。ただ、ひとつ言えることは、圭吾も琴音も不利な立場に追い込まれたことは確かだった。自分のことはいい、ここは琴音を守ろう。さっき琴音が自分にしてくれたように。


「大丈夫だ」

 圭吾は琴音からゆっくりと離れて由美の方に向き直った。振り向き様にチラッとみた琴音。その瞳には揺れる涙が浮かんでいた。


あとがき


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